53 追影
辺境騎士団訓練場にセレイヴ達の馬が駆け込むと、すでに早馬で報せを受けていたアルベルト達が待ち構えていた。
篝火がいつもより多く灯され、広場全体がまるで燃えているかのように橙が揺らいでいる。
冬が近いというのに、熱気がこもっていた。
「お父様!」
馬に乗ったままセレイヴ達が広場に入ると、騎士たちが三騎を囲んだ。
アルベルトは、リディアとセレイヴが馬を降りるのを助け、セレイヴに黒の外套を頭から被せた。そして、そのまま抱き寄せる。
「……意味があるとは思えんが」
「閣下……」
アルベルトはセレイヴを離すと、その顔を覗き込んだ。
「弱点はあるのか。報告を聞く限り、尋常ではない手練れのようだ」
「……ほとんどないと思う。膂力も、早さも圧倒的だった。
……異能も、少なくともレキには効かなかった」
「そうか」
馬を預けたマティアスとオリバーもセレイヴに身を寄せる。
アルベルトは、セレイヴの両肩に手を置いた。
「辺境騎士団が、君を必ず守る。
君は戦闘員ではない。闇に紛れ、逃げ切るんだ。念のためとヴェスナ殿にも知らせを出した。
状況を見て森に逃げ込むことも考えろ。
――いいな」
「……はい」
「作戦会議は、済んだか?」
澄んだ声。
アルベルトが振り返ると、腕を組んだ少年が、そこに立っていた。
最年少の月の使者――キハ。
肩までの髪が、風に緩く揺れる。その大きな瞳に、篝火の火が映り込んでいた。
その瞬間――どよめきが起こる。
ほとんどの者が、月の使者を見るのは初めてだった。
少年のような姿でありながら、彼から放たれる覇気は並の騎士より上だと言える。
キハがゆっくりと騎士たちを見回すと、騎士たちはほとんど無意識に彼から距離を取って剣を構えた。
アルベルトもセレイヴを背にかばい、剣を構える。
「……確かに、“護衛”の数は多い。
だが、それでも執行者レキが異物を排除できぬほどだとは、我には思えぬ」
キハは刀を抜き、真横に向けた。
篝火の灯された広場の中央。
風が、砂塵を舞わせる。
キハの足元に、いくつも影が重なるように落ちる。
まるでここが、彼のために用意された演舞の舞台であるかのようだった。
騎士たちは誰も、声どころか呼吸さえ止めて、その姿を食い入るように見つめる。
「我が名は執行者キハ。
尊きルミナリスの御為に異物を排除せし者。阻む者は何人であっても容赦はしない」
キハは身を低くし、刀を構えた。
「さぁ! 来るがいい!」
騎士たちが一斉に地を蹴った。
群がる騎士たちに、キハは力のままに刀を振った。
風が斬られる。
その風圧だけで、騎士たちの鎧に傷がつくほどの威力。
ナガの刀が蝶のようであるとするなら、キハの剣は竜巻のようだった。
一人の騎士の胸に左手をつき、足をかけ、キハが飛び上がる。
上空から、刃を振り下ろす。
騎士たちは、思わずまっすぐに彼を見た。
その金の瞳が光を帯びる。
「見るな!!」
アルベルトが叫ぶも、騎士たちは上を見上げたまま、身動きが封じられた。
キハは着地より先に、刀を振る。
横薙ぎに、まっすぐ。
躊躇なく。
スチールの鎧が、音を立てて斬られる。
重なる鈍い音。
幾人もの騎士が、その場に膝をついた。
後方にいた騎士たちの悲鳴と怒声が上がる。
キハは、倒れた騎士たちの中央に立つと一度刀を振った。
穢れを払うかのような仕草。
「弱い」
アルベルトは眉を寄せる。
「だが――夜は長い」
少年はまばたきもせずに、アルベルトを見つめた。
「まさか、この程度で終わるわけがないであろうな」
刀を構える。
「かかってこい! 穢れし者どもよ!」
少年の高らかな声が、火の広場に澄んで響いた。
「……セレイヴ様、こちらに」
キハと騎士たちの戦闘の最中、オリバーがセレイヴの腕を引く。
セレイヴは、アルベルトたちを見つめる。だが、考えを振り切るように首を振り、オリバーに導かれるままに駆け出した。リディア、マティアス、マルグリットも続く。
厩舎の影に、彼らは静かに身を隠す。
「オリバー」
「はい」
外套のフードを深く被ったセレイヴが、その隙間からオリバーを見た。
「逃げ続けていても、解決しない」
「では、どうするというのです。
月の使者に対抗する手段は今のところほとんどありません。時間を稼いでセレイヴ様を逃がし、彼らには自ら帰ってもらうしかない」
奥歯を噛み締めているセレイヴを、オリバーは静かに見つめる。マティアスはその肩を抱くようにした。
「セレイヴ様……逃げましょう。騎士団の方たちが気を引いてくれている間に」
マティアスが顔を上げると、リディアも頷く。
「そうよ。セレイヴ、あなたが生き延びなければ、騎士団の頑張りも無駄になる。今は、逃げ切ることだけを考えるの」
リディアはセレイヴの正面に立つと、その頬を両手で挟んだ。
「どうせ、考えているのでしょう?
“僕のせいだ”って」
セレイヴは俯いたまま、リディアの手に、自分の手を重ねる。
「セレイヴ。私たちハルヴァード家は、この辺境を引っ張っていかねばなりません。
その使命を果たすためにも、まずは生き延びなければならないのです」
「……わかってるよ」
セレイヴは頷くと、顔を上げた。
「わかってる……」
金の瞳。
あれほど灯された篝火の明かりでさえ、ここまでは届かない。
それでも、その瞳はそれ自身が光っているかのように美しかった。
剣戟の音が響いてくる。
怒声も悲鳴も。
たくさんの声。
セレイヴは瞳を伏せて、厩舎の壁に背を預けた。その場にいる全員が影の中で息を潜める。
空を見上げる。
火を焚いているからか、夜空には月しか見えなかった。
その月さえ、どこか滲んでいる。
「……レキは……どうして来ないんだろう」
ぽつりと、こぼした。
――レキと、他の執行者たちは対立しているみたいだった。
「レキは――」
「来ない」
セレイヴが、顔を上げる。
眼前に、白い肌の男。
彼は手を伸ばして、セレイヴの胸ぐらをつかむと体を持ち上げた。
「セレイヴ様!」
マティアスたちの悲鳴が上がる。
「うぬが、ご嫡子か……」
オリバーがその男に体当たりをするも、彼はセレイヴから手を離し、簡単にそれを避けた。
セレイヴは厩舎の壁に背を打ちつけられ、咳き込む。それをマティアスが支えた。
淡い金の瞳。
月光よりも澄んだその瞳は、まっすぐにセレイヴだけをとらえていた。
「レキは、来ない。
今頃、ルミナリスにて血反吐でも吐いているのではないか?」
セレイヴが前に出ようとして、マティアスがそれを抑える。
「レキに……何をしたの?」
セレイヴの声は震える。
男は小刀を二本取り出すと、眼前に構えてみせた。
「異物に話す言葉など、我は待ち合わせていない」
刃に、月光が滑る。
「我が名は執行者シキ。
ルミナリスの御名において、この刃で裁きを下そう」
強い風が、吹いた。




