27 白日
「お兄様、何をしてらっしゃるのです」
カードを持っていたカスパーが、腕を組んで立っている妹を見上げる。
「ババ抜きだが?
君も一緒にやるか?」
テーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を下ろしていたセレイヴとマティアスも、リディアを見上げた。
「お兄様は護衛でしょう?
なぜ一緒に遊んでいるのですか!」
カスパーはセレイヴの手札から一枚抜き取ると、揃った札を捨てた。声を立てて笑う。
「俺とセレイヴは仲良しだからな!
あと、まだ警戒中だから馬に乗りにいけないし。これしかやることがなかったんだ」
「そういう事を言っているのではありません。護衛なのだから、共に遊ぶのではなく、待機をしなさいと言っているのです!」
「リディア、君は今日、この部屋に来る予定だったか?」
「私の話を聞いていませんね?」
セレイヴとマティアスは目を合わせて苦く笑った。
「……私はセレイヴの様子を、見に来たのです。婚約者なのですから、不自然ではありませんでしょう?」
カスパーは「あがり!」と言って札を投げると立ち上がる。
「愛しのセレイヴと二人きりになりたかったか。そうかそうか。悪かったな。
俺は護衛らしく外で待機していよう。
マティアス、お前も出るぞ」
「え、ですが、さすがに二人きりにさせるのは……」
カスパーがじっとりとマティアスを見つめた。
「リディア、マルグリットは?」
「廊下におります」
「ほら」
マティアスは眉を寄せてリディアとカスパーを見比べる。
「婚約者とはいえ、結婚前の男女が密室に二人きりなど。
……もしかして辺境では普通なのですか?」
「そんなことあるわけないだろう」
「え、では――」
カスパーはマティアスの脇に手をいれると無理やり立たせ、そのまま扉まで引きずっていった。
顔色を悪くしているマティアスと、にこやかに手を振っているカスパーを、セレイヴは苦く笑いながら見送る。
昼間の白い光は、この広い部屋を満たしている。
扉が閉まるのを確認し、リディアはセレイヴの隣、人一人分あけて静かに腰を下ろした。クッションが、わずかに沈む。
セレイヴはテーブル上のカードを集めると簡単にまとめて端に置いた。
「二人きりで、僕に話したいことがあったの?」
「愛しい婚約者様を甘やかしにきたのです」
眉を寄せて、リディアを見る。彼女は少し不敵に笑いながら、それを見つめ返した。
「同じ邸宅にいるのに、なかなかお会いできないのですもの。マティアスには私は勝てませんね」
「なんでマティアス?」
「それに……セレイヴはルーカスには会いに行くのに、私には会いに来てくださらない……。
ルーカスにも勝てませんわ」
「赤ちゃんは別格でしょ?」
リディアは声を立てて笑う。
「本当に好きなのですね。赤ちゃんが」
「フィオナさんには乳母がいないから、夜眠れていないみたいなんだ。一刻だけでも面倒見てあげると喜ばれる」
「お母様には乳母はいなくとも侍女はいますよ」
視線が交わる。
「……そうだね。僕は、ルーカスを抱っこしたいだけだよ」
「素直でよろしいです」
セレイヴはリディアとは反対側の肘掛けに体を預けるようにすると、小さく息を吐いた。
「リディアは、僕なんかより忙しいでしょ?
騎士団の後方支援部隊をまとめていたり、経理の仕事を手伝ってると聞いたよ。
約束のないときに、僕から君に会いにはいけない」
「……では、私から会いに来てもいいですか?」
「いいよ」
リディアがセレイヴを見据える。
「……あまり深く考えてませんね?」
「ん?
どうせ、サイラスが持ってきてくれた資料をマティアスと読んだり、読書したり、マティアスと鍛錬ごっこしてるだけだもの。暇だから」
「……鍛錬ごっことは?」
「外に出られないから、運動不足解消のために遊んでる。子ども用の木剣をオリバーが持ってきてくれたんだ。短いから、部屋で振り回しても安全」
たまらず、リディアは手で口を押さえて声を出して笑った。
「ちゃんと“男の子”なのですね」
「剣を振り回すよりも、読書の方が僕は好きだけどね。
だから、いつでも来たらいいよ」
リディアは一度ソファを立つと、セレイヴのすぐ隣に座り直す。手を伸ばして、その頬に触れた。
「……眠れていないのは、セレイヴの方ではありませんか」
目の下にそっと指先で触れる。もともと血色がいいとは言えない肌だが、じわりと黒ずんだ隈は、どうにも痛々しい。
「みんな……教えてくれないんだ。オリバーでさえ」
「何を知りたいのですか?」
「……どんな人だった?」
リディアは口元だけ、少し緩めた。澄んだ金の瞳からは、視線を外せないまま。
「セレイヴ……。知ったら、もっと苦しくなります」
「でも、僕のせいで――」
「あなたのせいじゃない」
小さく首を振ると、そっと彼の銀髪を指先ですく。
「みんな、あなたに言うでしょう?
