55 残影
オリバーはシキの前に立ち、剣を構えた。
その背後では、マルグリットがリディアとセレイヴ、マティアスを背にし、少しずつオリバーから距離を取らせている。
シキは無表情のまま、オリバーの剣先を見つめた。
「我は、うぬに用はない。
だが、我の前に立とうというのなら、相手をする」
抑揚のない沈んだ声。
オリバーが、先に踏み込んだ。
砂埃が舞う。
まっすぐ、突き。
シキが一歩だけ身をずらし、躱される。
――だが、それでいい。
振り上げ。
薙ぎ払い。
突き上げ。
――セレイヴから使者を離せれば、それだけでいいのだから。
オリバーは歯を噛み締め、とにかく打ち込んだ。
シキは小刀で受け止め、流し、下がる。
甲高い金属の鳴る音。
繰り返し、繰り返し、打ち鳴らされる。
仄暗い闇の中、互いの瞳だけが光の筋を引いた。
オリバーの剣が鈍い月光を滑らせる。
シキの二本の刃は、淡々とそれを流し続ける。
背後、マルグリットはオリバーの意図を察して、セレイヴたちをとにかく下げた。
影の中に、彼らを押し込める。
オリバーの呼吸が浅くなっていく。
マルグリットは周囲を伺う。
彼女は声を極限まで落とした。
「お嬢様……」
剣戟の音。
砂を滑る足音。
遠くで揺れる篝火。
汗が、オリバーの額を伝う。
シキは、表情を変えなかった。
オリバーの剣を受け、少しずつ下がる。
だが、それをしばらく続けたのち、
その淡い金の瞳が一瞬動いた。
遠巻きに見ていたセレイヴの肩が、震える。
シキは、地を蹴った。
ほとんど飛ぶようにして、セレイヴたちの眼前へ。
オリバーもそれを追う。
「させるか!」
シキの衣を掴み、
その肩に剣を打ち付ける。
刃は、届いたように見えた。
だが、シキは軽く身を返す。
片腕でオリバーを払い、左の小刀を振り上げた。
鈍い光の筋。
オリバーの喉から声が漏れた。
「オリバー!」
セレイヴの悲鳴のような声。
腿に刺さる小刀。
だが、オリバーは諦めず、もう一度掴みかかる。
血に濡れた足。
それでも踏み込み、剣を振り上げる。
「走って!」
これまで剣は構えず、リディアとセレイヴを庇うだけに徹していたマルグリットは、彼らを振り返った。
リディアが驚いてマルグリットを見つめる。
「助太刀します! お三方は森へ!」
マルグリットが剣を抜く。
オリバーたち男性騎士よりも細身の剣。
女性騎士の中では抜群の腕を持つ彼女だが、男性騎士にはやはり力が及ばない。
それでも――彼女は笑った。
「絶対にここで足止めしてみせます!
森へ行けばヴァルガ族が守ってくれる!
今は信じるしかない!」
「マルグリット……でも……」
「お嬢様! 女は度胸!」
マルグリットが身を低くし、踏み込む。
オリバーと向き合っているシキの足を目掛け、素早く切り込む。
シキは見えていたかのようにさらりとそれを躱すと、マルグリットを見た。
「青星は女人も刃を持つのか」
使者の呼吸は少しも乱れていない。
オリバーとマルグリットの間に落ちる、
ほんのわずかな絶望。
二人は一瞬だけ視線を合わせ、頷いた。
口端をわずかに持ち上げる。
――辺境騎士は、こんなところで膝を折ったりしない。
同時に、シキに向かって踏み込む。
マティアスが呆然とするセレイヴとリディアを押した。
「行きましょう!
馬に乗って! 早く!」
リディアがハッとしたようにセレイヴの手を取ると三人は駆け出す。
壁沿いに駆け、厩舎の中へと入る。
馬たちが一斉に顔を上げる。
鼻を突く敷草と獣の匂い。
ほとんど明かりのない中で、手短に準備をし、馬に飛び乗る。
セレイヴはリディアの後ろへ。マティアスは一頭の馬へ。
厩舎を飛び出し、視線を国境防壁に向ける。
だが――
「セレイヴ様!!」
オリバーの声に振り返る。
途端、シキを抑えていた二人の騎士が土の上に投げ出される。
舞った土埃。
遠くの篝火の明かりが弾かれた。
彼らが立ち上がるより早く、シキが跳ぶ。
銀の髪が鈍い月光を飲み込み、セレイヴへと鋭く視線が向けられる。
「リディア様! セレイヴ様を!」
マティアスが馬を飛び降りた。
向かってきたシキに正面から身体をぶつける。
「マティアス!」
セレイヴの声。
「早く!! リディア様!!」
リディアは顔を青ざめさせたまま馬腹を蹴った。手綱を送り、馬が一気に駆け出す。
マティアスが素手でシキの首を掴む。
取っ組み合い。
だが、王都の紳士として育てられた彼は体術の経験などない。
がむしゃらにシキの衣を掴み、行かせまいと、その身にしがみつく。
オリバーとマルグリットが駆けつける。
シキは無表情のまま身体を振ってマティアスを剥がすと、小刀を振り上げた。
悲鳴。
セレイヴは振り返る。
マティアスが肩を抑えて沈む。
マルグリットが彼をかばうようにして立った。
彼女の腕も、オリバーの脚も、マティアスの肩も。
全員が血に濡れている。
「マティアス!
リディア! マティアスが! 戻って!!
マティアスが!!」
「戻りません!!」
馬が駆け出す。
「マティアス!!」
姿が、遠ざかる。
セレイヴはリディアの肩に自分の額を預けた。
たまらず、嗚咽がもれる。
「こんな……! こんなのって!!」
「泣いてはダメ!! 生きるの! セレイヴ!!」
鳴り止まない、怒声。
悲鳴。
剣戟の音。
篝火が揺れる。
それでも夜は――明けない。




