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9 月影


「あれ……凄かったよな」


 辺境騎士団訓練場。

 訓練の合間。騎士たちは広場の隅に固まって談笑していた。


「一瞬でしたよね」

「毎回やってもらえば、戦闘がかなり楽になるんじゃないか?」


 賛同の声と、笑い声が重なる。


「でも、あの後一週間寝込んだっていうじゃないか」

「それにさ……ずっと一緒に行動するのは、ちょっとな」

「不気味ですもんね」

「おいおい、お嬢様の婚約者様だぞ?

 変なこと言うなよ」

「でもあんな便利な――」


 彼らの足元に、影が落ちた。

 ハッとして、騎士らは一斉に振り向く。


「貴様ら……」


 カスパー・ハルヴァード。リディアの兄が、腕を組んで彼らの背後に立っていた。戦闘慣れした騎士たちが震えるほどの威圧感。


 彼は、息を吸った。


 そして、一拍。


「貴様らそれでも騎士か!

 戦闘訓練を受けていない者を戦場に立たせようなどと!!」

「ひっ」

「素振り千、追加だ! 行け! 走れ!!」


 逃げるように駆け出す騎士達。

 カスパーはその背を見送り、奥歯を噛み締めた。





 騎士団団長室。


「おぉ、カスパー、どうした」


 辺境伯邸でのアルベルトの執務室も質素だが、この部屋はそれに輪を掛けて実務のためだけの場所となっていた。

 使い古された調度品。軍靴で踏んだ床は傷だらけ。窓にはカーテン一つさえ掛けられていない。


 机に向かっていたアルベルトは顔を上げて、眉間にしわを寄せているカスパーを愉快げに見つめた。


「団長はどうお考えです」

「何を?」

「……セレイヴについてです」


 アルベルトは若葉色の瞳をかすかに細める。


「言わせておけばいい」


 カスパーはさらに眉を歪めた。


「団長……。

 いえ、父上は、セレイヴに優しくしてやれと俺に言ったではないですか。守ってはやらないのですか?」


 アルベルトは彼の机の前に乱雑に並べられた椅子の一つを指さした。カスパーは鼻で荒く息を吐きだしながら、それを引き寄せ、腰を下ろす。


「……彼をこの先、戦場に立たせるつもりは勿論ない。

 だが、此度の件で、得体の知れないセレイヴを下に見る者もいなくなった」

「……」

「リディアが結婚したら、領地内の別の街に邸宅を用意してやって、セレイヴ達には君の補佐として領地経営を任せるつもりだ。そうしたら、カスパー、君は騎士団に専念できる。

 であれば、セレイヴと騎士団員一人ひとりが仲良くある必要もないだろう。直接関わることはほとんどないだろうからな。

 それに、カスパーとセレイヴの仲が良好でさえあれば、四の五の言う者も減っていくだろう」

 

 カスパーは膝の上でこぶしを握った。


「それは……そうかもしれませんが」

「我々が守ってやらねばならないのは、騎士からの風当たりではないよ」

「……」

「王の血は厄介だからな」


 アルベルトは壁に貼られた巨大な地図に視線を滑らせる。


「それに……私としても、もう少し彼を見極めたい」

「はい」

「それから……我々自身も、自分を律しなければならん」


 カスパーの眉がぴくりと震えた。


「……それは?」

「いつか、考える時が来るだろう。

 騎士団として追い詰められた時……力を借りられないか……とな」

「……」

「彼の力を欲しない程度に、最強の辺境騎士団を作り上げないとな。

 なぁ、カスパー」


 アルベルトの口角が上がる。

 カスパーはそれを見ると、小さく息を吐き、項垂れるように頭を下げた。


「はい……。団長。

 精進します」

「おう。励め励め」


 アルベルトの笑い声が、部屋によく響いた。



 ◇



 ――ここは、異星。


 月の宮殿。


 広大な白砂利だけの敷地に、白銀の巨大な宮殿がある。その向こうには波の立たぬ凍る海が青白く沈んで見えた。


 内裏の一部屋。下ろされた御簾の内側で、脇息にもたれる銀の髪の女がいた。


 彼女が顔を上げる。


 大窓の向こうには、群青の空と大きな青い星が見えた。


「陛下」


 御簾のあちらから声がかかる。


「何だ」


 月の女王、ルナリエラは気だるげに応えた。踵に届くほどの長い髪を指先で弄りながら、星を眺める。


「ご嫡子についてご許可をいただきたい」


 ルナリエラは笑った。

 艶を帯びた甘い声だが、その金の瞳は少しも楽しそうではない。


「妾の許可が必要?

 あれこれ言いくるめて結局好き勝手するだろうに。うぬらは」

「陛下」

「騒々しい」


 ルナリエラは床に転がしていたガラス玉のような珠を二つ拾い上げると、手のひらの上で転がして遊び始めた。


「陛下」

「醜い。下がれ」


 御簾の向こうから衣擦れの音がする。ルナリエラは振り返らなかったが、向こうにいた男が頭を下げ、立ち去ったのだろう。


 影のなくなった御簾に向かって、ルナリエラは珠を投げた。それは、わずかに弾かれ、ゴトリと音を立てて床に落ちる。


「何か……奇なことはないか」


 窓の向こう。青い星の上を這う白い雲が、じわりと形を変えていく。ルナリエラは再び珠を拾うと、それを静かに眺めた。



 


 女王の御前を辞した男は、他の男達が並んで待つ別室に入る。戸が閉まるなり、男たちは膝行で彼を囲うように集まってきた。


「どうであった」


 彼は、首を振った。


 男たちはみな、揃って背が高い。銀の髪を持ち、美しい顔貌を持つ。

 そして何より、彼らはほとんど同じ顔をしていた。


 顔を寄せ合い、声をひそめる。


「どうする」

「異物は排除すべきだ」

「ルミナリスの血を穢してはならぬ」

「陛下は」

「事態を理解しておられない」


 口を閉じ、目を合わせると、互いに頷き合う。

 彼らは一人ずつ、部屋を出ていった。


 誰もいなくなった時――

 その白い部屋には、影の一つさえ、落ちてはいなかった。



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