ヴァルガ族との戦いは今に始まったことじゃない。あなたが来る前にも、彼らとの戦いで命を落とした騎士は多くいるのです。
――セレイヴ、全てを知ろうとしなくていい。冷静な判断が下せなくなる。それは冷たいことじゃない。必要なことです」
セレイヴは少しだけ視線を下げると、小さく息を吐いた。
「カスパーも、アルベルトさんも、フィオナさんも、そう言ってた。
僕は……辺境で生きるということの本質を、まだ分かっていないんだ」
リディアは淡く笑みながら、両手でセレイヴの頬をそっと挟む。少しだけ顔を寄せ、声を抑えた。
「セレイヴ……。もし、どうしてもつらいなら……私はあなたとなら辺境を出てもいい」
「え……?」
「次期当主としてはお兄様がいます。
領地管理だって、今も王都から管理人を派遣してもらっているのです。
二人で、どこか静かな場所で生活したっていいんです。
何も背負わずに生きていく道も、あるんですよ」
呼吸だけが、部屋に落ちる。
「君は……この辺境が好きでしょう?」
リディアの瞳が、わずかに見開かれる。
「強がらないで、リディア」
セレイヴは頬を挟んでいたリディアの手を取ると、セレイヴの方からリディアの頬に手を添えた。
「僕、君の瞳のこと、若葉色……力強い新緑の色って、前言ったと思うんだけど、やっぱり、きれいだね。
……でも、それでも足りないかな。
そんなものより、もっともっときれいな瞳だよ」
この部屋には、音が少ない。
二人の呼吸と、かすかな衣擦れの音。
リディアは身じろぎし、脚が触れ合うほどに彼に身を寄せ、彼のその胸にそっと手を置いた。
「それを……翳らせたくないんだ……」
月のような金の瞳と、この星の草木のような若葉色の瞳。
それが、絡まる。
ほどき方を忘れてしまったかのように。
「君の好きなものを、僕に守る力があればいいのに」
先に顔を寄せたのがどちらかなのかも、わからなかった。
呼吸が触れ、唇がそっと触れた。
「セレイヴ……」
名を呼ばれ、初めてセレイヴはハッとしたように身を震わせた。
「あっ」
驚いて彼女から身体を離し、距離をとる。
「わ……ごめん……つい」
「つい?」
親指でリディアの唇をそっと拭った。それから、セレイヴは震える手で自分の唇に触れる。
「……つい、キスしてしまった」
リディアはふっと笑うと、少しだけ赤らんだ自分の頬を指先でなぞるように触った。
「私、セレイヴに女性として見られていないのではと悩んでいたのですけど……」
「え? なにそれ」
「ついキスしたくなるくらいには、魅力的に見えてるってことですよね」
セレイヴはぎゅっと眉を寄せ、リディアの両肩を掴むと少しだけ力をかける。
「リディア、向こうを向いて」
リディアが素直に身体をセレイヴとは反対側に向けた。
「リディアこそ、僕を男だと思ってないんじゃない?」
腕が、後ろから回され、その華奢な身体をそっと抱きしめる。リディアの肩に、セレイヴは自分の頭を預けた。
リディアの息を呑んだ音が、わずかに落ちる。
「男は……女性を暴きたくなってしまう生き物なんだよ。
だから、次会うときは、ちゃんとマルグリットとマティアスも、部屋にいてもらおう」
腰を抱くその腕に、リディアは自分の手を添えた。
「私は……セレイヴなら構わないのに」
「そういうこと言っちゃいけない」
鼓動が、耳のそばで鳴る。
どちらの鼓動なのか、お互いに分からない。だが、それはずっとうるさく鳴っている。
「リディア。自分の体も、気持ちも、好きなものも、大切にして。
僕は君の大切なものを、大切にするから」
セレイヴの手は、ずっとかすかに震えていた。
「リディア……大切にする。
だから……僕をもう見ないで」
「……セレイヴ……矛盾だらけです」
「リディア……。
“うん”って言って」
「嫌です」
「……強情なんだから。
いつか僕は、きっと君を壊してしまうよ」
「壊れるのではありません。受け入れるのです。セレイヴの全部、私が受け止めてあげます」
腰が強く引かれる。
リディアの背に、セレイヴの熱が触れた。
ため息が、部屋にこぼれる。
「明日も来ますから。二人で会いましょう?」
「だめだよ。今の僕の話、聞いてた?」
リディアが笑うと、セレイヴもつられるようにして笑った。
それでも、セレイヴの手はまだ少し震えていた。




