103、『不遇令嬢は実は聖女で、溺れる王子を真実の愛へ導く』最終巻⑦《3年目》
数日経つと、外の人の気配にも慣れつつあった。
生徒たちが寮に戻ってくる時間には、賑やかな声も聞こえてくる。
ベアトリーチェはその声をレースのカーテン越しに聞きながら、寝巻に刺繍をして時間を潰す。
部屋に持ち込めたものは数少ない。
制服に質素な日常着、そして婚約者であるディエゴから贈られた卒業パーティー用のドレス。
宝飾品は元々胸元に身に着けていたブローチ以外のものは認められなかった。
「ジルダの監視の目がなくなったのは、良かったのかもしれないわ。殿下からの指示と言われ、何かさせられることもなくなったわけだし、このまま何事もなく卒業まで過ごしたいわ」
はためくレースのカーテンが夕暮れの光を部屋の中に通し、室内を明るく照らす。
部屋の外の扉の前では、今も複数の女子生徒の嗤い声と心ない声が聞こえてくる。数日経てば、そのような悪意のある声にも慣れていった。
しかし、数日経ってベアトリーチェの部屋の場所が外に漏れたと思われるその日の夜から、女子寮の横に男子生徒たちの声と視線を感じるようになった。
「……おい、見えたか? 今、すぐそこに座ってたよな?」
「しっ、聞こえるぞ。まあ、寮母も近くにいないって話だぞ」
「窓から中に入れてもらうか? 殿下もいらっしゃってないって話だから……寂しい思いをしてるかもしれないな」
「おいおい、馬鹿言うな。流石にそれはやばいだろ。ひと月後には見れるんだから辛抱しろよ」
「そんなぁ……。俺は今見てぇのに」
「お前、婚約者に痛い目に遭わせられるぞ! アハハハッ」
「俺は巡行の護衛に志願しようかな。ずっと側に入れるんだろう? しかも、あの背中を好きなだけ叩けるなら、平民に混ざるのも悪くない」
下卑た笑い声が背後で弾ける。
―――……何の話をしているの? 巡行? 背を叩く? 平民に混ざる……?
ベアトリーチェは姿を見られることを恐れ、窓を閉めることよりも、まずはカーテンを閉めることを優先した。
それでも、男子生徒たちは面白おかしく下卑た話を止めることはしなかった。
「おいおい、閉められちゃったじゃないか」
「お前たちが煩いからさ」
「へへ、卒業まであとひと月もあるのに、あの足を見れないのは残念だなあ」
「顔を見せてくださいよ、お話ししましょうよ」
「お話だけではなく、お相手も致しましょうか? ハハハッ」
「悪役令嬢は奔放なんでしょう!? アハハハハ……」
男子生徒たちの言葉が恐ろしく、ベアトリーチェは顔を出すこともできず、彼らが早くこの場を去ることを願うばかりであった。
男子生徒たちの言葉に、気付くところはあった。
「あの人たち、悪役令嬢と言っていたわ……。数日前に見せられた紙の中にも、悪役令嬢が断罪される挿絵が貼り付けられていたわよね……」
ベアトリーチェは以前から、王子と平民出身の聖女を主役とした物語の本が流行していることは知っている。
そして、その中に出てくる聖女を虐げる悪役令嬢に、自分があてはめられて噂されていることも知っていた。しかし、まさかその本の影響で自身の周囲がおかしくなっているとは夢にも思っていなかった。
「悪役令嬢……断罪……。全てあの本のことを言っているのかしら……」
周囲から隔離された状況、友人もおらず、唯一の接点だったディエゴからつけられたジルダもすでにいない。
そんな状況で、外の情報を得ることなどできるはずもない。
また、ジルダが情報をくれるとも限らないため、どちらにせよ今の状況をベアトリーチェが確認できるかと言えば、難しいことであったのは事実である。
あの本の物語がどうなったのか、読む手段がないため知る由もない。
学園の生徒の多くが、悪役令嬢の現実での破滅を待ち望んでいるなど、ベアトリーチェの今の思考では想像すら及ばなかった。
「…………本かどうなったかは知らないけれど、物語と現実は同じではないわ。それなのに何故、多くの者が現実のことのように語っているの……」
ベアトリーチェは付け替えたブローチを握りしめる。
考え込んでいると、コンコンと扉をノックされた。
