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39 結縁


 アルベルトの前に、セレイヴは立つ。

 彼の背、少し離れたところでマティアスとオリバーが控えた。


 風が、吹いた。


 二人の間にかすかに砂埃が舞う。


 騎士たちは息を呑んで彼らを見守っていた。


「閣下。

 僕のわがままを聞いてくれて……ありがとうございました」

「君が無事に戻ってくれて良かった」


 アルベルトは白髪が混ざり始めた黒鳶色の髪に少しだけ触れた。そして、穏やかに笑う。


 セレイヴはそれに頷いて返すと、ゆっくりと彼らを囲っている騎士たちを見回した。


「騎士の皆さん!

 これまで……たくさん負担をかけてしまった……。

 僕の血筋や立場を思うと、きっと頭を下げてはいけないのだと思う。

 よく戦ってくれた……そう言うべきなんだと思う。

 でも、僕はそれをうまく言えない。

 失われてしまったものは……もう戻らないから」


 騎士たちの表情が沈む。


「だから、考えたんだ。僕にできること。

 ……僕は、ヴァルガ族の次期族長候補ヴェスナと対話をしてきた」


 ざわりと空気が揺れた。

 アルベルトの背後にいたカスパーとリディアの顔から血の気が引く。


「マティアス」


 セレイヴがマティアスを振り向くと、彼はセレイヴの前で跪き、一枚の紙をセレイヴに

差し出す。


 セレイヴはそれを高く掲げてみせた。

 

 書かれた文字は、騎士たちに見えはしないだろう。

 それでも、彼は高く掲げた。


「ヴェスナと話した。

 そして、彼女は僕に誓った。

 僕が彼女を族長として推薦する代わりに、辺境伯領には一切の手出しをしない、と。

 ここに、血判もある」


 騎士たちは夕陽を返すその紙を、息を呑んで見つめる。小さな赤い印がわずかに見えた者もいた。


「少しだけ脅したから、族長交代もすぐになされるだろう……と思う」

「あれを“少し”と言いますか……」


 オリバーの言葉に、騎士たちはぎょっとし、マティアスは吹き出している。


 セレイヴは表情を変えないまま、紙を両手で持ち、アルベルトに向き合った。


 セレイヴはアルベルトの前に、片膝をつく。

 まっすぐにその若葉色の瞳を見上げた。


「王族の血、ルミナリスの系譜、それを継ぐ僕セレイヴは、辺境伯ハルヴァード閣下に、これを捧ぐ」


 セレイヴが差し出した一枚の紙をアルベルトが両手で受け取る。


「僕には武力はない。

 だけど、僕は僕のやり方で、辺境伯領を守っていきたいと思う。

 僕が生きているうちは、ヴァルガ族にこの約束を違えさせることはない。

 長い月日の間に、また交渉する機会も得られるだろう。

 永年の和平まで、僕は尽力する」


 アルベルトは目を柔らかく細め、口角を上げた。


「これはとんでもない偉業を成し遂げたものだな」


 視線を交わらせ、互いに頷き合う。


「……僕には、欲しいものがある」

「言ってみなさい」


 セレイヴはアルベルトの後方にいるリディアに視線を滑らせた。

 不安そうに胸の前で手を組み、こちらを見つめている。


 一度瞳を伏せ、再びアルベルトを見上げた。


「辺境伯ハルヴァード家の令嬢、リディアとの結婚を、改めて認めてほしい」


 アルベルトはきょとんとセレイヴを見下ろす。

 それから声を立てて笑い出した。


「いいだろう!

 リディアとの結婚を認める!」


 アルベルトはセレイヴの前に屈むと、セレイヴを思い切り抱きしめた。


「セレイヴ!

 本当に良くやった!

 ヴァルガ族との協定締結は辺境の長きにわたる悲願であった!

 君を我がハルヴァード家に喜んで迎えよう!」


 遅れて、騎士たちから歓声があがる。


「僕も……辺境の役に立てたかな……」

「当たり前だろう!!」


 セレイヴもアルベルトの背に腕を回して抱き返した。

 だが、アルベルトはすっと声を潜めた。


「……だが、一つだけ言っておきたいことがある」

「え?」

「娘にはまだ手を出すなよ」


 セレイヴの顔がわずかに色が悪くなる。


「手を出すっていうのは具体的に……」

「手をつなぐまでだ」

「……キスもだめってこと……?」


 アルベルトがセレイヴを離し、両手で顔を強く挟んだ。


「だめに決まってるだろう!!」

「わぁぁ! ごめんなさい。もうしちゃった!」

「大人しそうな顔してこの男は……。

 許さん!」


 オリバーとマティアスはセレイヴの背後で笑っていた。

 騎士たちの声にかき消されてよく聞こえていなかったカスパーとリディアは不思議そうな顔をして彼らを見つめている。

 

 騎士たちの歓声には、喜ぶ声の他に感謝や、セレイヴへの謝罪の声も混ざっていた。

 それは地平を渡り、どこまでも響いていくようだった。





 籐椅子に腰掛けていたセレイヴは眉を寄せて来訪者を見つめた。

 窓の外はもう夜。白い月が静かに浮かんでいた。

 部屋には鈍い燭台の明かり。

 セレイヴ自身ももう寝支度を整えて夜着をまとっている。


「……リディア」

「その……夜ですが……。

 どうしても会いたくて」


 マティアスが頭を下げて、静かに退室していく。

 

 リディアは静かにセレイヴの前にくると、当たり前のように彼の膝に座った。


「……大胆すぎるよ」

「私たち、もうちゃんと恋人同士なのですよね?」

「……そうだよ」


 リディアがセレイヴに顔を寄せ、触れるだけのキスをする。

 セレイヴは眉を寄せた。


「君のお父さんに手をつなぐより先のことはしちゃだめって怒られたよ」


 リディアが声を出して笑う。

 セレイヴは彼女の若葉色の瞳を見つめながら、その腰をそっと抱いた。


 彼女は顔を寄せて、セレイヴの額に自分の額を当てる。


「知ったことではありません」

「さすが強気な子」

 

 二人でくすくすと笑った。

 リディアが彼の頬に手を添える。


「セレイヴ。なぜ、ヴァルガ族に交渉に行くって言わずに行ってしまったの?

 すごく心配しました」

「……ごめんね。上手くいくかわからなかったし……」

「次に何かするときは、ちゃんと私にも教えてほしい」

「うん」


 セレイヴはリディアの腰に回した腕にそっと力を込めた。


「……細いね。異能なんか使わなくても、壊してしまいそう」

「……見てみたいですか?」

 

 不敵に笑うリディアに、セレイヴは眉を寄せる。


「そんなことしたら、僕、結婚する前に閣下に殺されるのでは……」


 リディアがまた笑った。

 それを、セレイヴは愛おしそうに見つめる。


「……リディアの大好きな辺境を、僕、守れたかな」


 リディアは、彼に抱きついた。

 燭台の橙の光は、淡く、二人を染めている。


「えぇ。守れたわ。

 セレイヴ、格好いい」

「本当?」

「大好き」

「うーん……。キスがしたいんだけど」

「さっきもうしたではないですか。

 言わなきゃわからないわ」

「君が夜にこの部屋にいる時点で、結構問題がある気がしてるんだけど……」

「確かにそうね」


 リディアがセレイヴに顔を寄せ、唇を重ねる。

 

 丸い月は、静かに夜空に浮かんでいた。

 きっとこの二人の逢瀬のことも、月は黙っていてくれるだろう。


 その夜は、辺境が久しぶりに迎えた、静かな、静かな夜だったのだから。


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