第4話 魔力ゼロなのに、強すぎる
「レオン様」
「なんだ?」
「逃げても無駄ですよ」
「逃げるとは言ってない」
ただ、少し時間が欲しかっただけだ。
父上への言い訳を考える時間が。
地下訓練場から戻る途中。
俺はアンナの後ろを歩きながら、必死に頭を働かせていた。
木人を素手で真っ二つ。
壁に亀裂。
石碑も破損。
しかも俺は無傷。
『少し変わった訓練をしていました』
では、どう考えても済まない。
「なあ、アンナ」
「はい」
「父上、今忙しくないか?」
「本日は午前中、執務室にいらっしゃる予定です」
「そうか」
逃げ道が消えた。
「それと」
「まだ何か?」
「木人のこと、少し控えめに伝えてくれないか?」
「見たままをご報告します」
「それが一番まずいんだよな……」
アンナは何も答えなかった。
どうやら本気で逃がす気はないらしい。
◇
公爵家当主の執務室は、思っていたより質素だった。
豪華ではある。
だが、余計な飾りは少ない。
大きな机。
壁一面の本棚。
窓際には王国の地図。
その机の向こうに、父――アルベルト・ヴァルハルトが座っていた。
「失礼いたします」
アンナが一礼する。
俺もその隣で立ち止まった。
「何事だ」
父は書類から顔を上げた。
アンナを見る。
次に俺を見る。
「レオン様が、地下訓練場にて設備を破損されました」
「設備?」
「訓練用木人を一体。壁の一部。それから古い石碑を」
父の眉がわずかに動く。
「どうやってだ」
「素手です」
早い。
もう少し段階を踏んでくれてもいいだろう。
父の視線が俺へ向く。
「説明しろ」
「訓練していました」
「それは聞いた」
「新しい方法を試していたら、少し力加減を間違えまして」
「素手で木人を壊すほどに?」
「……はい」
沈黙。
気まずい。
父はアンナへ視線を戻した。
「壊れるところを見たのか」
「いいえ。ただ、木人は胴から折れ、上部が壁まで飛んでおりました」
「レオンに怪我は」
「ございません」
父が立ち上がる。
「手を見せろ」
「はい」
右手を差し出す。
父は指先から手首まで確認した。
「本当に傷がないな」
「自分でも驚いてます」
「ふざけているのか」
「いえ。本当に」
父はしばらく俺の手を見ていた。
「アンナ」
「はい」
「測定器を持ってこい」
「承知いたしました」
やっぱりそうなるか。
アンナが部屋を出る。
父は机の前へ戻った。
「レオン」
「はい」
「何をした」
さっきより声が低い。
誤魔化しは通じなさそうだ。
「身体の中にある力を動かす訓練です」
「力?」
「魔力だと思います」
父の目が細くなる。
「お前に魔力はない」
「そう判定されてきました」
「同じことだ」
「違うと思っています」
「根拠は」
「昔から、魔術訓練をすると身体の内側が熱くなることがありました。走ったあとや、長く測定を受けたあとにも」
「それは何度も報告していたな」
「はい」
「医師も魔術師も、魔力とは無関係と判断した」
「覚えています」
「なら、なぜ今さらだ」
「昨日、その感覚を意識して動かしてみたんです」
父の視線が鋭くなる。
「動いたのか」
「はい」
「どこへ」
「身体の中です」
全部は言っていない。
だが、嘘でもない。
「外には出せません。でも腕や脚の中へ動かすことはできました」
「それで木人を壊した?」
「たぶん」
「たぶん?」
「まだ制御ができていないので」
父は黙った。
疑うのは当然だ。
七年間。
何人もの専門家が調べた。
それでも魔力ゼロと判断された息子が、突然、
『実は身体の中にありました』
と言い出したのだから。
簡単に信じられる方がおかしい。
コンコン。
「失礼いたします」
アンナが戻ってきた。
手には透明な水晶。
今朝使った旧式のものではない。
もっと大きく、台座には細かな術式が刻まれている。
「測れ」
父が言った。
「はい」
水晶へ手を置く。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………」
何も起きない。
光らない。
色も変わらない。
父が台座へ手を伸ばし、術式を確かめる。
「正常だ」
「でしょうね」
「反応はない」
「はい」
「魔力ゼロだ」
「測定器の上では」
父の眉間に皺が寄る。
「なら、証明してみろ」
「え?」
「身体の中に魔力があると言うのなら、それを使ってみせろ」
そう来たか。
むしろありがたい。
測定器では説明できない。
なら、見せた方が早い。
「ここで?」
父が周囲を見た。
「……外へ出るぞ」
◇
連れてこられたのは、屋敷裏の小さな訓練場だった。
いるのは三人。
父。
アンナ。
俺。
父は壁際から木剣を一本取ると、こちらへ放った。
「持て」
受け取る。
「普通に振れ」
「はい」
言われた通り振る。
ブン。
普通だ。
十二歳相応。
いや、剣術を何度も投げ出した旧レオンなら、少し悪いくらいかもしれない。
「もう一度」
「はい」
「今度は、その魔力とやらを使え」
俺は息を吸った。
どれくらいにする?
第3話で木人を壊した出力はまずい。
本当に少しでいい。
身体の中心。
あの重い感覚へ意識を向ける。
細く。
ゆっくり。
腕。
肩。
背中。
脚。
全身へ巡らせる。
視界が澄む。
身体が軽い。
「振ります」
木剣を振った。
ブォンッ!
風が鳴る。
自分でも分かる。
さっきとはまるで違う。
アンナが目を見開く。
父は何も言わなかった。
「もう一度」
「はい」
「今度は走れ」
「向こうまで?」
「ああ」
距離は三十メートルほど。
俺は端へ立つ。
「行きます」
地面を蹴った。
「うわっ」
景色が一気に流れた。
まずい。
速すぎる。
慌てて魔力を絞る。
それでも身体は止まりきらない。
「っ!」
足を踏ん張る。
ザザザッ!