いつもの嫌がらせか、と身構えていると聞いたことある令嬢の声に、我に返った。
「ベアトリーチェ様、フローラですわ。今は私しかおりませんので、お話できないでしょうか」
「フローラ様が……何故……」
その凛とした声に、今まで敵対心を持たれていた時のような苛立ちを感じない。
ベアトリーチェは一度考えはしたが、ゆっくりと扉の方へと近付いていく。
外の気配に集中するが、いつものように多くの令嬢が扉の前にいる雰囲気はない。心を決めて、ベアトリーチェは迷うことなく扉を開けた。
「フローラ様……。よろしいのですか、このようなところにいらっしゃって」
「ベアトリーチェ様が深く反省されていると聞きました。私はどんなことがあったとしても、部屋の前をこのようにされることは許されないと思っております」
初めて扉の外に出て、その惨状を目にする。
「…………!」
何故ならば、ベアトリーチェの食事は毎朝、寮母が隣の管理人室と繋がる扉から配膳に訪れ、パンと少しのサラダ、スープ、そして昼用のパンと飲み物を受け取っていたからだ。
そしてトイレや風呂も管理人室との間にある備え付けのものを使用していたため、本当に数日ぶりに部屋から外に出たのだ。
「ベアトリーチェ様、いつもお片付けされているのでしょう? 寮母さんはされないと言われていましたもの……。公爵令嬢が使用人の真似事など」
自分はやっていないと言おうと顔を上げたが、フローラは美しい顔に笑顔を張り付け矢継ぎ早に言葉を紡いでいたため、遮ることを躊躇った。
「……ですので、ベアトリーチェ様は宝飾品などを持つことを許されなかったと聞いておりますの。殿下もお渡しする気はないとのことでしたので、よければ私の贔屓にしている店の者が今来ております。そちらでお買い求めになりませんか?」
「何故……あなたはアンナと親しいのに、私にそのような提案をするのかしら」
フローラの言葉が、ただの善意から来ているわけではないことくらい、ベアトリーチェにだって分かる。
ベアトリーチェからの返答も想定の範囲内だったのか、詰まることなくフローラの口からは言葉が紡がれた。
「勘違いなさらないでください。私は今でも、そしてこれからもアンナ様が一番ですわ。ですが、殿下がベアトリーチェ様にはドレスのみで、アンナ様にドレスと宝飾品を贈ると耳にしまして、それは違うのではないかと思ったのです」
「そう……」
「それに、学園最後の催し物と言ってもおかしくはない場に、殿下の婚約者である方が宝飾品もされないなんて、私は令嬢として……理解できませんの」
真剣な眼差しに、ベアトリーチェは頷いた。
―――私にとっては、最悪の学園生活だった。でも、他の方たちにとっては、これが学園最後の催し。自分たちの思い出として、美しい形で残したいに決まっているわよね。
「分かりましたわ、フローラ様。お言葉に甘えさせていただきます。ですが、私は部屋から出てはいけないと言われておりますの」
「その件に関しましては、学園側に許可をいただいております。僅かな時間に、学園の門の前で人目のあるところでなら、と」
「私が断るかもしれなかったのに、準備していたのですか」
「断られたときは仕方のないことですわ。私は、少しでも多くの方々に思い出を作ってほしいだけです。それが今、このようなことになっていらっしゃるベアトリーチェ様であったとしても、雰囲気は楽しんでいただきたいだけです……」
友人などいない自分が楽しめるのか。
きっと、楽しめないだろう。
ただ、これまでに受けた屈辱から解放される思い出にはなるだろうと、心の中で思う。
「では、案内をお願いできますか」
「ええ。では、私の侍女のダリラを付けますわ」
「何から何まで感謝いたしますわ、フローラ様」
「私がご一緒できないことが、申し訳ないくらいですわ……。ダリラ、ベアトリーチェ様に不審な者を近付けては駄目よ」
「承知しております、お嬢様。では、ご案内いたします」
「ええ、お願い」
まだ完全な闇ではなく、少しだけ日の影った夕方。
いつもならば生徒が行き来しているはずの扉の前も、不気味なほどに人がいなかった。




