23 夕陽
セレイヴは街を見回した。
彼は、リディアに連れられて辺境領の街に来ていた。辺境伯邸から最も近いこの街は、騎士達の出入りも多く、それなりの賑わいを見せている。
大型の馬車もすれ違える石畳の大きな通り。あちらこちらから金属を打つような音が聞こえ、食べ物の屋台からは香ばしい匂いが漂ってきていた。
「辺境領内の街としては二番目に大きな街です。一番大きな街は、ここから少し離れた場所にあるんです。やはりそちらの方が安全ですから、人も多く集まります」
リディアが隣を歩くセレイヴを見上げると、視線に気づいたセレイヴも、彼女を見る。
「王都よりは、やはり、小さいですよね」
「王都は本当に大きいからね。
でも、活気がある」
「衣服店などは、王都には敵いません。
でも、こちらは武器屋や鍛冶場などは圧倒的に多いです。職人が多く集まります。
辺境騎士団の訓練施設内に寮はありますが、街に住んでいる者も多いですから……」
大通りを歩いていると、何度も「リディア様!」と声をかけられ、そのたびに彼女は足を止めて手を振っていた。
「みんな、リディアを知っているんだね」
「……辺境はいつも、敵襲の脅威に晒されています。
自然と、絆は強くなるのです」
セレイヴの視線がわずかに下がる。
「リディア様!
おや、その方が噂の婚約者様かい?」
串焼き屋の女将が、彼らに声をかけた。リディアが駆け寄っていくと、女将は肉の串焼きを何本かリディアのそばにいたマルグリットに手渡す。
ゆっくりと後から追いついたセレイヴの顔を見て、女将は目を剥く。
「とんでもなく別嬪だね!」
リディアが苦く笑った。
「そうなのよ。私にはもったいないくらいの人だわ」
「じゃあ、あたしにおくれよ!」
「いやよ!」
豪快に笑う女将につられるようにして、リディアとマルグリットも笑っている。セレイヴは少し離れたところで、それを見つめていた。
「……セレイヴ様」
マティアスとオリバーが気遣わしげにセレイヴのそばに寄る。
「……リディアが楽しそうで良かった」
マティアスとオリバーは視線を合わせる。セレイヴは、街の人に声をかけられることを避けているようだった。話しかけられても、リディアやマティアスの後ろにすっと隠れてしまう。
「……オリバーは、よく街に来るの?」
セレイヴはオリバーによく話しかけはするが、まだ目は合わせない。
「俺は、騎士団寮に住んでいるので、最近はそうでもありませんが……。
でもこの街で育ったので、詳しいですよ」
「僕とマティアスは王都育ちだから、知らないんだ。おすすめを教えてよ」
「では、後日」
「今日はだめなの?」
「今日は……リディア様とのデートなのでは……」
「街見学ってリディアは言ってたよ」
マティアスがオリバーの肩に手を置き、首を振る。
「箱入り息子で、無邪気なんです」
「……そうでした」
不思議そうに二人を見ているセレイヴの背をマティアスが軽く押して、リディアの方へと体を向けさせた。
「セレイヴ!
串焼きをいただいてしまいました。一緒に食べましょう!」
リディアが駆け寄ってくる。
セレイヴはそれを立ったまま迎え入れると、串を受け取った。
「どこかに座る?」
「歩きながら食べてもいいですよ?」
「貴族令嬢がそんなことしてもいいんだ」
「辺境伯令嬢ですからね」
リディアがふわりと笑うと、セレイヴもふっと笑う。
串を持って、並んで歩き出した。
「甘い物も買いましょう。しょっぱいものを食べたら、甘い物がきっと欲しくなります」
「……リディアって意外と食いしん坊なんだね」
リディアがちらりとセレイヴを見る。
「なぁに?」
「……あなたといる時だけです。甘い物が食べたくなるのは」
セレイヴはきょとんとリディアを見つめ、眉を寄せ、少し後ろを歩いているマティアスたちを振り返る。彼らはにこにこしているだけで、何も教えてはくれなかった。
小さく首を傾げながら、串焼きを頬張る。
「……美味しいね」
「はい」
街を一通り歩いて回り、二人は時計塔に登った。歩いてきた街、辺境伯邸、その向こうの国境防壁、反対には辺境領内で最も大きいという街も遠くに見渡せる。
雲が、いつもより近くに見える。
沈みかけの太陽は金色に染まり、空は青から、桃色、紫と色を変えていた。
