表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/41

29 新月


 騎士たちの駆け回る足音。

 金属の鎧の擦れる音が、部屋にまで滑り込んでくる。


 カスパーとオリバーがセレイヴの部屋の安全確認をしている間、セレイヴとマティアスは静かにソファに隣り合って座っていた。


「異常はありません」

「こっちもだ」


 月のない晩、部屋に灯された燭台の明かりだけが、ゆらゆらと心許なく揺れている。


 カスパーは灯りを持ったままゆっくりとセレイヴのそばまで寄ると、彼を落ち着かせるように脇に膝をつき、にっこりと笑んでみせた。

 

「この部屋にはバルコニーもないし、出窓の窓以外は全てはめ殺しだ。その出窓だって、大きくは開かない。そうそう侵入はできないだろう。

 出入り可能な扉全てに俺たちがつく。

 心配するな。厳重態勢に向こうから逃げていくさ」


 セレイヴは、ただ頷いた。


「俺は一度、団長……父上のところへ行ってくる。

 セレイヴ、部屋の外には騎士がいる。守ってくれる。この部屋から出ないように」

「……わかったよ」


 カスパーが立ち上がると、オリバーもその隣に並ぶ。


「俺は、扉に控えます」


 セレイヴはまた、黙って頷く。


 カスパーとオリバーが部屋を出ていった。扉が開いたその一瞬だけ、冷えた空気と、騎士たちの足音が大きく部屋に入ってくる。


 セレイヴは知らずに、腕をさすっていた。





 新月だった。

 部屋は闇に沈んでいる。マティアスは部屋の中で控えると言っていたが、セレイヴは“数日続くことかもしれないから”と彼を部屋に戻した。

 

 衣擦れの音が、いやに響く。


 寝台の上、何度寝返りを打っても、なかなか寝付けなかった。

 

 不安はある。

 しかし、どこかで思っていた。


 ――月の使者と違って人間相手なら、最悪の事態の前に異能を使えばいい。

 ――誰のことも傷つけず、ただ、森に帰ってと願えばいい。


 身体はやがて、重くなってくる。

 やっと訪れた眠気に、セレイヴは身を預けた。

 




 短く息を吐きだした。

 胸を圧される感覚に、セレイヴは目を開けた。


「やっとお目覚めかい?」


 女の声。

 眼前に、見知らぬ女の顔。


 声を上げようとしたが、口の中にすぐに布を詰められ、目元にも布を巻かれる。

 女はセレイヴの体に馬乗りになり、はだけた夜着の隙間から手を差し込んで彼の肌に触れた。それから、形を確かめるようにセレイヴの顔に触れる。

 女の手を振り払おうにも、妙な身体のしびれに襲われ、ろくに動けない。


「中性的な美貌ってやつだね。森にも、辺境にもいない種類の男だ」


 闇の這う部屋。

 女の淡々と話す声と、セレイヴの漏らすかすかな声だけが、落ちている。


「薬を盛らせてもらったよ」


 セレイヴの眉が寄る。


「毒見役がいるんだろう?

 一口くらいじゃなんともないような、ほんの少しの毒さ。今、お前の身体はあたしの支配下にある」


 女がセレイヴの手首を掴んで掌を叩くと、電撃のような痛みが走った。

 小さく声が漏れる。


「あたしは次の族長になる。

 そのために、お前が欲しい」


 女の手がセレイヴの身体に触れた。やめてほしいと声を上げるも、それは言葉にならない。

 かすかな痛みと嫌悪感が全身を舐めるように這う。


「お前に、選択肢を二つ、あげる」


 喉元に刃があてられた。


「布を取ってあげる。声が聞きたいからね。でも、大声をあげたら、切るよ」


 口の中から布が取り出される。

 呼吸が、漏れた。


「あたしに今、ここで殺される。

 あたしを英雄にするんだ」


 顔が寄せられる。目をふさがれたまま、呼吸が触れる。

 初めて嗅ぐような匂い。

 リディアの澄んだ香りとは違う。

 森で生きる者の、どこか尖った強い香り。


「それか、

 あたしの夫になれ。

 お前を連れて帰れば、誰も文句は言えない」


 唇に柔らかいものが触れる。

 滑り込んでくる熱。


 ――おかしい。


 湿った音が耳に響いた。


 ――彼女はずっと僕を見てるはず。


 セレイヴは女の身を返そうと肩を掴んで力をかけるが、手が震える。


 ――ずっと、見てる。


 ――なのに、


 ――どうして?


 女の手が、身体を這う。


「かわいいじゃないか。

 夫にしてあげよう。あたしはヴァルカ族のヴェスナ。

 お前は?」

「……僕から、離れて。

 触らないで」


 ――異能が効かない。


 ――どうして、効かない。


 ――どうして……


 セレイヴは仰向けにされたまま、足でベッドを蹴った。

 ベッドの右上には、呼び鈴があるはず。


 身をよじり、手を伸ばす。


 だが――

 途端に鋭い痛みが走った。


 セレイヴの喉から悲鳴にもならない声が上がる。

 伸ばした右手のひらをナイフでまっすぐに刺され、ベッドに縫い付けられた。


「呼ばせるわけないだろう」

「……ヴェスナ……帰って……」


 ヴェスナは指先をセレイヴの頬から唇に滑らせ、そのまま首筋をなぞる。

 彼女はその指を追うように唇を這わせ、セレイヴの喉元を強く噛んだ。

 声が溢れる。


 目隠しの布の奥で、セレイヴは瞳をきつく伏せ、息を吸った。


「……マティアス!

 オリバー!!」


 女の肩が震える。

 衣擦れの音。ヴェスナは扉の方へ顔を向けた。


 途端に、扉が音を立てて開く。


「セレイヴ様!」


 ヴェスナはセレイヴから離れ、素早く身を返した。


「侵入者だ!! こっちだ!!」


 オリバーの声が廊下に響く。

 騎士たちが一斉に駆けだす音。


 カーテンがかすかに開いたままの天蓋の奥へ、マティアスが走り込んでくる。


 マティアスは、セレイヴを目にし、一瞬息を呑んだ。

 顔色を変え、その呼吸が震えた。


「……マティアス?」


 マティアスは急いで目隠しの布を外し、乱されていた夜着の前を合わせる。


「動けないんだ。薬が効いてて……」

「薬ですって?」

「あと、手と喉が痛い……」


 マティアスは遅れて、ベッドに刃で縫い付けられている右手を見つけ、慌ててその柄に触れた。


「不用意に触れるな!」

 

 駆けつけてきたオリバーがマティアスの手を払う。


「毒が塗られている可能性だってある!」

「だったらなおさら!」

「セレイヴ様の手が動かなくなってもいいのか!?

 神経や腱を傷つけている可能性だってあるんだ!」


 オリバーは駆けつけてきた他の騎士に向かって声を張り上げた。


「誰か!

 医師を呼んでくれ!!

 セレイヴ様が怪我をされている!!」


 足音がいくつも重なる。

 

 セレイヴは左手を伸ばして、屈んでいたマティアスの頬に触れた。

 いつもの匂いと温もりに、強張っていた身体の力が抜ける。


 そしてそのまま――彼は意識を手放してしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