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37 月威


 セレイヴは、この集落の中にある椅子の中では最も質の高いものに座らされていた。それでもセレイヴたち王国民からしたらずいぶんと質素なものだった。

 ヴァルガ族は遊牧民にも近い。ある程度の周期で集落の場所をそっくりと移すのだ。そのため、彼らはあまり多くのものを持たない。


 広くもない部屋。誇示するように飾られた獣の毛皮や角だけが、異様なほどに部屋の鈍い光を返していた。

 木と土の匂いを強く感じさせる。


 中央に置かれた椅子にセレイヴは腰を下ろし、その背後にマティアスとオリバーが立った。

 ヴェスナは壁に身を預けるようにして立つ。


「対話したいだって?

 夫になる決意でもしたのかい?」


 セレイヴはゆっくりと、その長い脚を組んだ。


「初めて陽の下で君の姿を見たけど、君は美しいね」


 ヴェスナは静かに、目隠しをしたままのセレイヴを見つめる。


「でも、夫にはならない」

「じゃあ何を話しに来た」


 セレイヴの口角がゆっくりと上がるのを、ヴェスナはただ、見ていた。

 どうにも彼から視線を外せない。

 美しいからなのか、恐ろしいからなのか。それは彼女自身にもわからなかった。


「僕が、君の後ろ盾になってあげる」

「はぁ?」


 セレイヴはふっと笑うと、そのまま続ける。


「僕のこの星での立場は、残念ながら、“辺境伯令嬢の婿”にすぎない。君に融通してあげられるようなお金も持ってない」


 彼は足を組み替え、片側の肘掛けに身を預けた。


「だけどね。

 僕の体には二つの大いなる血が流れてる」


 風が吹き、わずかに軋む音がどこかからか聞こえてくる。


「それはね――この国の王の血と、月の子の血」


 ヴェスナは、息を呑んだ。


「……月の子だって?」

「そう。ルミナリスの系譜。しかも僕の母はその女王だ」


 彼は自分の髪に触れ、それから指先を滑らせ、頬、顎、首筋へとなぞった。目隠しをしていても、ヴェスナの視線が面白いように指先に吸い付いてくるのがわかる。


「……この銀髪。人ならざるものを思わせるほどの容姿。

 そして、君はあまり見たことがないだろうけど、僕の瞳は金色なんだ。

 そのすべてが、僕がルミナリスの系譜であることを示している。

 ――それでも、疑う?」

「……いや」

「その僕が、君をヴァルガ族の族長に相応しいと支持してあげよう。

 僕の名前をかしてあげる」


 ヴェスナは口端をわずかに持ち上げた。だが、目を細めてセレイヴを見つめる。


「支持する……それだけ?」

「……君には、その価値が分からない?」


 セレイヴがおもむろに立ち上がる。


 壁に控えていたヴァルガ族の男たちがにわかに緊張するのが、空気で伝わってきた。


 その一瞬――


 ヴェスナの視界が影に染まる。

 彼女の目の前に、セレイヴが立っていた。

 目隠しは外され、布はいつの間にか彼の従者が持っている。


 セレイヴは彼女を閉じ込めるようにその顔横の壁に肘を置き、至近距離で彼女の瞳を覗き込んだ。


「ヴェスナ様!」


 ヴァルガ族の男たちから声が上がる。


 マティアスは静かに立ったまま。

 オリバーは目を細めてわずかに腰の剣に手を触れた。


「僕の瞳、きれいな色でしょ?」

 

 互いの呼吸が触れる。


「布は……どうした……。

 いや……いつの間に……移動した」


 ヴェスナの瞳が揺れた。


「あんなの、僕には関係ないんだ。

 君は僕の力のこと、なんにも知らないんだよ。

 例え目を潰されたって、僕は力が使える」

 

 彼女の息が震え、呼吸は浅くなる。

 見開かれた瞳はセレイヴの金の瞳から外せずに、ただ、捕らえられていた。


「あの夜、なぜ力を使わなかったか?

 僕はね、女性にあの力を使うのはいけないことだって、思ってたんだ。

 ――あの日まではね」


 ヴァルカ族の男が身動ぎし、二人に近づこうと踏み出した。


「動くな!」


 声を上げたのはヴェスナだった。

 ヴェスナの瞳と、セレイヴの金の瞳が交わる。


 ヴァルガ族の男たちは顔を青ざめさせたまま、その場で固まった。


「いい子だね。

 僕は、人を傷つけるのは、好きじゃない」


 ヴェスナは呼吸を整えるように、大きく息を吸った。


「でも、今ならできる。

 君たちは僕の大切なものを傷つけようとしたから。

 僕はもう、いい子でいるのはやめようと思って」


 セレイヴがふっと笑った。

 その艶やかな笑みを、ヴェスナは信じられない顔で見つめる。


「どうされたい?

 ここで服を脱ぐ?

 僕にキスをする?

 それとも――自分の喉を切る?」


 彼女の唇が震えた。


「……お前が私を支持する価値を……理解した。

 ……条件は?」

「さすが、賢いね。

 条件は――辺境伯領に手を出さないこと。

 僕たちも、君たちには手を出さない」

「……わかった。

 私が族長としてヴァルガ族を率いている間は、一切辺境伯領に手を出さないと誓おう」

「マティアス」

「はい」


 セレイヴがヴェスナから離れると、マティアスが懐から書面を取り出す。

 

「協定の書面となります。

 血判をいただきたい」


 ヴェスナは紙を受け取り、素早く目を通す。それにはすでにセレイヴのサインと血判が捺されていた。

 彼女は腰からダガーを取り出すと指先を切り、血判を捺す。


 マティアスは淡々とそれを受け取り、確かめ、懐にしまった。写しとなる書面と、さらにもう一枚を新たに取り出し、手渡す。


「こちら、セレイヴ様があなたを支持し、族長として推薦する旨が書かれた書面です。

 なお、迅速に族長の交代を要請する内容も含みます」


 ヴェスナはそれを震える手で受け取った。


 セレイヴは、静かに踵を返す。


「もし、約束を違えたら……

 その時こそ僕は容赦せずに君たちに報復する」


 男たちの視線はただ、セレイヴの金の瞳を見つめるだけ。

 彼ら全員の指先が、震えていた。


「末永く、辺境伯領とヴァルガ族が仲良くできるよう、お互い、努力しよう。

 ね。

 ヴェスナ族長」


 セレイヴが淡く笑んでヴェスナを見ると、彼女は凍りついた表情のまま、頷く。


 木板を踏む音が響く。


 セレイヴが扉に向かって歩き出すと、マティアスとオリバーもそれに続いた。


「……防壁の近くまで、護衛して。

 事情を知らないやつに、彼らを攻撃させないように」


 ヴェスナが少しだけ震えた声で指示を出すと、男たちもセレイヴ達を追って部屋を出た。


 部屋に残されたヴェスナは、胸を押さえ、セレイヴが座っていた椅子に腰を下ろす。


「……とんでもない男を相手にしちまったもんだ……」

  

 手元に残った書面。

 それを見下ろし、やがて顔を上げると、細く、長いため息を吐いた。

 それは、自分でも情けなくなるほどに、震えていた。


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