第75章 さらば、歌舞伎町の女帝
あれから、東雲シマは逃亡をしていた。片手にはボストンバッグを持って、海外ブローカーとの待ち合わせ場所に向かっていた。目立たないように車やタクシーは使わず、人込みに紛れて徒歩で移動をしていた。
そして、今回のクーデターを後悔していた。自分の実の妹であるハコネを失い、東雲組の存在を危うくしてしまったからだ。他にも、もう一人の妹である冬子に、辛い思い出を作らせてしまったのだ。普通に考えても、妹同士での殺し合いは生涯忘れないだろう。東雲シマは移動中はそんな事ばかり考えていた。
しばらくすると、東雲シマはとある埠頭についた。その辺りはまだ暗く、人が全然いない時間帯であった。東雲ハコネは冬の冷たい風を当たりながら、静かな海の波音に耳を傾けていた。すると、1台のクラウンが近づいてきた。そして、ライトとカチカチと点滅させた。
東雲シマは小声でつぶやいた。
「あの車やな。ふう、なんとか時間に間に合ったわ」
そして、クラウンの運転席から一人の男がおりてきた。見た目は30代後半くらいで、黒いジャンパーに着ており、顎髭を生やした小柄な男であった。
その男が口を開く。
「東雲シマ様ですね。私は逃がし屋の中尾と言います。どうぞ、乗ってください」
「おう、よろしくたのむで」
こうして、東雲シマは後部座席へ乗って、密輸船が出航する港へ向かった。
車内では沈黙が続いていた。東雲シマも中尾も余計な会話をしなかった。それが、逃げる者と逃がす者のルールだ。余計な事を知れば、とんでもないトラブルに巻き込まれる事になるのだ。
東雲シマは疲れた表情をしながら、後部座席の窓ガラスから、東京の夜景が見ていた。海辺に近い道路では、特に沢山のそびえ建つビル群が目についた。その中には東雲シマが関わったゼネコンのビルもあった。
東雲シマは景色を見ながら、今回の抗争を起こした事を悔やんでいた。自分の野望のせいで、実の妹を失って、可愛がっていた真一を巻き込んでしまって、冬子とも一生会えない状態になってしまった。
そのクーデターを起こした理由も実にくだらなかった。天王洲会に振り回せられて、死んでいった両親の仇のためだ。東雲シマは一度冷静に頭の中を整理した。
ふと冷静に考えると、父親はヤクザだったので、畳の上で死ねる人間でもなかった。それに、母親も勝手に自殺しただけだ。どう頑張っても、ヤクザの妻なんかが幸せになれる訳がない。普通に幸せになりたければ、堅気のサラリーマンと結婚すれば良かった話なだけだ。
しかし、ヤクザの娘ある以上は選択肢が狭い。だから、結局は父親の地盤を引きついで、シノギを大きくするのが一番早かったのだ。つまり、自分も楽をして成り上がりたかっただけだった。しかも、やるなら、頂点に立ちたかったのが本音であった。
そう、勝負したくなったのだ。だが、東雲シマは自分自身に武力がないので、法律やビジネスを武器にして努力を続けた。その結果、いわゆる経済ヤクザとして、歌舞伎町の女帝まで言われるようになった。しかし、ついに負けて、日本から逃亡するハメになったのである。
東雲シマはガラス窓を見ながら呟く。
「ウチ、負けたんやな……」
それから、自分のネクタイを緩めながら、新しい生き方を決意した。もう、普通の堅気として生きていこう。もはや、失うモノがないのだ。あとは、適当に朽ち果てるだけだ。そう思うと、心が晴れていった。
しばらくすると、安心したのか少し眠っていた。そして、ふと目が覚めると、品川埠頭にいた。しかし、当初の予定では、横浜湾まで行く予定だったったのだ。当然、疑問が浮上してくる。
なので、東雲シマは運転席の中尾に聞いた。
「なんや、こないな所に停めおって? 何かあったんか?」
だが、中尾は返事もせずに車を降りた。そして、中尾と入れ替わるように、後部座席に男が乗ってきた。そして、男は東雲シマの隣に静かに座った。
その男は天王洲欣也だった。
「シマ、悪いな。このまま逃げられたら、渡世の仁義に反するからな」
その言葉を聞いて、東雲シマは自分が殺される事を理解した。
