49 啓路
月の宮殿。
廊下が騒がしくなり、待機場にいた執行者たちは一様に顔を上げた。
戸が勢いよく引かれる。
長い衣を引きずって現れたのは、ルナリエラだった。眉をつり上げ、執行者らを順に睨めつけた。
彼女の後ろには、世話係として働く女人の苗人たち。彼女たちは執行者たちの目に入らないところまで下がると、震えながら平伏した。
「陛下が直にこちらにいらっしゃるとは……。何用です」
ナガが立ち上がり、ルナリエラから距離をとって向き合う。
レキとシキは座したまま、静かに様子をうかがっていた。
「うぬら! 妾の物に手を下そうとしたのか! あれは妾のものだ! 何故壊すことが許されると思った!
――執行者ごときが立場を弁えよ!」
キハが立ち上がり、ナガの横に並んだ。
「陛下! お言葉ですが、あのような醜き異物を放置されてはなりません!
あれは穢れに他ならないのです!
ルミナリスが穢されてしまう!」
ルナリエラは少年まで早足で近づくと、こぶしでその頬を強かに打つ。
乾いた音が、静かな宮殿にいやに響いた。
キハは口を拭うと、まっすぐに女王を見据える。
「貴様なぞ、幼体から脱しただけの青臭い分際で……妾に意見しようというのか」
キハは視線をそらすと、ルナリエラはもう一度こぶしを振り上げた。
「陛下……」
ナガの声に、ルナリエラはこぶしをゆっくりと下ろす。小さく息を吐き、執行者たちを見据えた。
真っ白なこの部屋には影さえ落ちず、窓の向こうの藍の空だけが、沈んで見える。
「全員、戒場に行け。戒者には人を走らせる。
うぬらが立てなくなるまで、打たれ続けよ」
キハは瞳を伏せ、俯く。
ナガはちらと、座ったままのレキとシキを見た。
「陛下……。レキはずっとご嫡子の排除には反対しており、此度の件も、止めたのはレキです。また、シキは関わっておりません」
「だから何だ」
ルナリエラはまっすぐにナガを睨みつけている。
レキは立ち上がると、ナガの肩に手を置いた。
「ナガ……良い」
「だが……」
レキがルナリエラに向き合うと、彼女の瞳が一瞬だけ揺れた。
レキが、頭を下げる。
「陛下。戒場へ向かいます」
ルナリエラは彼らに背を向けた。
廊下にいた苗人に「戒者に伝えよ」とだけ声をかけると、そのまま歩き去っていく。
彼女の足音が聞こえなくなるまで、四人は動かず、立ち尽くしていた。震えるキハの肩を、ナガがそっと叩いた。
戒者コルが、顔を上げた。
「来たか。一人ずつ、衣を脱げ」
真っ白い部屋。
コルは部屋の中央に立ち、鞭を手に持って執行者たちをただ見つめる。
「キハ。お前からだ。お前の暴走が原因なのだから腹をくくれ」
少年のキハはわずかに眉を下げてナガを見た。無言で頷き、中央に進み出る。上衣をはだけさせて背を露出させると、コルに背を向けて座った。
鞭が振られる。
短い声が、漏れた。
「レキ。お前は最後だ。
執行者の中では一番身体能力が高い」
レキがナガを見ると、ナガは打たれるキハを見つめていた。
「動けなくなった執行者を端に寄せるのがお前の仕事だ」
「……そうか」
何度も、鞭が振られる。
いつもの回数より、ずっと多く。
「レキ」
これまで一言も話さなかったシキが声をかけた。部屋の端に座り、痛めつけられる仲間を見つめながら、静かに並んで自分の番を待っている。
シキは声をかけておきながら、視線はレキには向けなかった。
「シキは……やはり排除すべきと思うか」
「思う。例え陛下に殺されたとしても、我らの使命だからな」
「……そうか」
「……お前は」
レキがシキの横顔を見る。いつもより、その瞳はわずかに澄んでいるように感じてしまった。
「お前は、我らとは違う。オシも言っていた。レキは賢者になれると。
だから、我らとは異なるものがお前には見えているのかもしれない」
「シキ」
「だが、我はそれを羨ましいとはあまり思えないのだ。
憐れだと――思っていた」
シキがゆっくりとレキの方を向く。
「見えすぎているお前は、よく苦しんでいるように我には見えたからだ」
鞭の音が部屋に響き、鈍い音も重なる。
「レキと我は、同じ頃に生まれた。
だが、レキ……お前だけ行ってしまうのだな」
「……」
「ナガが倒れた。次は我だ。
レキ、ナガを端に横たえさせてやれ」
二人は立ち上がる。
不思議と、シキの顔はさっぱりとしていた。
香室。
寝そべり、火のついていない香を指先でいじって遊んでいたオシは、戸が開くと少し驚いたように顔を上げた。
「レキ。もう動けるのか」
「一日は動けなかった」
起き上がると、オシは脇息をレキの方に押しやる。レキはありがたく脇息を借りて座ると、それにもたれるようにした。
「まだ痛そうだな」
「キハなど……熱が出てしまった」
「まだ身体が出来上がっていないんだ。可哀想に」
レキは部屋を見渡した。
広い部屋ではない。
だが、物のないこの星の中で、唯一、物が溢れた場所。書棚には書物が詰められ、棚には彼がかき集めた香の道具がきちんと並べられている。時折一人で異星へ出かけては香の材料を集め、自分で作って遊んでいるのだ。
――自分も、このように何かを集めたくなるのか。
――何かを所有したいと、願うようになるのだろうか。
「決めたか」
オシは楽しそうに口元を緩くしていた。
レキは彼を見つめる。
そして、頷いた。
「オシ。我を賢者に引き上げてくれ」
「何故、レキは賢者になりたい」
レキの金の瞳に、一瞬、光が灯った。
「……陛下を。彼女のことをちゃんと知りたい」
「いいだろう。陛下に願いでよう」
オシが微笑む。
執行者の誰もしたことがない、柔らかい表情。
――あんな顔も、自分はいつか、できるようになるのだろうか。




