22 灯火
セレイヴがちらとベビーベッドへ目を向けると、フィオナはにっこりと笑った。
「セレイヴ、抱っこしてあげてくれる?」
「……いいの?
あ……いいんですか?」
「ふふ。あなたが抱っこしてくれたら、この子……ルーカスもきっと喜ぶわ」
フィオナの侍女がルーカスを抱き上げると、ベッドを回り、セレイヴの前まで来る。セレイヴはルーカスを受け取り、そっと抱いた。
まだ、生後一ヶ月ほどの赤ん坊。首も座っておらず、とても柔らかい。少し甘い匂いもする。
「セレイヴは……赤ちゃんの抱き方が上手ね」
「……ちょっと、慣れてるんだ」
「そう」
フィオナは優しく笑いながらその様子を眺めていた。
セレイヴはルーカスを抱いたまま、リディアに身体ごと向く。
「リディア……ほっぺがすごくぷくぷくしてる。見て」
「えぇ……とても柔らかそう」
「ふにゃふにゃだよ。リディアはもう抱っこしたの?」
「はい。私は昨日……。
でも、首の座らない赤ちゃんは怖くて……」
「……そっか」
瞳を細めて、セレイヴはルーカスを見つめた。片腕で赤ん坊を抱くと、もう片方の手で、そのふくふくした小さな手に触れる。
「かわいい……」
リディアは、それを静かに見ていた。
――セレイヴと、きちんと結婚したら……
その時も、きっと彼はこうやって……
リディアの頬が、じわじわと赤くなる。
――それは……つまり、彼と……
いや、結婚するのだから、当たり前なのだけれど……
セレイヴの細長い指先。
柔らかく赤ん坊に話しかけているその唇。
白い頬。
優しい瞳。
その金の瞳と、視線が交わる。
「……リディア」
「え……」
「顔が真っ赤だよ。体調が悪いの?」
セレイヴは慌てたようにマルグリットを見る。
「あ! 違うのです! 体調が悪いわけでは」
「でも――」
フィオナが笑い出した。驚いてセレイヴは彼女を見る。
「違うわよね。リディア。
彼との幸せな未来を想像しちゃったのよね」
「お母様!」
セレイヴは眉を寄せてリディアとフィオナを見比べている。
リディアはきつくセレイヴを見た。
「今は……何も言わないでください」
「え……はい。なんか、ごめんね」
たまらず、控えていたマティアスたちは吹き出した。
セレイヴ達が退室した後、リディアだけがフィオナのそばに残った。すやすやと寝ているルーカスの頬に指先で触れる。
「セレイヴって、本当に素敵な子ね」
顔を上げ、母を見た。
「……はい」
フィオナは乳母を雇うつもりはないようだった。貴族夫人としてはとても珍しい。この部屋には、昔から母に仕えている侍女が一人控えているだけで、とても静かだった。
「お母様は……その……お父様とは」
「王命でしたからね。突然辺境へやってきたと思ったら、すぐ結婚だったわ。
あなたの年の頃には、私はもうリディアを生んでいたのよね。
まさか一八歳差で弟を産むことになるとは思わなかったわ」
リディアは椅子に座ったまま、視線を下げた。
「母様は、この二十年、ずっとアルベルトに恋をしているわ」
顔を上げる。
「リディアは、恋の話を聞きたいのよね?」
「……最近、私、おかしくて――」
フィオナは目元を和らげた。
「怒ってはいけないときに、怒ってしまったり……。
セレイヴにすぐ、手を伸ばしてしまうし……。
なんか……変なのです」
フィオナが腕を広げると、リディアは素直に身体を寄せ、母に抱きついた。
「セレイヴは……すごく、つらい思いをしてきた人なの。だから、守って差し上げたいと思う。
でも、やり方が分からない」
リディアはフィオナの胸の中で、首を振る。フィオナはその髪を優しく撫でていた。
「えぇと……違う。やり方はわかります。
この辺境の地で、王都の政治から遠ざけ、地位を与え、健やかに生きていける環境を整えれば……いいのです。
私の夫という立場は、ちょうどいい」
母の服をキュッと掴む。
先ほど彼と繋いだ指先が、わずかに熱を持っている気がした。
「だけど……それだけじゃなくて……、笑ってくれるようになったことが、すごく嬉しくて……。
その……許されるのなら、彼が落ち込んだときは、マティアスよりも先に彼のそばにいてあげたい」
瞳を伏せる。
「婚約者だからって……そんなふうに思うなんて……。
おかしいわ」
「おかしいかしら?」
「おかしくはありませんか?」
リディアが顔を上げると、眉を上げて笑っているフィオナと視線が交わった。
「母様だって、父様が戦場に立つときは、ものすごく嫌だわ。失いたくないもの。
一緒に戦えもしないし。
送り出すのが今でも嫌で仕方がない。
――辺境伯の夫人がこれなのよ?」
母はにこりと笑う。三十半ばを過ぎた母の顔は、少女のようにあどけなくて、でもどこか、艶を帯びてとても美しかった。
「だから、一緒にいるときは、母様は父様にちゃんと甘えます。父様が疲れているときは、甘えさせてあげます」
手のひらで、娘の頬を挟む。
「恋は、楽しいわ。とても苦しいけど。
でも、あなたを支えてくれる。
あなたのその気持ちが、きっとセレイヴのことも支えてくれる」
リディアの瞳が、じわりと揺れた。
「苦労してきた子なのよね?
だったらなおさら、伝えてあげたほうがいいわ。大切に思ってるってこと。
それから、抱きしめてあげたほうがいいわ。言葉よりも伝わること、たくさんあるから」
「……抱きしめる?」
リディアの眉が寄るのを見て、フィオナは淡く笑う。
「はしたなくなんかないわ」
「セレイヴを……抱きしめる……?」
リディアの顔が、耳まで赤くなる。
フィオナはつい、ふっと吹き出した。
「まだちょっと……あなたには早かったかしら」
リディアは母を離れると、赤くなった頬に自分で触れた。
「まずは……手をつなぐところから始めます」
「いいえ」
フィオナがまっすぐにリディアを見つめる。
「まずは、言葉で伝えるところから」
「……はい」
リディアが俯く。
ルーカスが小さくぐずりだし、侍女が慌てて駆け寄ってきた。
母がルーカスを抱く姿を、リディアは静かに見つめる。
――いつか私も……。
おさまりかけた頬の熱。
また頬は、朱に染まってしまった。




