38 帰陣
まだ夕刻にも早い時間だと言うのに、国境防壁に警鐘が打ち鳴らされた。
「裏切り者が森から帰ってきた!」
騎士たちが一斉に防壁に登り、壁上から、森が少しだけ開けた場所にいるセレイヴ達を見下ろす。
オリバーが腕を高く上げる。
「扉を開けてくれ!」
騎士たちは眉を寄せ、奥歯を噛み締めた。セレイヴのせいで、多くの仲間が死傷し、連日のヴァルガ族との交戦に駆り出されている。疲労と焦燥の中、騎士たちの苛立ちは頂点にあった。
聞き取れもしない勢いで野次が飛ばされる。
「森に帰れ!」
「裏切り者が!」
「俺たちをも魅了にかけようってのか!」
「不気味なんだよ!」
「辺境から出ていけ!」
セレイヴはそれを、静かに見上げていた。
マティアスが馬を寄せ、彼の背に触れる。
目を合わせると、セレイヴは少しだけ寂しそうに笑った。
その時――
一矢。
彼らの足元に放たれた。
慌ててマティアスとセレイヴは馬を下がらせる。
さらに一矢。
それは、オリバーが剣で弾いた。
「黙れ!!」
オリバーの怒声に、驚いたのは騎士たちよりセレイヴとマティアスだった。
「貴様らこれまで何を見てきた!
セレイヴ様が俺たちを邪険に扱った事があったか!?」
騎士たちが反論しようとするも、オリバーはもう一度「黙れ!」と叫ぶ。
「確かに連日のヴァルガ族との交戦は、しんどかった!
仲間も死んだ!
生きていても、騎士生命が絶たれた者もいる!
俺だって悔しいさ!
でも、わかってるだろう!?
セレイヴ様のせいじゃないって!
ヴァルガ族との戦いはいつもそうだった!
過酷で、理不尽で!
――でも、それが終わるんだ!」
騎士たちがざわつく。
「セレイヴ様はヴァルガ族の次期族長と協定を結んだ!
辺境伯領には一切手を出さないと誓わせたんだ!
これまでの、何代もの辺境伯が成し遂げられなかった偉業だ!
お前らにこの意味が分かるか!?」
ざわつきが大きくなる。
やがて、壁上に息を切らせたカスパーが、姿を表した。
「セレイヴ! 戻ったか!
――扉を開けろ!!」
大扉が開く。
セレイヴ達は順にその中へと馬を進めると、背で扉が閉められた。
彼らから距離を置いて囲む騎士たちの輪からカスパーだけが飛び出してくると、セレイヴの馬に駆け寄る。
「セレイヴ。どこに行っていた。怪我はないのか」
セレイヴは小さく首を振る。
「怪我はないよ。ありがとう。
……閣下は」
「団長室にいる。リディアもだ」
「話したい。だけど――」
セレイヴはゆっくりと自分たちを囲んでいる騎士たちを見回した。
「……彼らにも、聞いていてもらいたい。
広場に来てもらえるだろうか」
「分かった」
カスパーが駆け出す。
セレイヴたちの三騎は、厩舎までそのまま向かった。その間、彼らに話し掛けてくる者は、一人もいない。
馬を降りたセレイヴはまっすぐにオリバーに近づくと、その身体に抱きついた。
「……セレイヴ様?」
「オリバー……ありがとう」
オリバーとマティアスの目が合う。淡く笑んだマティアスが小さく頷くと、オリバーは困ったように眉を下げ、セレイヴの背をトントンと叩いた。
「セレイヴ様」
「うん?」
「一生涯、お供します」
セレイヴがオリバーを離れると、オリバーはセレイヴの前に片膝をつき、彼は剣を差し出す。
厩舎の中、馬たちの鼻息。
敷草の匂い。
騎士たちの喧騒は、今はどこか遠い。
馬たちも、興味深そうにこちらを見ていた。
セレイヴは眉を寄せてマティアスを見た。
「剣を受け取るのです」
セレイヴは言われるがままにオリバーから両手で丁寧に剣を受け取ると、またマティアスを見る。
オリバーはセレイヴに向かって頭を下げたままだ。
「剣を持ち、優しく右肩、左肩と一回ずつトンと叩いてください」
「なにそれ」
オリバーとマティアスがふっと吹き出すが、すぐに真面目な顔に戻った。
セレイヴは首を傾げながらも、マティアスに言われたように両肩を一回ずつ剣でそっと叩く。
「次は剣を両手で持ち、オリバーに返してください」
セレイヴはそのまま、それをやった。
剣を受け取ったオリバーは立ち上がると腰に剣を戻し、にこりと笑う。
「これで俺はあなたの剣です」
セレイヴはオリバーの青い瞳をきょとんとまっすぐに見つめる。
それから、遅れて顔色を悪くした。
「待って……。
今の忠誠の儀式なのでは?
僕わからないでやっちゃったよ!」
マティアスとオリバーが声を立てて笑いだす。
「僕にその手の常識がないことは知ってるよね?
なぜちゃんと説明してからやらないの?」
「説明したら、セレイヴ様は四の五の言ってお逃げになるでしょう」
オリバーとマティアスが目を見合わせて頷いた。
「だからって――」
「逃がしませんよ」
セレイヴは唖然と口を開けてオリバーから距離を置く。
「君もマティアスと同じくらい変な人だったんだ……」
「なるほど。私は変人だと思われていたわけですね」
オリバーとマティアスは愉快そうに笑っていたが、セレイヴだけは首を振って項垂れた。
二人にそっと背を押されるようにして、厩舎を出る。
辺境騎士団訓練場。
いつもは騎士たちが訓練に励むその広場。
中央にアルベルトが立ち、それを囲うように騎士たちは並び、セレイヴ達を待っていた。
リディアとカスパーも、アルベルトから少し離れたところでこちらを向いている。
セレイヴは大きく息を吸った。
一度瞳を伏せ、後ろについた二人を振り返る。
「行こうか」
「はい」
セレイヴが歩き出すと、二人はそれにぴたりとついて歩いた。
傾き始めた陽は、金色に染まっている。
雲は風に押され、遠くの空だけが深い色をしていた。




