第2話 魔力ゼロの公爵令息
公爵家の朝食というものは、もっと賑やかなものだと思っていた。
実際は違った。
広い食堂に、長いテーブル。
その一番奥に父親が座り、右側に兄、その少し離れたところに妹。
そして俺は反対側。
物理的にも遠い。
精神的には、もっと遠そうだった。
「…………」
誰も喋らない。
食器の触れ合う音だけが、やけに大きく聞こえる。
俺はパンをちぎりながら、正面に座る家族を順番に確認した。
まず父。
アルベルト・ヴァルハルト。
ヴァルハルト公爵家当主にして、王国でも五本の指に入る魔術師。
黒髪に鋭い蒼眼。
レオンが成長すれば、おそらくこんな顔になるのだろう。
その近くに座っているのが兄のユリウス。
十六歳。
火属性魔法の天才で、王立学園でも上位の成績を収めている。次期当主として期待されている、文句なしの優等生だ。
最後が妹のミリア。
十歳。
すでに水属性魔法を使えるらしく、同年代ではかなり優秀だという。
父も。
兄も。
妹も。
魔法が使える。
俺だけが使えない。
そりゃ居心地も悪くなる。
「兄様」
「ん?」
不意に声を掛けられた。
見ると、ミリアが俺の方を見ている。
いや。
正確には、俺の皿を見ていた。
「それ、食べないのですか?」
皿には小さく切られた果物が残っている。
「ああ」
「では、いただいても?」
「いいぞ」
「……え?」
ミリアが固まった。
「食べたいんだろ?」
「い、いえ、その……」
「いらないなら俺が食べるけど」
「いただきます」
返事だけは速かった。
侍女が俺の皿から果物を取り、ミリアの皿へ移す。
ミリアは妙に警戒しながら、それを口へ運んだ。
なんなんだ、その反応。
毒でも入っていると思われているのか。
この身体の記憶を探る。
……ああ。
以前、ミリアが俺の菓子を欲しがったとき。
レオンは怒鳴ったらしい。
『お前には父上が何でも買ってくれるだろう!』
十二歳。
面倒くさい時期だったんだな。
俺が言えたことではないが。
「レオン」
低い声が飛んできた。
「はい」
父だ。
俺が普通に返事をすると、アルベルトの手がほんの一瞬だけ止まった。
「今日は魔術基礎の講義を休むと聞いた」
「はい」
「理由は」
俺は手にしていたパンを置いた。
地下訓練場にある隠しスキルを取りに行きたいからです。
当然、そんなことは言えない。
「自分の身体を、一度調べ直してみようと思いまして」
「身体?」
「魔力についてです」
アルベルトの視線が少し鋭くなる。
「何度調べたと思っている」
「覚えています」
レオンが最初に魔力測定を受けたのは五歳。
それから七年間。
王都の魔術師。
教会。
魔道具技師。
他国から招かれた研究者まで。
何度も検査を受けた。
結果はすべて同じ。
魔力反応なし。
属性適性なし。
魔法発動不能。
レオン・ヴァルハルトには、魔術師としての才能がない。
「それでも、もう一度確かめたいんです」
「結果は変わらん」
父は即答した。
きつい。
ただ、その声に嘲笑はなかった。
本当に、もう調べ尽くしたと思っているだけなのだ。
「父上」
兄のユリウスが口を挟む。
「本人がやるというのなら、やらせておけばよいのでは?」
「何か見つかると思うか」
「思いません」
こいつも容赦ないな。
「ですが、何もせず荒れるよりはマシでしょう」
俺は兄を見る。
ユリウスもこちらを見た。
冷たい。
だが、嫌っているというより呆れている。
そんな目だった。
「レオン」
「はい」
「また途中で投げ出すなよ」
その一言で、この身体の記憶が蘇った。
以前のレオンは、何度も訓練を始めている。
剣術。
魔術。
勉学。
兄に追いつこうとして。
できなくて。
周囲の期待が失望へ変わるたび、癇癪を起こして途中で放り出した。
「そうだな」
俺は頷いた。
「今度は投げ出さない」
ユリウスの眉がわずかに動く。
「……そうか」
それだけだった。
また食堂に食器の音だけが戻る。
気まずい。
ものすごく気まずい。
でもまあ、仕方ない。
