50 帰処
セレイヴが先に馬車から降りると、彼は振り返り、手を差し出した。リディアがおずおずとその手に指先を添える。セレイヴがその指先を握って強く引くと、体勢を崩したリディアが彼の胸に落ち、セレイヴは抱きとめる。
セレイヴがふっと笑うと、リディアも声を出して笑った。
だが、視線を感じて二人はすぐ離れた。
セレイヴはゆっくりと両手を上げる。
「……ごめんなさい」
先に辺境騎士団訓練場について待っていたアルベルトの鋭い視線を受けて、セレイヴとリディアが気まずげに俯いた。
控えていたマティアス、オリバー、マルグリットはたまらず吹き出す。アルベルトの隣りにいたカスパーは声を立てて笑った。
「君たち……日頃からそんな距離感なのか……」
「いや……その……」
「そうですよ。お二人はいつも大変仲が良いのです」
しどろもどろになったセレイヴをよそにマルグリットがそう答え、セレイヴとリディアは信じられない顔でマルグリットを見つめた。
「セレイヴ。終わったら私の執務室にきなさい。たっぷり説教してやる」
「……うわ」
背を向けて歩き出したアルベルトの後ろをセレイヴたちは続く。セレイヴの背をマティアスがさすり、オリバーとマルグリットは笑っていた。
だが、それでもセレイヴとリディアは手を繋いだまま。
目を合わせ、一緒にくすりと笑った。
騎士団訓練場の端にある棟の一つ。
団長室の他に応接室も含むその建物は、他の頑強ではあるが装飾のない建物に比べると、小ぶりで美しい建築物だった。
三角破風に旗が掲げられ、風にゆったりと揺らされている。
セレイヴたちはその建物の中へ入ると、応接室へと足を踏み入れた。
中には既に二人の人物がいた。
ヴァルガ族のヴェスナとその右腕の男。
男はセレイヴたちが森に入ったときにヴェスナまで案内した男だった。
男はセレイヴたちを見ると深く頭を下げ、ヴェスナは口端を持ち上げて不敵に笑む。
部屋には黒革張りの重厚なソファが並び、窓から差し込む白い光は、にわかにその足元に影を作り出していた。
ヴァルガ族二人の正面のソファに、アルベルトとセレイヴが座り、その背後にカスパーとリディアが立つ。
マティアスたちは壁に控えた。
ヴェスナはその高く結った赤髪をさっと一度手で払うと、その手を胸に当てる。
「挨拶は省略させてもらう。
改めて、あたしがヴァルガ族のヴェスナ。おかげさまで今は族長さ」
セレイヴが微笑むと、ヴェスナは一瞬だけ惹きつけられるように彼を見たが、すぐに視線を外す。
「協定を改めて確認したいと思ってね。
あたしたちは、あんたたちの領地には一切手を出さない。
それは誓う」
アルベルトが頷く。
「だが、あたしたちが森にいることで、まわりの国からあんたたちを実質守ってるようなものだろう?
だから、もしも、あたしたちがどこかの国と戦うことになったとき、手を貸してもらえる。そんな約束をしてもらっても良いんじゃないかと思ってね。
もちろん、あんたたちが困ったときはヴァルガ族が協力する。
――どうだい?」
セレイヴとアルベルトが視線を交わした。アルベルトはふわりと笑うとヴェスナを見る。
「いいだろう。詳細を詰めよう」
リディアは静かに彼らのやりとりを眺め、そして、セレイヴを見る。
表情が、ずいぶんと柔らかい。
時折あえてする不敵な笑みは、どこか艶を帯びている。ヴェスナたちや、アルベルトの目を躊躇することなくまっすぐに見て、こんな政治的な場所でも臆することなく意見を言っていた。
リディアは瞳を伏せ、体の前で指を組んだ。
――どうしようもなく、くすぐったい。
誇らしくて、愛しくて、たまらない。
話し合いが終わり、ヴェスナが席を立つ。
リディアの脇を通るとき、目が合った。
「あんたがセレイヴの婚約者?」
リディアはヴェスナを見据える。
協定が結ばれようと、彼女がセレイヴの肌に触れた過去は変わらないのだから、無性に腹立たしかった。
「よくあんな恐ろしい男の婚約者なんかやってられるね」
リディアは眉を歪める。ヴェスナはちらとセレイヴを見た。
彼女は艶のある瞳を細め、声を落とした。
「気をつけなよ。あいつはヤバい」
「え……?」
ヴェスナはリディアに頷いて返すと、連れの男と一緒にさっさと部屋を出ていく。
扉が小さく音を立てて閉まった。
リディアがセレイヴを見ると、セレイヴとアルベルトも席を立ったところだった。
「……セレイヴはいったいどんな脅しをかけたのです」
「へ?」
セレイヴはマティアスとオリバーを見る。
遅れて、きょとんとしたままリディアを見つめ返した。
「別に……僕たちに手を出したら容赦しないよって言っただけ」
マティアスとオリバーが吹き出す。眉を下げて、セレイヴは顎に手を添えた。
(ヴェスナに「服を脱ぐ?」とか言ったことは絶対言っちゃいけないよね……)
セレイヴは人差し指を唇に当てる。
「マティアス、オリバー、秘密厳守」
「はい」
セレイヴが部屋を出ると二人があとに続いた。リディアがアルベルトとカスパーを見ても、二人も視線を外す。
「お父様たちは、詳細をご存じなの?」
「オリバーから報告を受けている」
「では……」
「リディア……知らなくていいこともある」
「え!?」
アルベルトがリディアの横を通り過ぎ、カスパーも笑いながらアルベルトに続いた。リディアは残されたマルグリットをみたが、彼女は首を振る。
「私は詳細は伺ってません」
リディアは項垂れた。
セレイヴたちが建物を出ると、遠巻きに見ていた騎士たちと目が合った。
セレイヴが、なんとなく手を振る。
騎士たちは目を見合わせ、そして、彼らも手を振り返した。
セレイヴの頬が、少しだけ緩んだ。
厩舎にいた騎士たちも、物資を運んでいた使用人たちも、セレイヴが見ても視線をそらさなかった。セレイヴが手を振ると、みんなが、手を振り返してくれる。
馬車に乗る前。
セレイヴは立ち止まり、俯いた。
「セレイヴ様?」
マティアスが不思議に思って彼の背に触れ、顔を覗き込む。
「マティアス……僕、嬉しい……」
金の瞳が、潤んでいた。
マティアスは眉を下げ、口角を上げた。彼の肩を抱き、頭を寄せる。
「……良かったですね」
「うん」
オリバーはため息をつき、二人を見守った。
空が、青い。
冬が近づいてきた空は高く、よく澄んでいた。




