38.因縁の再会
ところで、帝が羅山らにとどまるよう言ったのは、なにも慎太郎を呼んだからだけではない。
彼らがこの宮を訪れたのは師走の中旬である。聡馬が宮廷長官の命を受けようと受けまいと、羅山には「新年の挨拶」というついでがあった。羅山はいったん引き上げ、近郊にある宿で二週間ほど過ごしてから改めて来るつもりだったが、帝は「そんな面倒なことをする必要はない」と伝えたのだ。
じきに真崎実継と佐兵がそろうこの機会を逃す手もない、というわけである。
こうして年は暮れ、新しい年とともに実継と佐兵が宮廷の土を踏んだ。
「明けまして、おめでとうございます」
謁見の間で羅山と並び座った実継は、丁寧に頭を下げた。佐兵も後ろに控えつつ、同時に頭を下げた。
「うむ。よく来た。西は息災か」
「ははあ」
「結構。それはそうと、今年は紹介しておかねばならない者がいる」
実継が面を上げると、帝はやや遠くに目をやり、たたんだ扇子で手招きした。
「入って参れ」
出入口付近でその声がかかるのを待っていたのは、三宅と七伏、そして川原聡馬である。彼らは座へ上がると、客人の前に立ち並んだ。そして一段高い位置にいる帝の姿を挟むように、三宅と聡馬は左へ、七伏は右へ座った。
「この者は川原聡馬という。次期宮廷長官だ」
実継は驚いた。情報通の佐兵でさえ寝耳に水だった。
「次期、宮廷長官ですと?」
「そうだ。鍵崎に選ばせ、連れて来させた。東で一番の剣士だ」
帝は言い切り、人が悪そうな笑みを浮かべた。佐兵は額を手のひらで打ち、実継は聡馬を観察したあと、問うてみた。
「神懸かりですか」
「うむ。三宅と良い勝負をして一本取った。お前たちを待つあいだも稽古に励み、いっそう腕を上げたとみえる。楽しみだろう」
「……ええ、まあ」
実継は肯定しながらも、渋い顔でうつむいた。そのように強い剣士が東にいて、西の者に「聡馬の将来が楽しみだろう」と問うのは不自然だったからだ。
佐兵も不自然さを感じた。が、楽しみなのが聡馬の将来のこととは受け取らなかった。
「まさか、し——」
慎太郎様と戦わせるつもりでは、と言いかけた佐兵は慌てて言葉を飲み込んだ。羅山の後ろにも控える者がいたからだ。それは去年の顔ぶれと少し違うが同じ者もいる。前者は三人の従者、後者は柴門だ。
帝は佐兵を見やった。
「どうした? 遠慮せず言え」
佐兵は息をつまらせ、畳を見つめた。そして質問の内容は変えず、失言をかわした。
「し……紫苑様のお相手の方と、戦わせるおつもりでは」
帝は感心したようにして笑った。
「ほお? やるな。おぬしの忠義もあっぱれだ」
佐兵は深く頭を下げた。
「恐れながら申し上げます。あの方の心の傷が紫苑様の心の傷となりうることもご考慮いただけているのでしょうか」
「むろん。俺は紫苑を想えばこそ、婿殿には試練をと考えている」
「試練——少々、酷では」
「どちらが、だ?」
佐兵は思わず顔を上げた。すると帝はからかうような笑みを消し、佐兵を見据えた。
「どちらが酷だ。宮廷長官に選ばれるような腕前でありながら、その自信を砕かれるかも知れぬ聡馬か。それとも大きな魚を逃がした東か」
佐兵の背が揺れた。あくまでも慎太郎の肩を持ちたい佐兵には、厳しい言葉だった。
「佐兵。自覚があろうとなかろうと、あの男は弱者ではない。国を取ることも滅ぼすこともできる。それを分からせなければ、心も定まらんだろう。ここへ来て迷われても困るのだ」
「ですが、それは紫苑様を大切に想われているからこそ」
「紫苑の気持ちは聞いたのか」
「は?」
「紫苑は婿殿の胸に落ちた影すら愛しいのだ。そして婿殿は苦しみ抜いた末に紫苑を生涯の伴侶として選んだ。男女が結ばれるのに、これ以上の理由はいらぬ。迷いは不審と不安を生むだけだ。その鎖を断ち切るには、時として憎しみと向かい合わねばならぬこともある。薄れぬ憎しみなら、どんなに時間をかけても無駄だ。だが消し去される程度の憎しみなら、時間など必要ないはずだ」
佐兵は再び深く頭を下げる以外に、答えるすべがなかった。
***
慎太郎は、それから二週間ほどで京へ着いた。謁見の間がある御殿へ進む足は若干重い。というのも、この時期にたった一人で呼ばれた理由を計り兼ねているからだ。
そんな慎太郎をまっさきに出迎えたのは佐兵だった。到着の時を、神経がすり減る想いで待っていたのだ。
佐兵の姿を見た慎太郎は、眉をひそめた。新年の挨拶はとうにすませ、もう西へ向かっている頃だと思っていたからだ。しかし道中にすれ違わなかったことを考えれば必然である。それに、佐兵がいるなら実継もいる。結果的に一人で呼ばれた体ではなかったことに、慎太郎は安堵した。あまり顔合わせしない相手だが、実之を育てた父である。それなりの信用は置いているのだ。
「なにかあるのか?」
慎太郎は開口一番に尋ね、佐兵はうなずいた。
「実は次期宮廷長官が決まりまして」
「……だったら紫苑を呼ぶのが普通じゃないか?」
「強い男です。東で一番の剣士となり、三宅様との勝負に勝ちました」
それだけ聞けば充分だったようで、慎太郎は何事か察して絶句した。佐兵は慎太郎の気持ちを推し量り、真摯な眼差しを向けた。
「なにがあろうとも、真崎の一族と私と、西の都の者はあなたの味方です。どうかお気を確かにして、帝のもとへ」
佐兵にうながされて、慎太郎は謁見の間の出入口へ立った。しかし座に上がることはためらった。
正面奥に帝。その左に三宅と次期宮廷長官らしき男。右に七伏。それから一段下の両脇に向かい合って座している面々がいる。右は実継。左には中性的な面差しの男と、柴門である。状況からして、柴門の横にいるのは鍵崎羅山と断定しても良い。
慎太郎は胸に冷たいものを感じて肩をこわばらせた。
遠目だが、互いの存在は確認できる。慎太郎は視力があるし、柴門もさほど目は悪くない。なにより因縁の相手だ。双方見間違えるはずはなかった。
柴門は反射的に腰を浮かせた。
「慎太郎……!?」
かすれた声で叫び、言葉を失った柴門の顔が固まった。それを見て、慎太郎はどうすればいいのか分からなくなった。
柴門の様子を羅山と聡馬が不審に思っていると、帝が声をかけた。
「どうした婿殿。遠慮せずに上がれ」
慎太郎はひとつ息を吐いて、佐兵と共に座へ上がった。佐兵は実継の横へ正座し、慎太郎は帝の真向かいに腰を下ろした。
「お元気そうで」
挨拶すると、帝は口の端を上げた。
「おかげでな。紫苑は元気か」
「ええまあ。最近は菊殿に料理を習っております」
「なんだと?」
帝は思わず声を上げた。しかし咳払いして平静を装った。
「包丁を握らせるとは、どういうつもりだ」
すると横から佐兵が口をはさんだ。
「紫苑様はどうしてもご自分で作ったものを慎太郎様に召し上がっていただきたいとおっしゃいまして」
「婿殿に聞いているのだ。黙っておれ」
「も、申し訳ありません」
頭を下げる佐兵を見やってから、帝は慎太郎を睨みつけた。
「よく想われて結構なことだな」
半分いやみのようなそれを、慎太郎は強気な笑みで返した。
「おかげさまで」
このとき帝は舌打ちして目をそらしたが、聡馬は目を見張った。慎太郎の全身から溢れ出る気合いが、噂どおりただ者ではないことを窺わせたからだ。
そのような感心はよそにして帝はまた咳払いし、気を取り直して視線を戻した。
「実はお前に紹介したい男がいる。すでに佐兵より聞いているかもしれぬが、次期宮廷長官の川原聡馬だ」
聡馬は紹介されると同時に一礼した。慎太郎もならうように会釈した。
「三宅殿に勝ったとお伺いしましたが」
「はい。そちらも」
聡馬は無難に答えた。しかし慎太郎は眉根を寄せた。
「俺は引き分けたが」
それに聡馬が目を丸めかけて、三宅が慌てた。
「引き分けにしていただいたのです」
「謙遜ではないのか」
と聞いたのは帝だ。三宅は身体の向きを帝のほうへ変えた。
「謙遜ではございません。あの試合を続行していれば、私はおそらく……剣士生命を絶たれていました」
帝はいまさら耳を疑った。実は三宅との勝負を話半分に聞いていたのだ。宮の兵士を五百人斬りしようと、五間跳ぼうと、剣の腕前自体は五分だと考えていたのだ。
いかに帝が「遠慮なく戦え」と言ったところで、紫苑が気に入っているという男を無下にできないのが使われている者の身である。将来は己の主人になるかもしれないのだ。本物の戦のように立ち振る舞えというのは無理がある。ゆえに、三宅と互角の力があれば、五百人斬りも可能であると思っていたのだ。
帝が動揺していると、ふいに七伏の苦笑がもれた。それは三宅に向けられたものだ。
「あの豪腕で振るわれる剣が五間上から飛んできたら、普通は骨が折れる。三宅殿は無事に受けただけでも表彰ものだ」
三宅は「ふん」と笑って返した。
しかし、笑い話で流してしまえない者も数名いた。そのうちの一人が聡馬である。
「五間……? 建物や塀の上から攻撃するなど、卑怯ではありませんか」
「え? あ、いや、そうではなく」
三宅が状況を説明しようとしたところ、慎太郎が遮るように勢いよく立ち上がった。こんなところへ来てもなお、柴門の前で本当の自分をさらせないのだ。
努力すればおおよその人間はたいていのことを理解してくれる。しかし世の中には、絶対に理解しないという種類の人間もいる。それが柴門だと慎太郎は知っていた。柴門が認める強さとは、三宅や、その三宅に勝ったという聡馬が限界なのだ。
化け物と罵られるのは必至である。慎太郎はそれを避けたかった。かつて投げつけられた冷たい言葉よりもつらい言葉を浴びせられるのは、耐えられなかった。
慎太郎は師範として尊敬していた柴門のことも、父として慕った頃のことも、娘婿として自慢にされていたことも、道場を出て行けと言った冷酷な表情とともに覚えているのだ。憎悪におかされても、真実の記憶まで消し去れないのである。
あの頃の柴門はどこへ行ってしまったのか。マナの心が離れたと同時に厄介者を見るような眼差しを向けたのは何故なのか。その疑問が全部憎しみに変われば意外と簡単なのかもしれないが、悲哀も無念も混在しているのが現実なのだ。そしてそれらは、顔を見たとたん一気によみがえってくるのである。
慎太郎の唐突な行動に、全員の視線が集まった。慎太郎はまっすぐ帝を見るよう努めた。決して、柴門の姿を視界に入れてはいけなかった。
「それで、どのようなご用件で呼びつけたのか、お教え願えませんか」
あまりに堂々と立っている慎太郎の姿に、帝は気圧されつつ答えた。
「川原聡馬と試合しろ。むろん、本気で戦え」
慎太郎はチラッと聡馬を見て、帝にゆっくり会釈した。
「では、日取りが決まりましたらお知らせください。近くの宿にいます」
「宮に泊まればよい」
「いいえ、失礼します」
慎太郎は踵を返し、さっさと謁見の間を出た。七伏は額に手をかざしてその後ろ姿を見送り、帝へ忠告した。
「怒らせるのは得策ではないと思いますが」
「なに。火に油を注ぐことも必要だ。人間の本性をあぶり出すにはな」
「あぶり出せましたか」
「出せたとも。嫌になるくらいまっすぐだ」
また人が悪そうに笑う帝の顔を見て、さすがの七伏も慎太郎が気の毒になり、そっと溜め息ついた。