これは俺が作った人間関係じゃない。
かといって、今の俺が無関係というわけでもない。
レオン・ヴァルハルトとして生きる以上、いつかは向き合わなければならない。
ただ、一日二日でどうにかなるものでもないだろう。
まずは自分だ。
死なないために強くなる。
家族のことは、そのあと考える。
◇
「レオン様。本当に地下訓練場へ行かれるのですか?」
「ああ」
朝食を終えた俺は、侍女のアンナと屋敷の地下へ向かっていた。
石造りの階段を下りるにつれ、空気が冷たくなっていく。
地上の新しい訓練場とは違い、こちらは何十年も前まで使われていた古い施設だ。
「最近はほとんど使われておりませんが……」
「知ってる」
「ご存じでしたか?」
「昔、来たことがある」
半分本当。
半分はゲーム知識。
ゲームでもヴァルハルト邸を探索できる機会があり、この地下訓練場へ入れた。
ただし、何もない。
宝箱もない。
敵も出ない。
イベントすら発生しない。
部屋の隅に、古びた石碑が置かれているだけ。
ほとんどのプレイヤーが一度調べて、それで終わる場所だ。
ところが発売から数年後。
特殊な縛りプレイをしていたプレイヤーが、偶然その使い道を発見した。
「ここです」
アンナが重い扉を開く。
埃っぽい匂いが鼻についた。
天井は低く、壁には古い剣や盾が並んでいる。床の一部には、昔の訓練で付いたらしい傷が残っていた。
そして奥。
ひび割れた壁の前に、それはあった。
人の腰ほどの高さしかない、黒ずんだ石碑。
「あった」
「何がですか?」
「いや。こっちの話」
俺は石碑へ近づきかけて、足を止めた。
先に確認しておきたい。
「アンナ」
「はい」
「魔力測定器は残ってるか?」
「旧式のものでしたら」
「持ってきてくれ」
アンナは首を傾げながら、壁際の棚へ向かった。
やがて持ってきたのは、拳より少し大きい透明な水晶だった。
「まだ使えると思います」
「十分だ」
俺は水晶へ手を置く。
魔力測定器。
魔力を持つ人間が触れれば、内部へ送り込まれた微弱な魔力がその人物の魔力回路を通り、再び水晶へ返ってくる。
その反応から魔力量や属性を判定する。
この世界では、子供でも知っている検査だ。
だが。
「…………」
水晶は光らない。
一切の反応なし。
アンナが何とも言えない顔をした。
「やっぱりな」
「レオン様……」
「大丈夫だ。分かっててやった」
これまで誰が測っても同じ結果だった。
理由は単純。
測定器が間違っているわけじゃない。
測定方法そのものが、レオンに対応していない。
ゲームの設定資料には書かれていなかった。
ただ、後年解析された内部データによれば、レオンには奇妙な特性が設定されていた。
通常、人間の魔力は微量ながら常に体外へ漏れている。
魔法とは、それを意図的に増幅し、術式へ流す技術だ。
しかしレオンには、それがない。
魔力が外へ出ない。
体内だけで完全に閉じている。
だから測定器から見れば、何も返ってこない。
魔力ゼロ。
それが、この世界の常識だった。
「アンナ」
「はい」
「一人にしてくれるか?」
「ですが……」
「心配するようなことはしない」
アンナは少し迷った。
「昼食までには戻ってくださいませ」
「ああ」
扉が閉じる。
足音が遠ざかってから、俺はもう一度石碑を見る。
黒ずんだ表面。
削れた文字。
何百年も放置されていたせいで、ほとんど読めない。
ゲームでは調べても、
『古びた石碑だ。特に価値はなさそうだ』
としか表示されなかった。
だが、実際に見ると分かる。
表面には細い溝が無数に刻まれている。
文字というより、魔法陣に近い。
「なるほどな」
ゲームだとただのイベント判定だった。
この世界では、ちゃんと仕組みがあるらしい。
俺は石碑へ手を伸ばした。
触れる。
冷たい。
何も起きない。
「ここまでは予想通り」
条件は魔法未習得。
それだけではない。
石碑へ魔力を流す必要がある。
問題は。
「それができないんだよな」
苦笑したくなる。