「ここ、きれいだね」
「はい」
夕方の少しだけ冷えた風が頬を撫でていく。
「……セレイヴ」
欄干にもたれるようにして立っていたセレイヴは、隣にいたリディアを見た。彼女は果実を砂糖で固めた菓子の袋を持ち、その実の一つを指先でつまんでいた。
そっと、それをセレイヴの口元に運ぶ。
彼は口を開けて、それを受け入れた。口の中で転がし、ゆっくりと糖を溶かす。
「甘い」
セレイヴも、リディアの手の中の袋から一粒を取り出すと、彼女の口元へ。リディアがおずおずと口を開けると、セレイヴはぽいっと実を入れた。
「口が小さくて、指が当たっちゃいそう」
セレイヴが少しだけ笑うと、リディアはその瞳を静かに見つめた。
「セレイヴに……辺境領を好きになってもらいたいです」
「……好きだよ。みんな優しいし。自然も多いし。
今日も……街の人たちは、優しかった」
リディアは彼に身を寄せるようにして隣に立った。
「……でも、あなたは、街の人と話をしようとしなかった」
「……今日、街の人が優しかったのは、僕のことを知らなかったからだよ。
騎士の人たちは、僕のことを知ってる。そのうち、知ることになる」
リディアは、セレイヴを見る。
彼は遠くの夕陽を見つめていた。
「きっと、僕のこと、怖いって思うよ」
「私は怖くない」
「君は……特別だから」
「マティアスやマルグリットだって……」
「彼らも特別」
彼の腕に触れる。
触れていないと、どこかに消えてしまいそうな気がした。
「怖いって思うことは、悪いことじゃない。自分や大切な人を守るための本能だよ。
怖いって思う人を、責めたりはしないで」
「セレイヴ」
「いつも、僕のことを気遣ってくれて……ありがとう」
腕を引き、リディアの方へ向かせる。向かい合わせに立ち、リディアは彼の金の瞳を見上げた。
「セレイヴ……あの……」
短い呼吸だけが漏れる。
息を呑み、もう一度口を開けた。
「……お慕いしています」
「え……」
「好きです。あなたのことを、大切にしたい」
セレイヴは目を見開き、慌てて視線を外す。
「待って……リディア」
すぐ近くに立っていたリディアの肩をつかんで押し、距離を取らせる。
「……それは……嬉しいよ……とても。
初めて会った時から、きれいな人だと思ってたし……君は優しくて、強くて……。
好ましく思ってる……」
瞳を伏せ、俯いた。
「でも……その……」
呼吸が、震える。
「……その気持ちは、本当に君のもの?」
リディアの瞳が揺れた。
「僕は君を、素敵だと思ってる。
だから……考えてしまったかもしれない」
風が吹く。
「君が僕を……好きになってくれたら、嬉しいって……。
僕は……
僕は自信がない……」
リディアの肩を押さえている腕を振り切るようにして、彼女はセレイヴの胸に飛び込んだ。
セレイヴが、息を呑む。
「でも……セレイヴ、あなたには素敵なところがたくさんある。魅了なんかじゃ……」
「ディートリヒ殿下が言ってた。
僕の見た目は、男も女も狂わせるって」
「見た目だけを好きになったわけじゃないわ」
「分かってる。リディアがそんな人じゃないって……。
でも、本当に、その気持ちが僕に操られたわけじゃないって言える?」
リディアが顔を上げる。
セレイヴは瞳を伏せたまま、リディアを見ようとはしない。
「……言えないでしょう?」
彼の声は、震えていた。
「僕は、君と家族になれることを嬉しいって、楽しみだなって思ってる。
でも……お願いだよ。
心は傾けないで」
リディアの唇が震える。
「そんな……」
「僕は、普通じゃないんだから」
リディアが首を振るが、彼はそれに応えようとしない。
「僕は、人の子でも、月の子でもないんだ……」
「あなたは人よ」
「……違うんだよ、リディア」
リディアはセレイヴの頬を両手で挟むと、背伸びをし、彼の唇に自分の唇を押し当てた。
セレイヴは目を見開く。
熱が触れる。
唇が、ゆっくりと離れる。
「あなたは、人なのよ」
「……リディア」
「好きよ。セレイヴ」
セレイヴは応えなかった。
瞳を伏せ、俯いてしまう。
リディアはその震える長いまつげを、ただ、見つめていた。
太陽が遠くの森に、沈んでいく。




