61 言葉
国王レオンハルトは、馬車の車窓を眺めた。王族用の大きな馬車の中、足を組み、流れていく景色に目をやる。通り沿いに立つ木に隠され、ちらちらと頬にかかる日差しが揺れていた。
ふと、視線を前の座席に滑らせる。
目を見開き、肩を震わせた。
そこに座っていたのは、白い衣の銀髪の男。
「……ルミナリスの系譜の者か?」
男がゆっくりとレオンハルトに視線を向ける。
彼は小さく頭を下げた。
「我が名はルミナリスの賢者レキ。突然の訪問を詫びる」
レオンハルトは息を飲むと、姿勢を正し、レキに向き合う。
「……私に何用か」
レキは静かにレオンハルトの翡翠の瞳を見つめた。
「“憎い”か……。やはり、よくわからんな」
レオンハルトが眉を寄せると、レキは少しだけ口角を上げる。
「ルミナリスの女王ルナリエラと、あなたは何故、子をなそうと思ったのだ」
馬車の音が二人の間に落ちていた。
レオンハルトはわずかに視線を下げる。
「彼女は私の前に突然現れた。
視察に訪れた王都近くの領地で、大嵐にあって足止めをされてしまってな。一週間ほどその屋敷に閉じ込められたのだ。
その時、どうしてか彼女がいた。
誰も彼女がそこにいることに疑問を抱かなかった。
……今思えば、異能を使ったのだろうな」
王は窓の外を眺める。
王都の街並みから、やがて疎林へと景色が変わっていく。遠くには青い峰々が見えた。
「彼女と嵐の屋敷で、たくさん話をした。
美しい女性だ。
だが、何を言っても彼女は“面白い”とは言うが、決して笑いはしない。
悔しくなってな。
なんとか笑わせられないものかと、いろんな話を振ってみたものだ。
そうしてるうちに、あっという間に私が恋に落ちてしまった。
ふっと小さく笑う顔が、どうしようもなく、魅力的だったんだ」
レオンハルトは静かに聞いているレキに視線を戻した。
「だから子をなした。
――賢者殿が欲しかった答えは、これで合っているか?」
レキは、ただ頷いた。
「……感謝する」
「愛しているのか?」
レキはわずかに目を見開く。
「彼女は……元気にしているのか?」
「……はい」
「そうか。教えてくれてありがとう」
レオンハルトは柔らかく微笑んだ。
レキも、頬を緩めて、少しだけ笑んだ。
そうして、レキの姿は、空気に溶けるようにして消える。
窓から差し込む光は、座席の上で相変わらずチラチラと揺れていた。
レオンハルトはそれを、静かに眺めた。
月の宮殿。
文机で書き物をしていたレキが顔を上げると、オシが戸を開けて部屋に入ってきた。当然のように座布団と脇息を引き寄せて座る。
「具合は?」
「もう、問題ない」
「それは良かった。今度一緒に青星に行こう」
「何か調査に?」
オシがまっすぐにレキを見ながら、首を傾げた。
「遊びに」
レキが眉を寄せる。
「ちょっと行ってすぐ戻ればいいだろう。
執行者たちは毎日真面目に働いてるし、苗人が問題を起こすこともない。
強いて言えば陛下だが……。
我々がここに張り付いてなければならん理由などないんだ」
レキは視線を手元に戻した。
「まぁ……良かろう。付き合おう」
オシがふっと笑う。それから彼は、レキの部屋にあるまだ少ない書物を手に取ると、寝転がって勝手に読み始めた。
――相変わらず、この星は退屈だ。
レキが賢者の建物を離れて歩いていると、廊下の向こうからシキが歩いてくるのが見えた。
立ち止まって、待つ。
すれ違いざま、レキは微笑んで彼の肩に触れた。シキは無表情のままだが、レキの方を見て頷く。
「巡回か?」
「そうだ」
シキは、あの件について戒場に送られたものの、レキ当人には謝っていない。
――だが、レキはそれでいいと思っていた。
彼は執行者なのだから。
執行者として、その仕事を邪魔するものを退かした――それだけのことだ。
ルミナリスにはルミナリスの掟も矜持もある。
だから、それでいいのだ。
夜。
レキはその日も宵の伴に呼ばれ、ルナリエラの寝所にいた。いつものように、彼女の背に座り、髪を櫛ってやる。
大窓の向こうには、巨大な青星。変わらず青い星には白い雲が張り付き、それはゆっくりと形を変えていた。
「傷は……癒えたのか」
「はい。ほとんど治りました」
癖のない銀の髪。レキはそれを一房取ると、指先で撫でた。
「会って参りました」
「……誰に?」
「セレイヴの父に」
ルナリエラは少しだけ顔をレキに向ける。
「憎いとは、あまり思いませんでした」
「そうか」
「セレイヴは、我が友です。我が賢者になりたいと思うきっかけをくれたその友人は、彼の血を継ぐ男なのだと、思い知らされました」
「……どういう意味だ?」
「かの男は、人の心をよく理解している男だと思ったのです。我々にはない力だ」
「……なるほどな。
妾が面白く思ったのも、そのあたりだったのかもしれん」
レキがふっと笑う。
「……なぜ笑う」
「いえ」
ルナリエラが振り返った。
眉をわずかに寄せている。
「……難儀な方だ」
「妾のことか?」
「他におりますか?」
「うぬは、賢者になった途端に妾に辛辣になったのではないか?」
レキがルナリエラの頬に手を添える。
「ご自分の気持ちが、あなたには見えていないのです。
我は学ぼう。言葉と心を。
そしてできるだけ、あなたに言葉にして差し上げたい。受け取ってくださるだろうか」
ルナリエラはまっすぐにレキの瞳を見つめた。
「本当に手のかかる方だ」
ルナリエラの眉が寄る。
彼女は何か言おうとして、言葉を失った。
「お慕いしています。ルナリエラ」
彼女の目が見開かれた。
レキは小さく笑う。
ゆっくりと顔を寄せ、唇を重ねた。
この部屋は白い。
この星に許された色彩は白と青だけ。
それはとても歪で、だが、とても美しい色。
今宵も、窓の向こうで青星が美しく回っていた。