魔力を外へ出せないから無能扱いされている。
なのに魔力を流せと言われても困る。
ただ。
完全に手掛かりがないわけじゃない。
この身体には昔から妙な感覚があった。
魔術訓練をすると身体の内側が熱くなる。
魔力測定を長時間受けると気分が悪くなる。
激しく走ったあとは、逆に妙に身体が軽くなる。
原作レオンも感じていた。
だが、医者も魔術師も、
『魔力とは関係ない』
と判断していた。
本人もそう信じた。
魔力ゼロの自分が感じるものが、魔力のはずがない。
そう思い込んでいた。
でも俺は知っている。
「外に出ないだけだ」
なら、探す場所を間違えなければいい。
俺は目を閉じた。
呼吸を整える。
手。
腕。
胸。
腹。
自分の身体を一つずつ意識する。
最初は何もない。
だが、しばらくすると気づいた。
身体の奥。
腹のさらに内側。
ずっと昔からあった、重苦しい感覚。
病気でも。
疲労でも。
緊張でもない。
「……これか」
意識を向けると、それはわずかに動いた。
ドクン。
身体の内側から押される。
思わず息が止まった。
熱ではない。
もっと重い。
大量の水を細い容器へ無理やり押し込んだような、逃げ場のない圧力。
こんなものを十二年間抱えていたのか。
なのに誰も魔力だと思わなかった。
当然だ。
現代魔術では、
魔力が存在するなら、必ず外へ漏れる。
それが常識だから。
レオンだけが、その常識から外れている。
「無能じゃない」
俺は石碑へ置いた手に力を込めた。
「使い方が違っただけだ」
外へ出そうとするな。
それでは今までと同じ。
身体の中にあるものを、腕へ。
腕から。
手のひらへ。
石碑そのものへ流すのではない。
石碑に触れている自分の手の内側まで、魔力を運ぶ。
ゆっくり。
少しずつ。
重いものが動く。
肩が熱くなる。
腕が痺れる。
それでも止めない。
その瞬間だった。
石碑の溝に、淡い光が走った。
「……来た」
一筋。
二筋。
光は蜘蛛の巣のように広がり、古びた石碑全体を覆っていく。
そして。
頭の中へ、何かが流れ込んできた。
「っ……!」
文字ではない。
声でもない。
知識。
呼吸。
姿勢。
魔力を身体のどこへ流し、どう巡らせるのか。
誰かの何十年分もの鍛錬を、一瞬だけ覗かされたような感覚だった。
膝が落ちる。
俺は石碑へ手をついたまま、荒く息を吐いた。
「そういう……ことか」
ゲームでは、ボタン一つだった。
【隠しスキル《内界循環》を習得しました】
ただそれだけ。
でも違う。
スキルが空から降ってくるわけじゃない。
これは技術だ。
今では失われた、古い魔力運用法。
体外へ放出するはずの魔力を、体内へ戻す。
筋肉へ。
骨へ。
神経へ。
全身へ循環させる。
普通の魔術師なら、わざわざそんなことをする意味は薄い。
外へ放出して魔法にした方が、遥かに効率がいい。
だから廃れた。
だが。
俺は違う。
最初から外へ出せない。
魔力が体内に閉じている。
つまり。
「俺のために作ったみたいな技術じゃねえか」
現代魔術では欠陥。
古代魔術では理想。
俺はゆっくり立ち上がった。
身体の奥にある魔力を感じる。
さっきまで、ただ重かったもの。
今なら。
どう動かせばいいのか分かる。
ほんの少し。
全身へ回してみる。
魔力が走った。
「――っ」
視界が変わった。
遠くの壁の傷まで、妙にはっきり見える。
身体が軽い。
いや。
軽いなんてもんじゃない。
試しに右手を握る。
力を入れたつもりはなかった。
ミシッ。
「……ん?」
手元を見る。
石碑の角。
俺が掴んでいた部分だけ、ひびが入っていた。
「…………」
まずい。
俺は慌てて手を離した。
欠けた石の破片が床へ落ちる。
乾いた音が地下訓練場に響いた。
「これ」
自分の右手を見る。
まだ何もしていない。
本当に少し魔力を巡らせただけだ。
なのに。
「思ってたより、だいぶヤバいやつじゃないか?」
どうやら。
無能と呼ばれた公爵令息は、俺が思っていた以上に面倒な身体を持っていたらしい。




