第23章 網代ケンという男
その頃、加古川ハルクは網代組の事務所に戻っていた。
3F建ての事務所の前には、強面の若い衆が数人おり、ハルクを見て頭を下げてきた。
「ハルクの兄貴、お疲れ様です」
「おう。オヤジはいるか?」
「ええ。先程、戻られました」
ハルクは2Fの階段を上り、組長室のドアを叩いた。
「オヤっさん、失礼します」
そう言って、ハルクは部屋に入った。
事務所の中にはソファと木製のテーブルがあり、壁には提灯と天王洲文太の写真がある。黒張りのソファには網代ケンが座っていた。
マオカラーのスーツを粋に着こなし、三船敏郎のような顔つきで、片目は常に閉じたままだ。シルクの赤いシャツから、入れ墨が見えており、金のネックレスもしていた。
40代にしては、引き締まった筋肉で、漁師と言えば分からない。網代は日本刀で、関西ヤクザを14人殺した男でもある。そういった理由から、武闘派の網代組は歌舞伎町でも人気なのだ。また、性格も男らしく、子分の面倒見も良かった。
網代はハルクに声をかけた。
「おう、帰ったか……」
「へい」
「その顔どうした?」
網代が指を刺したのは、ナツに蹴られた頬傷の事だった。ハルクは事情を全て説明したであった。
すると、腹を抱えて笑い出した。
「ガハハ、スゲー女がいたもんだな。お前に喧嘩売る奴なんて、まだいたのかよ?」
「ええ、天王洲会長のお孫さんの友達みたいですわ」
「ああ、冬子ちゃんか……。ハルクは知らないけどな、赤ちゃんの頃は世話をしたこともあったぜ。母親に似て美人でなあ。あの頃はよかったぜ」
その頃は、天王洲文太、冬子の父、網代ケンでブイブイと言わせていた時代であった。そして、冬子の父親が2代目になって、若頭に網代ケンが収まるはずだった。
しかし、関東移民学生連合会との抗争により、冬子の父は死亡した。それから、歯車は狂っていくのであった。天王洲文太もガンになり、網代ケンも刑務所に入ってしまうのだ。
関東移民学生連合会の抗争に勝ったが、若頭不在の組は混乱をしていた。そこで急遽、冬子の伯父である天王洲欣二が30代の若さで、若頭を務める事になったのだ。
ハルクはそういう事情を知っていた。
「本当なら、オヤッさんが若頭でしたのに……」
「ハルク、そんな目をするな。俺は会長が決めた事に文句を言う気はねえよ。年齢は下だが、欣二を2代目会長として、支えていくつもりだ」
「それと、会長の具合はどうでした?」
その言葉に網代の隻眼から、涙のようなものが見えていた。
「もう、ダメかもしれん。オヤジの腕が女にみたいに細くなっているのを見ると、あれが天王洲文太と思うと、本当に辛いわ。あのオヤジが死にそうなんだよ、クソ。あのオヤジがよぉ」
ハルクは自分の親分である網代が涙を流す所を初めてみた。それにかなり動揺をしてしまう。
そして、すぐに頭を深く下げる。
「オヤっさん、すいません。ワシが変なことを聞いたばかりに……」
「ふっ、気にするなよ。俺とお前の仲だろ。それに、オヤジだって、あれだけもってくれているんだ。まだ、大丈夫だろ?」
網代とハルクの絆は深い。加古川ハルクは大阪で愚連隊のボスであった。地下格闘技を主催しており、そこで金銭を稼いでいた。しかし、10年前の第三次世界大戦の大阪空襲により、東京に文無しで逃げ込んできた。
そこで、一緒に逃げて来たハルクの妹が結核にかかってしまう。その病院代や住居を提供したのが、網代ケンであったのだ。つまり、ハルクにとって、網代は妹の命の恩人であるのだ。その網代の器の大きさに惚れて、ハルクは子分になったのだ。
ハルクはニヤリと口元を緩めた。
「オヤっさん、ワシにとってのオヤジは網代ケンだけでっせ。一生ついて行きまっせ」
「アハハハ、昭和のヤクザみたいなこと言っているんじゃねえよ。それより、大阪にいる妹さんは元気なのかよ?」
ハルクはニッコリと笑った。
「先週に結婚しましたわ。これで、ワシがいなくても大丈夫ですわ」
「ハルク、会いに行かねーのかよ?」
「ワシは死んだ事になっています。旦那も堅気なんで、迷惑かけたくないんですよ」
ハルクの妹は堅気であった。逆にハルクは10代で人を殺しており、東京でヤクザになった瞬間に、妹とは縁を切ったのだ。自分が近くにいると、恨みのある奴に襲われるかもしれないからだ。
ハルクは網代ケンの盃を受けて、子分になってからはグングンと成長していき、今では網代組のナンバー2である若頭であるのだ。
その時に網代の携帯電話が鳴った。相手は天王洲欣二であった。
「若頭、どうしましたか?」
「オヤジが死んだ」
そう、天王洲文太が死んだのである。




