6 遮光
「あれが……異能ですか?」
アルベルトの執務室。
父の向かう机の前、兄妹二人は表情を硬くして立っていた。
カスパーの問いに、アルベルトは静かに頷く。
「あの後、すぐにヴァルガ族の戦士たちは正気を取り戻したようでした。
だが、隙を突けたおかげで、我々は彼らを撃退できた……」
「……そうだな」
アルベルトは腕を組んだまま、机上を見つめていた。
「騎士たちも、セレイヴの異能を知ることになってしまった。
みな……動揺しています」
カスパーの声が沈み、リディアは瞳を伏せる。
「……だが、我々は彼に救われた。それは事実だ」
アルベルトの言葉に、カスパーとリディアは、静かに頷くだけだった。
後からもたらされた斥候の報告では、前線としていたその先にも、伏兵が潜んでいた。あのまま戦いを続けていたら、すでに疲弊を見せていた騎士達の被害は甚大であっただろう。
アルベルトは顔を上げ、リディアを見つめる。
「セレイヴはどうしてる」
彼女は瞳を小さく伏せたまま。
「熱を出して寝込んでいます。
もう……三日が経ちます」
「彼の様子は?」
「……会えません。一日に一度、医師の診察を受けているだけで、マティアスにも彼は会おうとはしません」
「……そうか」
誰かのため息が、執務室の絨毯に沈んで、滲んでいく。
リディアは部屋に戻るなり、ソファに身を預け、ため息をついた。
――露見するのが、早すぎたわ。
――もう少し、彼が辺境に馴染んでからであれば……。
マルグリットは、リディアの瞳を気遣わしげに見つめながら、そっと紅茶の入ったカップをテーブルにのせる。
「リディア様……」
ゆっくりとリディアが顔を上げると、脇に立ったマルグリットは静かにその肩に触れた。
「リディア様は、もちろんご存じだったんですよね。セレイヴ様の異能について」
「……えぇ」
リディアの視線がカップに落とされる。
「私は、純粋にすごい力だと思いました。怖いと……全く思わないとは言えませんが。
リディア様は、どうお考えなのですか?」
カップを持ち上げ、口に運んだ。
「分からない……とだけ」
「そうですか」
コトリ――カップを置く音が、部屋に響く。
「騎士達が彼をどう見るのか。私はその方が心配だわ」
マルグリットは小さく笑った。
「なぜ笑うの?」
「……未知のものへの忌避感と、自分に異能が使われるかもしれないという不安から、みな怖く思うのです。
そのあたりは、あまり感じていらっしゃらないご様子。
……私のお嬢様は、本当に肝が据わっていらっしゃる」
リディアは肩をすくめる。
「辺境の娘ですもの」
「さようですか」
二人で、小さく笑い合った。
天蓋の青い布が、隙間なく閉め切られている。
「……セレイヴ様。
お顔だけでも見せていただけませんか。着替えなどもお手伝いさせていただきたいのです」
マティアスは、天蓋の向こうにいるセレイヴに声をかけた。
「……必要ないよ。着替えも、水も、そこに置いておいて……自分で、やるから」
呼吸が苦しいのか、セレイヴの言葉は途切れ途切れだった。
「セレイヴ様。私はもう三日もセレイヴ様のお顔を拝見できておりません。
どうか――」
「出てって。
僕は、ずっとそう、言ってるのに……」
マティアスは、奥歯を噛んだ。
天蓋の前に置かれた椅子に、沈み込むように座る。
「セレイヴ様……」
天蓋の奥。
荒い呼吸だけが、聞こえていた。
――やがて、部屋にノックの音が落ちる。
席を立ったマティアスが扉を開けに行くと、向こうにはリディアが立っていた。
彼は後ろ手に扉を閉めながら、廊下へ出る。
「セレイヴ様に……少しでいいのです。
お会いできませんか?
……もう三日も経ちます。まだ熱は下がらないのですか?
セレイヴ様は、ご無事なのですか?」
マティアスは視線を下げ、首を振った。
「……申し訳ありません」
リディアは小さく息を吐くと、マルグリットを振り返る。
「あなたはここで待っていて」
マルグリットの眉がみるみる寄った。
「ですが」
「……命令よ」
マルグリットは苦い表情でリディアを見つめ、小さく頭を下げる。
「……ここで、私はお待ちしております」
リディアは頷いて返し、マティアスを押しのけて部屋の中へと足を踏み入れた。
「お待ちください! リディア様」
リディアは迷いなく天蓋の前に立ち、そっと布に触れた。
「セレイヴ様」
衣擦れの音。
「……また来たの……?」
「セレイヴ様。リディアです。
お見舞いに参りました。お顔を見せていただけませんか」
「……出てって……」
「なぜです」
「……どうして君はそう……」
「私は何度でも参ります」
荒い呼吸の音。
かすかに喘鳴も混ざっている。
マティアスは慌てて天蓋の布とリディアの間に、腕を伸ばして差し込んだ。
「リディア様、どうか……。
セレイヴ様は寝込まれておいでです」
「マティアス。私は彼の婚約者です」
「私はセレイヴ様の侍従です。セレイヴ様をお守りするのが私の役目」
「……婚約者である私は踏み込むことが許されるはずです」
「リディア様はまだ……ご婚約者様にすぎません。男性の寝所に踏み込むことは許されませんよ」
「……お願いだよ。出てって……」
二人はハッとして口を噤む。
リディアは一度瞳を伏せた後、マティアスをまっすぐに見つめた。
「マティアス、少しだけ時間を私にちょうだい」
マティアスは苦々しく唇を噛み、腕を下ろした。
「……セレイヴ様。
私とマティアス、それからカスパー兄様はあなたの能力も生い立ちも全て聞いています。ですが、おそらく全てではありません。
教えていただけませんか。
――あなたが、何を恐れているのか。
私たちはそれを乗り越える術をすでに持っているかもしれません。もしくは、共に考えることが出来るかもしれません」
「……でも」
リディアは、天蓋の布を掴むと強く握った。
「少なくとも、マティアスは心からあなたを心配しています。
顔を見せていただけない理由だけでも彼に……。彼にだけでもいいのです――」
「話すよ。
でも……今は……無理なんだ」
沈んだ声。
リディアはマティアスと目を合わせると、視線を下げた。
「今日は……帰ります」
布から手を離す。
彼女は、ゆっくりと扉に向かった。
絨毯は足音を吸う。
扉の閉まる音だけが、そっと部屋に響いた。
マティアスは静かに椅子に座り、瞳を伏せる。
窓には厚いカーテンが引かれたまま。隙間から差し込む光は、どこか鈍く見えた。