そして、自分が罠にはめられて、この状態になっている事も分かった。中尾が裏切ったのか、自分の子分が裏切ったのかは分からない。だが、もうそんな事がどうでもいいと思っていた。だた、もう将棋でいえば詰みの状態であった。遅かれ、早かれ、死ぬだけなのだ……。
そこで、東雲シマは死ぬまでの会話を楽しむ事にした。
「会長、網代を殺ったそうですね。まあ、私じゃ殺れへんですよ。あの、ハルクがいましたしね。ウチは会長側が負けると思っていましたわ」
「正直、五分五分だった。まあ、勝負は時の運ってやつさ」
「それで、ウチがいつ裏切っていると気が付きました?」
すると、欣也が順を追って説明をした。
まず、病院で襲われた時に疑っていたのだ。それで、幹部の福山という男に、東雲シマの行動を監視させた。天王洲欣也自身も、シマが怪しいとは思っていたが、自分のカワイイ子分なので、最後まで信じていたのだ。だから、確実な裏切りの証拠を集めるのに、かなりの時間がかかってしまう。その結果、犠牲も被害も大きくなった。
しかし、証拠の決めてはメタンハイドレートの資料だった。そこに、ワン姉妹の関わりの深い貿易会社の名前があったのだ。こうして、簡単に説明が終わったのだ。
それから、欣也は冷めたように笑った。
「まったく、俺も甘いよな。長い付き合いだと、裏切らないと思いこんじまう」
「アハハ、なにわともわれ、勝ったのがアンタや。そう、天王洲会2代目はアンタや」
「ああ、それで何か言い残した事や願いはあるか? まあ、出来るだけは叶えてやるつもりだぜ。お前がいなかったら、今の天王洲会はなかったからな」
東雲シマは迷って、3本の指を立てた。
「フフフ、3つもあるやけどええですか? ウチはワガママやからな」
「ああ、いいぞ」
まずは、東雲シマは願い事の1つ目を伝えた。
「ハコネは冬子ちゃんに殺されたんよ。それでな、ウチとハコネの骨は、両親と同じ墓に入れてや。死体はロイド保険の前や」
「分かった、すぐに手配しよう」
「あとは、東雲組の組員と縄張りの世話を頼むで。あいつらは、会長を裏切ってへん」
「ああ、分かっている。幹部の福山に引き継がせよう。あいつは地上げ屋をやっていて、法律や不動産にも強いからな、東雲組の子分も納得するはずだ」
「そうやな、福山さんなら安心や」
そして、東雲シマは最後に冬子の事を託した。
「あとな、アキちゃんがヴィンヤード公国の皇女を暗殺した事は、冬子ちゃんに言ったらアカンで。冬子ちゃんが聞いたら悲しむからな。まさか、自分の姉が第三次世界大戦の原因だと知りたくないやろ?」
「ああ、俺の口からは絶対に言わん。もちろん、サナエにも口止めはしている。しかし、いつかはアキと再会すれば分かる事だ」
「それでもや、冬子ちゃんを悲しませたら許さへん。あと、煙草を1本吸ってもええか?」
「ああ、俺のでよければ……」
すると、欣也はポケットから煙草を出した。それから、東雲シマにくわえさせて、ライターで火を点けてやった。すぐに車内に紫煙が充満する。
しばらくして、東雲シマは満足そうに煙草を吸い終わる。
「もう、心残りはあらへんよ」
「あとな、お前は破門にはせん。つまり、今回の裏切りはなかった事にする。あくまでも、裏切ったのは網代ケンだけで、お前は天王洲会の若頭として葬式をあげるつもりだ。そうしないと、東雲組の子分も納得しないだろ?」
「何からなにまで、すんまへんな……」
これは欣也の最後の優しさだった。サナエと相談をして、東雲シマと東雲ハコネの名誉を傷つけない事を決めたのだ。それは、東雲姉妹の両親への手向けでもあった。
そう、東雲姉妹は網代組と戦って、名誉の戦死をした勇者として、天王洲会の歴史に刻まれるのだった。
すると、東雲シマはその優しさに、一瞬笑みを浮かべた。それから、窓ガラスの外では、もう朝日が昇り始めていた。
東雲シマは最後の朝日を目に焼き付けた。
「会長、世話になりましたわ」
「ああ、今までご苦労だった」
それから、欣也は拳銃を取り出して、東雲シマに向けて発砲した。すると、パンパンと2発の銃声が品川埠頭に響いたのであった。こうして、東雲シマは27歳という若さで、生涯を閉じたのであった。




