1話 空から星が落っこちた
むせ返るような潮の匂いと、蝉の大合唱がうるさい8月。アスファルトの陽炎が景色を歪める、離島の夏だった。
僕ら5人は、大人たちが集まる集会所には目もくれず、そこから獣道を10分ほど歩いた先にある「秘密の崖」に集まっていた。真下には黒々と波打つ海。頭上には、今にも降ってきそうなほどの星屑が散りばめられている。
「すっげえ……けど、ちょっとこえー」
最初に、口を開いたのはソウタだった。クラスのガキ大将で誰よりも威張っているくせに、暗闇の中では1番怯えた顔をしている。
「ちょっとソウタ、あんまり端っこに行かないでよ。落ちたら危ないんだから」
ミクがたしなめる。おっとりとした声だが、彼女がこのグループの確かなブレーキ役だった。
「へーきだって! 落ちても俺なら泳げるし!」
おどけて見せたタクヤが、わざと崖の縁でバランスを崩すふりをして、ソウタに思い切り頭を叩かれている。そんな僕らの騒ぎをよそに、ルカだけは少し離れた岩場に腰掛け、懐中電灯の細い光を頼りに分厚い本を読んでいた。いつもそうだ。彼は絶対に、僕らの輪の中心には入ってこない。
そして、僕らより1つ年上の少女、ヒナ。
「ねえ、見て」
その声に、僕らはピタリと動きを止めた。
ヒナが細い指先で、夜空の一点を示していた。
「あの星、全部名前があるんだよ」
潮風が彼女の薄いワンピースを揺らす。ヒナの透き通るような横顔は、星明かりに照らされて、どこか別の世界の生き物みたいに見えた。
「頭の真上にある一番明るいのが、こと座のベガ。織姫様ね。そこから南へ目をやると、わし座のアルタイル……彦星様がいる。そして東の端で輝いているのが、はくちょう座のデネブ。この三つを繋ぐと『夏の大三角』になるの」
彼女が指をなぞるたび、ただの光の粒だった夜空に見えない線が引かれていく。僕らは魔法にかけられたように、息を呑んでその指先を追った。
「星によって色が違うでしょ? 青白い星はすっごく熱くて、赤い星は少し冷えてるの。……あそこに見える赤い星はアンタレス。さそり座の心臓。いつか爆発して消えちゃうかもしれない星なんだよ」
ヒナは少し寂しそうに微笑んだ。
「でもね、いま見ている星の光って、何百年も前に星が出した光なんだよ。だから、もしあの星がもう壊れて死んじゃっていたとしても、地球に届く光は、ずっと輝き続けてるの」
死んでもなお、光り続ける星。
子供の僕らにはその意味がよく分からなかったけれど、彼女の声があまりに綺麗で、胸が締め付けられるような心地がした。
「……じゃあさ」
ソウタが足元に落ちていた木の枝を拾い上げた。
「俺たちだけのプラネタリウム、作ろうぜ」
ガリガリと、乾いた土を削って星と星を繋ぐ線を描く。不格好な星座。けれど、それは間違いなく僕らだけのものだった。
「地面じゃ風で消えちゃうよ。もっと大きなやつ、ノートに描こう!」
ミクが目を輝かせて言った。タクヤが 「俺、キラキラのペン持ってる!」とはしゃぐ。
それが、僕らの秘密の始まりだった。
翌日から、僕らの放課後は一変した。
図書館で星図を広げ、放課後はあの崖に集まって、キャンバスノートにぎっしりと星空を描き写した。
ギリシャ神話の物語、恒星の明るさを示す等級、一等星から六等星までの輝き。
ヒナが星の名前と由来を教え、ソウタが線を引き、ミクが色を塗り、タクヤが勝手な星座を作って笑わせる。
少し離れた木陰で本を開くルカも含めて、この世界には僕らしかいないような気がしていた。
波の音と、夜風と、ノートをめくる音。
星を描くヒナの指先はとても優しくて、彼女の周りだけが柔らかな光に包まれているようだった。
僕らは、この何気ない日々がいつまでも続くような気がしていた。