土を削りながら、壁の手前ぎりぎりで止まった。
「危な……」
振り返る。
アンナが口を開けている。
父は、
「もう一度だ」
「え?」
「今より弱くしろ」
「いや、まだ制御が――」
「分かっている。だからやれ」
無茶を言う。
「……やってみます」
今度はさっきの半分。
いや、そのさらに半分くらい。
感覚頼りなのが怖い。
それでも少しずつ絞る。
走る。
速い。
だが今度は止まれる。
父は一連の動きをじっと見ていた。
やがて、
「測定器を」
アンナが水晶を差し出す。
「レオン。そのまま触れろ」
「はい」
内界循環を止めないまま、水晶へ手を置いた。
「…………」
何も起きない。
やはり。
魔力反応なし。
ゼロ。
父は水晶を見る。
俺を見る。
もう一度、水晶を見る。
「あり得ん」
初めてだった。
この人の口から、そんな言葉を聞いたのは。
「魔力で身体能力を強化したなら、必ず外部へ反応が出る」
「普通なら」
「ああ」
父の視線が俺へ戻る。
「普通なら、だ」
朝食のときとは違う。
諦めでも。
呆れでもない。
理解できない現象を前にした、魔術師の目だった。
「レオン」
「はい」
「地下で何を見つけた」
心臓が一瞬止まりそうになった。
「何も」
「嘘だな」
即答された。
「昨日までのお前に、突然このような技術が使えるはずがない」
「自分で気づいた可能性は?」
「お前なら昨日までに気づいている」
「評価高いですね」
「皮肉を言うな」
駄目だ。
思ったより鋭い。
「もう一度聞く」
父が一歩近づく。
「地下訓練場で、何を見つけた」
「……古い石碑です」
「石碑?」
「触れたら、魔力を身体の中で動かす方法が分かった」
嘘ではない。
「文字があったのか」
「ほとんど読めませんでした」
「術式は」
「ありました」
父の目が変わる。
「案内しろ」
「今ですか?」
「今だ」
まずい。
さっき欠けさせた。
しかも、内界循環を取得した後に石碑がどうなっているか、俺も確認していない。
「父上」
「なんだ」
「昼食は?」
沈黙。
隣でアンナが目を伏せた。
笑いを堪えているように見えるのは気のせいか。
「後だ」
「ですよね」
九年後の処刑より。
今は父親の追及の方が、ずっと近い問題らしい。
◇
再び地下訓練場。
扉を開けた父は、真っ二つになった木人を見た。
次に壁。
最後に石碑。
「……なるほど」
「何がです?」
「アンナの報告は正確だった」
「そこ疑ってたんですか?」
「十二歳の子供が素手で木人を壊したと言われて、即座に信じる方がおかしい」
正論だ。
父は木人の断面を確認する。
「刃物の跡ではないな」
「だから言ったじゃないですか」
「お前は力加減を間違えたとしか言っていない」
「十分だと思いますけど」
「十分ではない」
厳しい。
父は石碑の前へ立つ。
欠けた角に触れる。
「これか」
「はい」
「昔からここにある」
「知ってたんですか?」
「当然だ。この屋敷の設備だぞ」
それもそうか。
父が表面の溝を指でなぞる。
「……これは」
表情が変わった。
「分かるんですか?」
「いや」
即答。
「見たことがない」
父クラスの魔術師でも?
「術式に似ている。だが現代式ではない」
俺は黙る。
「お前はこれに触れた」
「はい」
「その直後から、今の力を使えるようになった」
「そうです」
父はしばらく石碑を見つめた。
「レオン」
「はい」
「今後、一人でこれを使うな」
「え」
「何が起きるか分からん」
「もう使い方は――」
「分からんのだろう」
「……まあ」
「木人を壊し、壁まで割っておいて制御できると言うつもりか」
「言いません」
言えない。
「明日から、訓練には私が立ち会う」
「父上が?」
「不満か」
「いや」
予想外だった。
公爵家当主。
王国でも五本の指に入る魔術師。
そんな人間が、俺の訓練を見る?
「魔力反応がないのに、魔力を使用している」
父は石碑から手を離した。
「そんなものを放置できるか」
なるほど。
息子が心配だから。
ではないらしい。
魔術師として興味を持った。
たぶん、今はそれだけ。
でも。
悪くない。
「分かりました」
俺は頷く。
「お願いします」
父がこちらを見る。
ほんの一瞬。
妙な顔をした。
「……素直だな」
「そうですか?」
「以前のお前なら、私が口を出した時点で怒鳴っていただろう」
記憶を探る。
ある。
何度もある。
「今度は投げ出さないって、兄上にも言いましたから」
「ユリウスに?」
「はい」
「そうか」
それだけ言って、父は出口へ向かう。
「あ、父上」
「なんだ」
「壊した木人なんですけど」
「弁償は不要だ」
「よかった」
「ただし」
父が振り返る。
「次は壁まで壊すな」
「努力します」
「努力ではなく、壊すな」
「はい」
やっぱり厳しい。
けれど。
昨日まで。
父は俺を、
魔法を使えない息子。
何をやっても途中で投げ出す息子。
そう見ていた。
今は少し違う。
理解できない何かを持つ息子。
たった一日。
それだけで。
ほんの少しだけ、未来が変わった気がした。
そして。
王国でも五本の指に入る魔術師が、明日から俺の訓練を直接見る。
「……これ」
思った以上に大きなイベントを引いたんじゃないか?
ゲームでは一度も存在しなかった展開だった。




