42 手紙
「うーん……」
セレイヴが唸り声をかすかにあげると、リディアはその腕の中で笑いながら振り返った。
馬が草原を駆ける。
セレイヴとリディアは一頭の馬に共に乗り、マルグリット、マティアス、オリバーの三頭もそれに続くようにして駆けさせていた。
セレイヴの銀髪が風になびくのを、リディアは目を細めて見つめる。
「どうしたのです?」
「リディアを前に乗せて馬に乗ったら、抱きしめ放題だな……って下心があった」
「素直でいいですね」
「でも、馬の扱いに必死で、あまり堪能できていないって気づいた。僕にはまだ早かった」
「私が手綱を取りましょうか」
「……ちょっと格好がつかないな……」
リディアが笑いながら手綱を取ると、馬の脚を早めさせた。
「わっ」
「ほら、しっかり抱きつかないと落ちますよ」
セレイヴは慌ててリディアの腰に腕を回し、強く抱く。二人は、声を合わせて笑った。
突然速度を上げたリディアたちの馬に、淡々とマルグリットたちも速度を合わせると、三人はちらりと視線を交わす。
「お世継ぎも早そうですね」
「まだご結婚前です。下世話ですよ」
マルグリットの言葉にマティアスがかすかに眉を寄せると、オリバーは苦く笑った。
「ちなみに、マティアス卿は婚約などの話はあるんですか?」
「え?」
マルグリットのまっすぐな視線。
オリバーからも視線を感じる。
マティアスはきょとんと二人を見た。
「……王都にいるときはそんな話も持ち上がりましたが、辺境行きが決まって流れました。セレイヴ様が落ち着いてから、政治的な局面も見て決めるつもりです」
「つまり、婚約者様は現在はいらっしゃらないと」
「え? えぇ、そうですね」
「背の高い女性はどうですか? 戦闘能力もあります。性格は悪くなく、知能も低くはありませんが、空気が読めないとよく評価されます。――そんな女性は?」
オリバーがたまらず声を上げて笑い出した。
マティアスは手綱を握りながら眉を歪める。
「騎士の女性の方でしょうか……。どうでしょう……?
セレイヴ様はご結婚されたら、国境防壁より少し離れた街へ住まいを移されるご予定です。貴族女性……もしくは庶民の中の上流階級の女性を娶るほうが現実的に思いますが……」
マルグリットがオリバーに馬を寄せた。
「想像以上に脈がなさそうです」
「あっはっは。全然意識されていないじゃないですか!」
「最悪、政略結婚に持ち込みますから」
「意外と本気ですね」
マルグリットが不敵に笑うと、オリバーは目を細めてそれを見返した。当のマティアスは、もう我関せずとセレイヴとリディアの馬だけを見て手綱を握っている。
空には細い雲が流れ、少しだけ花の香りを含んだ風が吹いていた。
白樺に囲まれた湖。鉛色の湖面に白い幹が逆さになって映り込んでいる。
草地に敷かれた布に、セレイヴとリディアは並んで座った。リディアはマルグリットに手渡された袋から、携帯飲料と硬く焼いたビスケットを取り出す。
「あ、そのビスケット、久しぶりだね」
「はい。これは、騎士団でも野営の際に持ち込むものなのです。日持ちもしますし……。携帯食は味気のないものが多いですから、甘みのあるビスケットは人気があるのです」
一枚取り出し、セレイヴの口へ。セレイヴがゴリゴリと音を立てて噛んでいるのを見て、リディアは小さく笑う。
「少し口の中で転がして、水分を含ませてから食べると、食べやすいですよ」
「あ、そうなんだ」
湖の向こうで、水鳥が水面を渡っている。時々羽を震わせては、鳴き声をあげたりしている。
「……セレイヴは、手紙は書いているのですか?」
セレイヴがゆっくりとリディアの方を向いた。
「……誰に?」
「ご両親に」
「……養父母のこと?」
「……えぇ」
セレイヴは、前を向く。
風がゆったりと吹いた。セレイヴの長めの前髪が一度ふわりと持ち上げられ、また落ちてきた時には、彼の瞳を隠してしまう。
「……書いてないよ」
リディアはその白い頬を見つめた。
「その……お父様はあなたを受け入れる前に、あなたの生育環境を調べられたそうです。その調査結果では、セレイヴは大切に育てられていたようだと……。
お手紙を書いて送って差し上げたら、喜んでいただけるのでは?」
「それは、どうだろう」
セレイヴは自嘲気味にふっと笑う。
最近のセレイヴは、朗らかだった。
もともと表情が豊かな方ではないようだが、それでも淡く笑っていることが多い。マティアスやオリバーと談笑している姿もよく見られる。
だが、今湖を見ているセレイヴは、辺境へ来た頃の彼を思い出させるほどに、頑なに見えた。
「セレイヴ」
リディアはたまらなくなって、その腕に触れる。
「……僕の養父母は、庶民の中ではとても裕福だった。使用人も少ないけど、いた。後継ぎもちゃんといた。だけど、彼らが若い頃に生まれた彼はとっくに独立して、違うところに暮らしてた。連絡は手紙くらいしか取ってなかった。
つまり、生活に余裕があって、子育て経験があって……。だけど僕を疎むような人は身近にいない。
きっと――すごく都合が良かったんだと思う」
水鳥が一斉に飛び立った。
「思うんだ。僕を産んだ月の女王は、彼らを魅了して、僕を押し付けたんじゃないかな……って」
リディアは、息を呑む。
「……だから、なんか……申し訳なくて。……手紙を書こうとは思えないんだ」
セレイヴは、腕に添えられていたリディアの華奢な指先を取ると、そっと口づけた。
「……僕がいなくなって……ほっとしてるかも」
「そんなこと――」
「そんなことないって、本当に言える?」
リディアを見た金の瞳は、いつも通り美しいのに
――どこか遠いところを見ているかのように、リディアには感じてしまった。




