第20話 宝箱の所有権
宝箱の上に勇者が座っていた。
ヘルガ・モーンは松明を掲げたまま、この光景をどう記録したものかと考えていた。王立学術院の古代史研究員になって十五年、遺跡の調査記録は百冊以上書いてきた。けれど、「勇者、宝箱に着席」という項目を立てたことは、一度もない。
「俺が見つけたんだから、俺のだろ」
レオル・ヴァニスは腕を組んだまま、箱から下りようとしなかった。
ここは王国の東部、ヴェルム家の領地にあるザルム地下迷宮の最下層の小部屋だ。床にはさっき四人が倒した石の守り手の残骸が散らばっている。部屋の奥の台座に鉄の帯を巻いた古い箱が一つ。今はそれだけが残されていた。
「見つけたのは私だ」
戦士のマルタは床にしゃがんだままだった。片手に錆びた釘を三本握っている。
「釘を拾っていたら、台座の下の隙間が見えた」
「でも、最初に『あ、箱だ』って言ったのは俺じゃん」
「言っただけだ」
「俺は、たぶん、いちばん最初に見てた」
部屋の入口に寄りかかって煙草をふかしていた魔術師のロアンまでが、そう言って話に加わった。
「お前は入口から一歩も入ってねえじゃん」
「目は入ってた」
放っておくと、いつまでも続きそうだった。ヘルガは松明を壁の金具に掛けて手帳を開き、依頼書の写しを読み上げた。
「契約書、第三条。調査中に発見された出土品は、すべて王立学術院に帰属する」
四人が一斉にこちらを向いた。
話はそこからかえって長くなった。
迷宮の入口で待っているはずだった領主の家令オットーが、いつの間にか最下層まで下りてきていたのだ。息を切らしていたのに、宝箱を見たとたんに背筋が伸びた。
「この迷宮はヴェルム家の領地の下にございます。地下の物は地上の持ち主の物。古くからの慣わしで」
「遺跡出土品法、第一条。古代の遺物は王国に属する」
マルタが帳簿の後ろに挟んだ紙を読み上げた。どこで写してきたのか、ヘルガには見当もつかない。
「なら、王国の取り分は俺が預かる。俺、王国の勇者だから」
「持ち出さないでくださいね。王国へ納める分ですから」
「分かってるって。預かるだけ」
「それから、発見者には一割の報労金が出ます。遺跡出土品法で決まっています」
「じゃあ発見者の欄に俺の名前な。勇者レオル・ヴァニス、発見」
マルタが顔を上げた。
「報労金はいらないのか」
「金より名前だろ。王立学術院の記録になるなら、光栄だろ」
ヘルガは少しだけこの勇者を見直しかけた。その直後に記録に名前が残ればあとで新聞に載る、と本人が小声でつぶやくのが聞こえた。見直すのは取り下げた。
話は領地の慣わしと、法の条文と、発見者の欄のあいだを行ったり来たりした。そのあいだ、聖女のセレナは家令をつかまえていた。
「領主様の奥方様はご存命ですか?」
「ご存命です。それが何か」
「いえ。地上の持ち主がどちらのご家系なのか気になりまして。奥方様のご実家の土地だという話を、宿で伺ったものですから」
家令の顔色が一段と悪くなった。その話はあとで別の揉め事になりそうだった。
ロアンだけは話に加わらず、宝箱の蓋を見ていた。蓋の縁に細い字がびっしりと刻まれている。
異変が起きたのは話し合いが一刻を過ぎたころだった。
床に散らばっていた石の守り手の残骸が、かたかたと鳴りはじめた。腕が胴に戻り、胴が脚に戻り、最後に頭がはまって、守り手は立ち上がった。さっき倒したときより、ずっと大きくなっている。
「なんで直ってんだよ!」
レオルが宝箱から飛び降りて、剣を抜いた。
ところが守り手はレオルには目もくれず、石の腕を振り上げて家令のほうへ向かっていった。立ちすくんだ家令をセレナが杖で突き飛ばす。守り手の拳は空を切って、石の床を砕いた。
「次、来るぞ」
