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4 若月


 木漏れ日が下草を濡らしている。

 

 辺境伯邸内の庭。並ぶ木立の小路。

 その入り口に立ち、リディアはセレイヴを迎えた。


「お待ちしておりました」


 リディアは淡く笑む。

 彼女が纏うのは、脛までの長さの簡素なドレス。王都の令嬢達が着ている引きずるようなドレスとは異なる、辺境の令嬢らしい装いだった。

 

 マティアスに付き添われてやってきたセレイヴは、リディアから視線を逸らしながら、小さく頭を下げる。


 セレイヴがリディアに並ぶと、二人はゆっくりと小路を歩き出した。マティアスとマルグリットは、彼らから離れて後ろを歩いている。


「婚約者同士ですもの。お話させていただきたくて。来てくださって嬉しいです」

「……」


 リディアが彼の横顔を見ると、彼は木立の向こうを見つめていた。金の瞳に葉の緑が映り込み、水彩画のように淡く滲んでいる。


「セレイヴ様はどのようなところに住まわれていたのですか?」

「……王都に」

「お優しいご両親だったと」


 セレイヴがふっと自嘲気味に笑った。


「実の親ではなかったけどね」


 ――いつも、低く抑えられた声。

 

 リディアはその白い頬を見つめる。透き通るような肌だが、血色は悪くない。だが、銀の長めの前髪が彼の頬に触れ、表情を隠そうとしている。


 ――感情を抑えているのか。

 ――見せないようにしているのか。

 どちらかしら?


「ここより、王都は暖かいのですよね」

「……そうだね。でも、どこもかしこも石畳で、植物は少なかった。ここの方が……」

「辺境が気に入っていただけましたか?」

「……」


 セレイヴは口を噤んでしまう。


「では、今度、共に街を歩いてみましょう。辺境の者たちはセレイヴ様をきっと歓迎しますよ」

「……それはどうだか」


 セレイヴの視線が揺れる。


 ふいに、彼がリディアの腕を掴み、強く引き寄せた。

 リディアの頬がセレイヴの肩に触れる。


 背後で、マルグリットが剣を抜きかけ、マティアスが眉を寄せて彼女を見据えた。


「……蛇」


 セレイヴの視線の先。

 リディアもそれを目で追うと、小路の上に小さな蛇がいた。


 彼女はセレイヴの瞳を見つめる。

 彼は、それでも目を合わせようとはしなかった。


「……ありがとうございます。助けてくださったのですね」


 蛇はするりと逃げ出し、木立の下草に紛れて見えなくなる。

 セレイヴはほっと息を吐くと、リディアの腕を離して彼女から距離をとった。


 リディアは触れられた腕に、そっと手を添える。


「辺境にはよくいるのです。

 毒のないものですから……」

「……そう。ごめん」


 セレイヴがゆっくりと歩き出す。リディアはそれに並びながら、彼の顔をのぞき込んだ。


「……なぜ謝るのです?」

「……触れてしまったから」


 セレイヴが立ち止まる。


 視線を下げ、やがて踵を返した。


「……やっぱり、帰るよ。

 散歩に誘ってくれてありがとう。

 ……でも、もう……本当に、放っておいて欲しい……」


 すれ違う。

 リディアが彼の腕を掴んだ。


「森と街、どちらがお好きですか?

 私は乗馬もできます。もしご興味があれば、ご案内できます」


 セレイヴは眉を寄せて一瞬だけリディアを振り返り、掴まれた腕を見る。


「マティアス」


 セレイヴに突然名を呼ばれたマティアスは、慌てて背筋を伸ばした。


「は……はい!」

「君は馬に乗れるの?」

「……大人しい馬であれば」


 金の瞳が、リディアの若葉色の瞳を一瞬だけ見た。


「行くなら、僕はマティアスの馬に乗る」

「……ご一緒してくださるのですか?」


 ふいっと、彼は顔をそらす。


「……君は……諦めなさそうだから。

 一度だけ」


 リディアが腕を離すと、セレイヴは一度も振り返らずにもと来た道を戻っていった。


 その背を、リディアは静かに見守る。


 同じようにセレイヴとマティアスを見ていたマルグリットを見て、リディアはふっと笑った。


「マティアスに負けてしまったわ」


 リディアを振り返ったマルグリットは、眉を下げ、肩をすくめて笑った。





 アルベルトは窓のカーテンに手をかけた。

 彼の執務室の窓の向こうに見えるのは、辺境伯邸庭園、その奥に広がる騎士団訓練場と領地内の森、そして石の国境防壁。


 防壁に太陽が触れている。


 金色に滲むそれを、彼は目を細めて眺めていた。

 

「……父上」


 ゆっくりと振り返れば、嫡男であるカスパーが表情を硬くしてそこに立っている。


「ヴェルグラの森が、少し騒がしくなっています」

 

 アルベルトは腕を組み、窓枠にもたれた。


「君はどう見ている?」


 白髪が混じり始めた黒鳶色の父の髪は、光を弾き、艶を帯びる。それをカスパーは静かに見つめてから、わずかに視線を下げた。


「ヴァルガ族の次期族長争いが起きているようだと報告が上がっています。こちらにちょっかいを出すことで、力比べをしているのでしょう。

 策もなく、突然仕掛けてくる可能性があります」


 アルベルトは鼻からゆっくりと息を吐き出すと、壁の地図をちらと見る。

 辺境領の向こうに広がっている深い森。国と国を隔てる広大なヴェルグラの森には、いくつもの部族が暮らしている。


「こちらに構わず、勝手に殺し合いをしていればいいものを……」

「父上」


 責めるようなカスパーの口調にアルベルトは苦く笑い、息子の顔をまっすぐに見た。


「だが、火の粉は払わねばならん」


 カスパーは頷く。


「数としては、我が辺境騎士団の方がはるかに多い。

 だが、ヴェルグラの森は深すぎる。

 そして、彼らの戦い方は無謀だ」


 息子はわずかに身じろぎをし、奥歯を噛みしめた。


「戦いにくい」


 陽が、壁の向こうへと沈む。


「いつでも打って出れる準備はしておけ」

「はい」


 二人の影は、闇へと溶けた。





 夜半。

 

 けたたましい鐘の音が夜を裂いた。

 見張り塔から鳴らされる、警鐘。

 辺境領がざわりと震えだす。


 空には三日月。

 それだけが、静かに森を見下ろしていた。


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