43 月問
月の美しい晩だった。
マティアスを下がらせたあとも、なんとなく寝付くことができず、セレイヴは出窓に佇んで夜空を見上げていた。
雲は無く、いくつもの星が丸い月の周りに散っている。小さな星の集まりは、河のように藍の空を白く滲ませていた。
遠くの暗がりの中には国境防壁がある。かすかに篝火は見えるものの、王都に比べると辺境は明かりが少ない。ここは、星がよく見えた。
そっと、窓ガラスに指先を触れさせる。
それは、ひどく冷えていた。
「僕を産んだ人は、僕のことをどう思っていたんだろう……」
「それは我も知りたい」
突然返された声に、セレイヴは驚いて振り返った。
「……レキ」
手を伸ばせば触れ合える程の距離に、背の高い男。癖のないまっすぐの銀髪は背に流され、狂いなく着付けられた白い衣は鈍く月明かりを返している。
切れ長の金の瞳が、まっすぐにセレイヴを見つめていた。彼は表情を変えないまま、ゆっくりと、確かめるようにセレイヴの全身を見る。
「うぬは何故死なん」
「……え?」
まばたきもせず、その金の瞳はセレイヴの同色の金の瞳を射抜いた。
「何故異物のくせに生き続けようと考える」
レキが一歩、セレイヴに寄る。
セレイヴは息を呑んで、レキの瞳を見据え返した。
「うぬ。もし我がうぬを憎いと思うとしたら、何故だと考える」
「……え?」
レキがさらに歩を進め、腕を伸ばす。片手でセレイヴの顎を強く掴んだ。
「……異物……だから?」
レキは表情を変えない。
「……この星の血が混ざって……醜いから?」
レキは、かすかに首を傾げた。
「うぬは、陛下に似ていないな」
セレイヴは目を見開く。
「僕……似てないの? でも、顔も体型も、髪色や瞳の色だって……“ルミナリスの系譜”ならではだって……みんな言うよ」
「姿形は似ている」
「……どんな人なの……?」
「美しい方だ。うぬとは違う」
セレイヴは眉を寄せた。顎に添えられた手に触れるも、びくともしない。
「何故陛下は、うぬの排除を許可されないのだ」
「……え」
「何故陛下は我に“憎いか”とお聞きになったのか」
「……そんなの、僕にはわからないよ。
もしかしてレキは……悩んでいるの?」
レキのセレイヴの顎を掴む手に力が込められる。セレイヴの喉からかすかにうめき声が漏れた。
「レキ……僕と話をする?
僕も……“陛下”について聞いてみたいんだ……」
「何故異物などと対話せねばならんのだ」
「レキから話しかけてきたんだろう?」
レキはセレイヴの顎から手を離すと、懐に手を差し入れる。小刀を一本取り出した。
それを、テーブルに静かに置く。
「うぬに譲ろう。我が持つ隠し刀だ。自刃に使え」
白い木製の鞘に収められた小刀。それは、月明かりを鈍く滑らせていた。
「……レキ」
「そうか……。我は悩んでいるのか」
レキがゆっくりと顔を上げると、金の瞳同士が絡まる。
「また来る」
セレイヴが何か言う前に、その姿は月光に溶けるようにして、消えてしまった。
「……また来るの?」
レキに掴まれた顎をそっと擦る。レキからは以前のような強い殺意は感じなかった。セレイヴを観察するかのように、彼は静かに見つめていた。
「……何かあったのかな」
セレイヴは籐椅子に腰掛ける。
「……余計眠れなくなっちゃった……」
夜空を見上げた。
丸い月は、静かにそこに一つだけ浮かんでいる。
王都。王宮の一室。
セレイヴの父、国王レオンハルトは執務机に向かい、書簡を静かに読んでいた。手元の燭台の明かりがかすかに揺れる。壁の燭台には、今は明かりは灯されていない。卓上の明かりだけが、彼の手元を鈍く照らしていた。
艶のある黒髪。その翡翠の瞳に、橙が映り込んで揺れる。口元は、少しだけ緩んでいた。
「……セレイヴ。辺境にも馴染んできたみたいだな。アルベルトに預けて良かった……」
書簡を丁寧にたたみ、引き出しにしまう。彼は立ち上がると、背後の大窓へと近づいた。厚いカーテンを指先でめくり、夜景を眺める。
城下街が見下ろせる。夜になっても、あちらこちらで篝火がともされ、働く人間の気配がする。煙突からは灰の煙が幾本も吐き出されていた。
セレイヴの育った大きな街。
彼の養父母から連絡をもらうまで、こんなに近くに我が子がいるとは知らなかった。そもそも、ルナリエラが妊娠していたことさえレオンハルトは知らなかったのだ。
レオンハルトは小さく息を吐いて街を見下ろす。
やがて、空を見上げた。
ぽつりと浮かぶ満月。
彼女と過ごしたのはたかだか数日のことだ。だが、彼にとってはとても鮮烈で、美しい数日だった。
「……もう二度と、会えはしないのだろうな」
彼の正妃は、嫡男を産み落として数年後に流行病により儚くなっている。その後も彼は愛妾を抱えることも、後妻を娶ることもなかった。単に忙しくて考えるのが煩わしかっただけだが、ずっと、彼は独り身でいる。
なぜ、彼女を無理にでも娶らなかったのかと、彼は考えてしまう。
「……閉じ込めたところで、どうにかできる女性ではないだろうけどな」
細く、ため息を吐いた。
ふいに、振り返る。
視線を感じた。
闇の落ちた部屋。
燭台の蝋燭は、短くなっている。
何かが、揺れた気がした。
蝋燭の火が小さく爆ぜる。
それ以外、自分の呼吸しか、ここには音がない。
――気のせいか。
レオンハルトは、カーテンを閉じた。




