46 観測
マティアスは、苦く笑った。
月の使者レキは、あの日以来たびたびセレイヴのところへ来るようになった。はじめこそオリバーと共に腰が抜けるほど驚いたが、当のセレイヴが少し嬉しそうに「友達になった」などというので、様子を見ている。
今夜も、マティアスが下がろうという時間に現れた。
マティアスは二人の前にそれぞれ就寝前の茶の入ったカップを並べる。セレイヴは「ありがとう」というが、レキは微動だにせず、目も合わせなかった。
壁に下がり、オリバーと並ぶ。セレイヴは要らないというが、さすがに月の使者と二人きりにはできなかった。
「レキ」
レキが視線だけをセレイヴに向ける。
「ルミナリスには、植物はあるの?」
「ほとんどない」
「そうなんだ」
セレイヴとレキは、そんなに多くの会話をするわけではない。セレイヴがレキに何かを問い、レキがぽつぽつと応えるだけだ。互いに黙って空を見上げている時間の方が長い。
「今度さ、僕の異能を見てくれないかな。いまだに少し漏れちゃってるんだ……」
「我とうぬの力は異なる」
「でも……なんとなくわかるでしょ?」
「力が漏れていることは、我にもわかる」
「じゃ、次回は外で話そ」
「……良かろう」
オリバーはそんな二人を、どこか楽しそうに見つめていた。その横顔を、眉を寄せてマティアスは見る。
「……オリバー卿」
「……なんだ?」
「なぜ笑っているのです」
「やはりセレイヴ様はすごいなと思って」
マティアスはセレイヴとレキを見つめ、小さく息を吐いた。
「抑圧された環境にいた方ですからね。以前はかなり頑なでしたが、本質的には人懐こい方ですから……」
「さすが俺が惚れただけあるお人だ」
マティアスは苦く笑う。
やがて、レキは空気に溶けるようにして姿を消した。セレイヴは静かに振り返ると、マティアスとオリバーに向かって淡く笑む。
「……下がっていいよ。僕も寝る。おやすみ」
マティアスとオリバーは頭を下げ、部屋を出た。
――こんな日が、数日に一回、続いている。
月の宮殿。
レキが執行者たちの待機場に入ると、シキ、ナガ、キハは揃って顔を上げた。
「レキ」
声をかけたのは、一番若いキハだ。膝行でレキに近づくと、まだ立ったままの彼を見上げた。
「連日青星に行っているというのに、なぜ排除しない。お役目を果たせていないのではないか」
「以前も申したが、陛下はご嫡子の排除を許可していない」
レキが空いた席に座ると、シキは静かにレキを見つめ、年長のナガはキハの方を見ていた。
「そんなに難しいのであれば、我らも協力しよう。ご嫡子には護衛がついているという。それが厄介なのであろう?」
「キハ、陛下が排除を許していないのだ」
キハはまた口を開けようとしたが、レキの視線がキハから後ろの二人に滑るのを見て、口を閉じた。
シキがゆっくりと口を開ける。
「レキ。我らの役目は異物を排除し、陛下のルミナリスをお守りすることだ。
陛下が望まれないとしても、異物は排除すべきではないか」
「シキも、そう考えるか」
「我らに求められるのは、それだけだ」
レキはずっと黙っているナガを見た。
「ナガは……どう考える」
「排除はすべきだ。それが我らに与えられた使命。疑問を抱くことさえ、本来は良からぬことだ」
「……そうか」
レキは、膝のうえでこぶしを握った。
なぜ、自分があの男を排除しないのか、レキ自身でさえ、わかってはいない。
夜。
レキはまた宵の伴に呼ばれ、ルナリエラの寝所に入った。彼女はいつものように脇息にもたれ、レキは彼女の背に回ると、その髪を櫛る。
「うぬは……どこへ行っている」
「……昨晩のことでしょうか」
「そうだ。その前も席を外していただろう。伴に呼んでも、うぬは応えぬ」
「……呼ばれれば必ず来ております」
ルナリエラが振り返り、櫛を持っていたレキの手首をつかんだ。
「妾を放ってどこへ行くというのだ。うぬは妾を守るのが使命であろう。何故それほど頻繁に席を外す」
金の瞳同士が、交わる。
「……陛下が、問われたのです」
ルナリエラの眉がわずかに寄った。
「我に“憎いか”と。
我はその答えがどうしても分からず、青星のご嫡子を観測することに決めたのです」
「……セレイヴに会いに行っているのか」
レキは応えなかった。
ルナリエラはレキの襟をつかむと、彼の顔を無理やり寄せる。
「陛下は……我に何を求めておられるのですか」
女王は息を吸い、レキに顔を寄せてその唇に触れた。
そして、彼の唇を強く噛む。
レキの肩がわずかに震えた。
鉄の味が、鈍く広がる。
視線を絡ませたまま、ルナリエラは彼を離れると、その胸元を殴りつけた。細い腕、執行者たるレキにとっては痛くもかゆくもないことだが、彼は静かにルナリエラを見つめた。
「……もう良い。継ぎを渡せ」
ルナリエラはレキを置いて立ち上がると、布団の上に寝転がる。レキはそれを静かに見つめ、やがて彼も立ち上がった。
彼女の脇に腰を下ろし、その衣に触れる。
「レキ」
レキが視線を上げた。
「妾の名を呼べ」
彼は、小さく首を振る。
ルナリエラが眉を歪めるのを見て、レキは少しだけ口を開けた。
だが、その口から言葉が出てくることはなかった。
彼は唇を固く結ぶと、瞳を伏せ、ルナリエラの肌に触れた。
窓の向こう。
青星が、ゆっくりと回っている。