入口から、ロアンが声をかけた。
「何がだ」
「今、『これは俺のだ』って顔してる奴のところに」
守り手の首がぎしりと回って、レオルのほうを向いた。
「俺かよ!」
レオルが石の拳を剣で受け止めた。肩までしびれが走ったらしく、顔をしかめて後ろへ飛び退く。
ロアンは煙草を投げ捨てて、宝箱の蓋を顎で示した。
「蓋に書いてある。『守り手は、持ち主ならざる者が箱に手をかけるとき、これを打つ』。古い契約文だ。持ち主が誰なのかはどこにも書かれてない。決まってないんだから、今ここで持ち主を名乗ってる奴は全員、持ち主ならざる者ってことになる」
「何言ってんのか分かんねぇし、じゃあどうすりゃいいんだよ!」
「決めればいい。今すぐ。持ち主が決まれば、守り手は打つ相手がいなくなる」
マルタが帳簿の白いページを一枚破り取った。
守り手の拳が横の壁を砕き、石の粉が降ってくる。その中で、マルタは膝の上に紙を置いて書きはじめた。
「金貨は王国が半分。発見者に一割。残りを土地の持ち主と学術院で分ける。文字の刻まれた物は金額の算定から外して、学術院に全部」
「王国の分は誰が署名するんだ」
家令が聞いた。マルタは顔を上げずに答えた。
「勇者だ。任命状の第五項に現地で出た財物の処理を勇者に委ねるとある。この男が持っている権限はそれだけだ」
「それだけって何だよ」
「署名しろ」
守り手がマルタのほうへ向きを変えた。マルタは気にせず書きつづける。その前にレオルが割りこんだ。今度は石の拳を剣の腹で受け流す。
「早くしろって!」
「今、書いている」
まず家令が署名し、ヘルガが続いた。王国の分は任命状の権限にもとづいてレオルが署名した。発見者の欄にはマルタが四人の名前を並べて書いた。
「おい、四人連名かよ!」
「誰が見つけたか決まらなかったからだ」
最後の署名が乾いた瞬間、守り手の動きが止まった。
石の膝がきしみながら折れた。守り手は箱の前にひざまずいて、二度と動かなかった。
レオルは剣を杖にして肩で息をしていた。右腕がまだ震えている。セレナが黙ってその腕に手をかざした。
箱の中身は少なかった。古い金貨がちょうど三十枚と、縁に文字の刻まれた銀の杯が一つ。それから、文字の刻まれた粘土板が何枚も重ねて入っていた。杯と粘土板は約束どおり学術院の物になった。
ヘルガは粘土板を一枚ずつ布で包んだ。十五年の研究のなかで、いちばんの発見だ。論文の題がもう三つほど浮かんでいる。学術院の来年度の予算も、これで通る。発見者の欄に自分の名前がないのは惜しかったが、論文の筆頭には書ける。
金貨は契約書どおりに分けられた。発見者の一割は金貨三枚で、それを四人で分ける。
「一人、銀貨七十五枚。迷宮に三日潜って」
マルタは帳簿にそう書いた。
レオルは契約書の写しを手に自分の名前がほかの三人と同じ大きさで並んでいるのを眺めていた。
「名前、四人連名で、百年残るのかよ……」
地上に出る前にヘルガは包んだ粘土板の数を数え直した。十四枚しかない。箱から出したときには十五枚あった。
魔術師のほうを見ると、外套の胸のあたりを軽く押さえている。
「ロアンさん」
「研究資料だ」
「出土品はすべて学術院に」
「割れてた。割れた欠片は出土品じゃない。そういう定義も、ある気がする」
ないと思う、とヘルガは言いかけた。けれど、魔術師は迷宮に入ってから初めて冗談を言っていない顔をしていた。ヘルガは言いかけた言葉を引っこめて、欠片一つだけなら、と目をつぶることにした。
その夜、迷宮の外の野営地で、ロアンは焚き火から離れたところに一人で座っていた。ヘルガは天幕の隙間からそれを見た。
魔術師の手のひらの上で、粘土板の欠片が一瞬だけ紫色に光った。




