37.滞在の理由
その晩から二日は、あっという間に過ぎた。そして、柴門の夢は早くもついえた。聡馬が正式に次期宮廷長官の命を受けたのだ。これで柴門が京にとどまる理由はなくなったわけだが、羅山の手前、一人でさっさと帰るわけにもいかず、いまだ宮にある。
羅山も話が決まれば帰り支度をしてよかったのだが、帝がしばらく泊まるように言うので、従わざるをえなかった。しかも、
「実は婿殿を呼んだ。ひと月半ほどかかるやも知れぬが、会っておいて損はないぞ」
と言うのだから考える余地はない。西に対する遅れを取り戻したい羅山にとっては、またとない機会である。
それから帝は、聡馬にも言った。
「おぬしも丁度いいだろう? いずれ婿殿の右腕となって働くつもりがあれば、だが」
聡馬は襟を正して頭を下げた。
「もちろん、務めさせていただきます」
「ふむ。良い返事だな。心強いかぎりだ。婿殿は年も近いし剣もたしなむ。話が合うだろう。ついでに手合いをしても構わぬ。ただまともに勝負するとなると、おぬしでは相手にならん。その気があるなら、三宅について指導を受けるといい」
「……え?」
聡馬は言われたことが理解できない様子で、帝を見やった。すると帝は笑った。
「おぬしが強すぎて相手にならぬから手加減の仕方を学べ、と言うのではないぞ? おぬしの腕前では婿殿の太刀は受けきれぬ、と言っているのだ」
羅山が七伏から聞いたような話を知らない聡馬は、不機嫌そうに眉をしかめた。
「たしなんでいる程度ではないのですか」
自分の腕は認められたはずだと憤る、その若者らしい素直さを見て、帝は人が悪そうに口元をゆがめた。
「宮の兵士千人を前に臆することなく向かい、またたく間に五百人斬りした男だぞ? 三宅も一撃を受けてこれ以上は戦えぬと勝敗が決まる前に引いた。勝てると思うか?」
「なっ……」
聡馬は青ざめ、帝は手にしていた扇子をパッと振って広げた。
「自分が一番と思っても、上には上がいるものだ。もっとも、婿殿より強い剣士がいるとするなら、それはもはや人ではなかろう。それゆえ、おぬしは鬼になって戦わねばならぬ。なってみるか? 鬼に」
聡馬は膝の上で拳を握り、帝を睨みつけた。
「受けて立ちます」
早い話が、あおられてまんまと乗ってしまったのだ。東で一番の剣士となった者の矜持につけいられたのである。
聡馬は冷静になったあとで気づいたが、取り下げるのも恰好がつかないので、結局は三宅が常駐している侍所を訪ねた。
「そういうわけで、よろしくお願いいたします」
三宅は額や背中に嫌な汗をかいた。その背後でたまたま碁を打っていた七伏も、唖然とした。
「帝が何をやりたいのか、ますます分からなくなったな」
七伏が言うのに、三宅は振り返った。
「兵士をあっさり伸されたので、やり返したいだけかもしれぬ」
「まさかそんな」
「だが鍵崎も帰さずに呼ぶなど。保倉もついて来ているというのに」
「ううむ。だがいずれにせよ、顔を合わせぬわけにはいかぬ連中だ。それに強い剣士を用意していれば、案外よろこぶかもしれないぞ」
「なにを根拠に」
「嬉しそうだったではないか。兵士と戦っている時の様子が。強者千人なら多少は手応えがある。あの腕を存分に振るう機会などめったにないだろうし、な」
パチン、と語尾に重ねて碁石を盤へ打ちつける。
そこで七伏は目を見開き、口角を上げた。最初はいい手を打てたのかと思った三宅だが、やがて帝の意図を悟ったのだと気づき、答えをせかした。
「なんだ。いったい何がある」
しかし七伏はにやけたまま答えなかった。
その脇で、二人のやりとりを聞いていた聡馬が、不審げに眉をひそめた。
「お二人は、どのようないきさつで宮廷へ上がったのですか?」
七伏と三宅の視線が聡馬に戻った。
「私はおぬしとほとんど変わらぬ」
と答えたのは三宅だ。
「田舎から出てきて、剣の腕前を認められ、宮廷長官の地位に就いた」
「俺は京で生まれ育ったからな。この宮の存在を知っていたし、ほかにいい仕事もないので売り込んだ」
七伏は三宅に続いて答えると、またニヤリと笑った。
「なぜ急にそんなことを聞く」
「いや、ふと疑問に。俺は腕が立つだけの剣士です。試合に勝ったからといって、昨日今日来たばかりの俺にそんな重要な地位を与えていいものかと」
すると三宅が笑った。
「剣を交えれば、人となりは分かる。帝もおぬしのまっすぐな眼差しに賭けたのだろう。まあとにかく、神懸かり的な力を持つ人間などは右から左におらぬ。貴重なものはとりあえず置いてみるのだ」
「それでダメだったら、どうするつもりです」
「はっはっは。その時はその時だが、なに。住みつけば離れがたくなる。そんな魅力が京にはある。だからみな努力する。これまでに脱落者が出たことはない」
すでに京へ腰を落ち着けたいと考えていた聡馬には、よく理解できる回答だった。つまり質問は無意味だったというわけだ。
聡馬は自嘲の笑みを浮かべた。
「そうですね。ところで」
「ん?」
「ご指導いただけるのですか、いただけないのですか」
三宅はやや沈黙したあと、大きく息を吐いた。
「仕方あるまい。まともな試合になるくらいの策は練ろう」
ここでも聡馬は眉根を寄せた。どうでも勝ち目がないような口ぶりが不満だったのだ。
確かに、兵士を一気に五百人斬りするような男なら相当だろう。しかし力任せではないはずだ。高い技術さえ駆使すれば、自分にもやり遂げる自信はある。
そう考えていたのだ。
「そんなに強いんですか」
思わずもれた言葉に刺があることを、聡馬は自覚した。だが出てしまったものを戻すことはできない。三宅は聡馬を哀れむような微妙な表情を作って目をそらした。
「可能なかぎり鍛えてやろう。帝がおぬしのことを知らせているのであれば、期待しているだろうからな」
三宅は単純に、はるばる西の都からやって来る慎太郎をガッカリさせたくないと思う心で言った。しかし聡馬は、「万に一つの勝ち目もないが、次の帝になる男の期待に応えるくらいはしろ」と言われた気になって、宙を睨みながら固く拳を握った。




