34 離心
その日、ヴェスナ以外のヴァルガ族の男たちは、そのほとんどが騎士団の手によって討たれ、残りも自害を選んだ。
辺境伯令嬢リディアはセレイヴの異能によって守られたものの――
あれから連日、追悼戦と称してヴァルガ族がゲリラ戦を仕掛けて来るようになった。
だがこれに対し、どれほどの損害が騎士団に出ようと、辺境伯ハルヴァード家はセレイヴを前線に出すことはしなかった。
この一連の件は、騎士団員たちの反発を強く招くこととなってしまった。
今宵も、国境防壁および辺境伯邸には警鐘が打ち鳴らされていた。
「なりません!」
マティアスが扉の前に立ち、その腕を大きく広げている。セレイヴは眉をひそめ、マティアスを見据えた。
「……僕が行けば終わる」
「終わりません。
わざわざ罠にかかりに行くようなものです!」
「……でも」
このやり取りも、ほとんど毎日行われている。
扉の向こうには、オリバーとカスパーが控え、仮に無理やり外へ出たところで、異能を使わない限りセレイヴが国境防壁にたどり着けることはなかった。
セレイヴは、前に立つマティアスにそのまま倒れ込むようにして抱きつく。
「……どうしたらいいの」
マティアスは瞳を伏せて、ただその背をさすった。
「今日も誰かが怪我をする。死んでしまうかも知れない。
――僕のせいで」
「あなたのせいじゃない」
セレイヴの背が震えている。
「僕がここにいるからだよ」
「違います」
「違わないよ」
「違います」
「じゃあどうして戦うの!」
「……セレイヴ様」
「僕をどうして行かせてくれないの!」
マティアスの肩が、セレイヴの涙で濡れた。
「……あなたを守りたいからです」
「そうまでして僕を守る価値がある?」
「……ありますよ」
「マティアス……僕もう耐えられない……」
セレイヴは足から力が抜けるように、その場に蹲った。子どものように、声を上げて泣いている。
「僕にだって……守りたいものがある。
でも僕では守れない……。
マティアス……僕どうしたらいい。
どうすれば……守れるの……」
マティアスはセレイヴに覆いかぶさるようにして、彼を抱きしめた。背をさすり、優しく言葉をかけ続ける。それしか、マティアスにはできることがなかった。
――その晩、二人は話をした。
少しだけ落ち着いたセレイヴとマティアスは、二人して床に座り込んだまま、夜が明けるまで、話し続けた。
「あれ? マティアスじゃない。
セレイヴは中にいるの?」
本邸、アルベルトの執務室前にオリバーとマティアスは控えていた。
ここからフィオナの部屋は近い。母の元を訪れていたリディアとマルグリットは二人を見つけると、気軽に声をかけた。
オリバーとマティアスの表情はほとんど変わらなかったが、辺境を生きる彼女には彼らがわずかに顔を強張らせたことに気づいてしまった。
リディアの表情もかすかに曇る。
「……なんのお話をされているの?」
マティアスとオリバーはちらと視線を合わせると、首を振った。
「我々の口からはお話できません。どうかご容赦ください」
リディアが口を開こうとした時、マティアスがそれを牽制するように先に言葉を発する。
「セレイヴ様には、王位継承権もございます。王家の血が絡むお話です。
辺境伯のご令嬢の命令と言えど、我々から話せることはございません」
リディアが一瞬傷ついたように目を見開いた。すぐに表情を戻し、小さく首を振る。
「……後ほど、セレイヴから話してもらえるのよね?」
マティアスの表情は変わらない。
マティアスとオリバーは、リディアに向かって頭を下げた。
「我々からは何も話せません。申し訳ございません」
固まったリディアの肩を、マルグリットがそっと押す。
「リディア様……。こればかりは……」
リディアは唇を噛み、一度マルグリットを振り返った。
そして前を向くと、静かに歩き出す。
マティアスとオリバーの二人は、彼女たちの背を見送った。遠ざかり、角に消えると、ほっと息を吐く。
「……マティアス卿」
「オリバー卿はどうされるつもりです」
「……どう、とは?」
マティアスは眉を寄せてオリバーを見た。
その視線にオリバーは驚いたように目を見開く。
「え? もしかして俺置いていかれるんですか? 当たり前に連れて行ってもらえるんだと……」
マティアスはオリバーを見つめると、遅れてふっと笑った。
「……心強いです」
オリバーも、小さく笑った。
アルベルトの執務室。
アルベルトとセレイヴはソファに向き合って座っていた。深色の大きなローテーブルの上には紅茶の注がれたカップが置かれているが、二人とも手をつけず、湯気はとうに失われている。
アルベルトは黒鳶色の髪を撫でつけながら、小さく息を漏らした。
「そうか……」
「お願い……できますか」
「……リディアには話したのか?」
「話していません」
アルベルトは腕を組むと、背もたれにゆったりと身を預ける。セレイヴは膝にこぶしをのせ、背を伸ばして座っていた。
「君を兄上から頼まれた時に、君をどこへやるか、君にどんな立場を与えるか考えた際……それも、確かに考えてはいたんだ」
セレイヴはアルベルトからやや視線を逸らしたまま、小さく頷く。
「……できなくはない。
ただ、本当にそれでいいのか?」
「それしかないと思ったんです」
「父の目から見ても、リディアは君のことを相当好きだろう。
――それでもか?」
アルベルトの目の下には色濃い隈があった。連日のヴァルガ族からの襲撃に備え、ほとんど眠れていないのだろう。
セレイヴはそのくすんでしまった肌を見つめながら、大きく頷いた。
「それでも。
僕は、この地を離れたい。
これ以上、ここの人たちに負担をかけたくないんです」
「……そうか。わかった。
各所調整する」
セレイヴは深く、頭を下げた。
本邸の上層階にあるこの部屋からは、歩き回る騎士団員や、忙しなく駆けていく使用人の足音は聞こえなかった。
どこか、世界から切り離されてしまったかのように、セレイヴは感じてしまった。




