21 揺籃
朝から、セレイヴはそわそわしていた。
いつもの籐椅子に腰掛け、一枚の便箋に繰り返し目を通している。
「セレイヴ様。楽しみですね」
カップに紅茶を注ぎながらマティアスが言うと、セレイヴは少しだけ頬を緩ませながら頷いた。
――この辺境伯邸に、無事に出産を終えたリディアの母、フィオナが戻ってきたのだ。
セレイヴが読んでいるのは、そのフィオナが彼に宛てた手紙。短いものだが、“会えることを楽しみにしている”と柔らかい文字で書かれていた。
「どんな人なんだろう。
リディアに似て、やっぱりきれいな人なんだろうな」
手紙を窓から差し込む光にかざす。
セレイヴは文字の読み書きはできるが、手紙をやりとりするような相手はこれまでいなかった。少しだけいい香りが焚き込まれたその一枚が、彼にとっては初めてもらった手紙だといえる。
嬉しそうにずっと手紙を眺めているセレイヴを、マティアスは静かに見守っていた。
そんな静かな部屋に、ノックの音が響く。
マティアスが開けに行くと、リディアとマルグリットが微笑みながら部屋に入ってきた。
「セレイヴ。お母様に一緒に会いに行きましょう」
セレイヴが顔を上げ、そっと椅子を立つ。
「うん」
並んで、歩き出した。
「体調は?」
「お元気そうよ。
移動直後に、お医者様にも念のためにと診ていただいたけど、問題はないと」
「そっか。
その……」
リディアが隣を見ると、セレイヴは視線を下げて、言い淀む。だが、口元は少しだけ柔らかい。
「どうしたの?」
「赤ちゃん……抱っこさせてもらえるかな」
「え? えぇ、きっとあなたが望めば抱かせてもらえると思うわ」
「そっか。
僕ね、赤ちゃん、大好きなんだ」
廊下に出る。窓がほとんどない廊下は昼でも薄暗いが、その中でも分かるほどに、セレイヴの表情は柔らかかった。
「珍しいわね。セレイヴが嬉しそうなのは」
「前に話したよね。いつも、少しだけ力が漏れてしまってるって。
その影響か分からないけど、赤ちゃんを泣きやませるのは得意なんだ。
街にいるときは、よく、赤ちゃんの世話を手伝った。小さい子どものいる母親はみんな疲れてるから、手伝うと喜んでもらえたし、赤ちゃんはかわいいし……とても楽しかったんだ。
力のせいなら、ちょっとズルしてるけどね。
異能にいい思い出はないけど、このときだけは、あって良かったなって……」
セレイヴの口端が、柔らかい。
リディアがなんとなく手を差し出すと、セレイヴはきょとんとそれを見て、彼はその手を取った。
二人は手をつないだまま歩く。
「……あら!?」
つい、リディアが声を上げる。それに驚いてセレイヴが肩を震わせた。
(なぜか……手を差し出してしまったわ……)
繋がれた手を見下ろす。じわじわと頬が熱くなった。
「ごめんなさい……つい、手を」
セレイヴが後ろにいるマティアスたちを振り返る。
「手を繋いで歩くのは、いけないこと?」
マティアス、マルグリット、オリバーは揃って首を振った。
「いいって」
「……そういうことでは」
「エスコートにする?
……ただ、僕、リディアのお母様のいる部屋がどこか知らないんだけど……」
リディアは首を振った。
「……いいのです。
私が……ちょっと……距離感を誤っただけです」
「ふぅん」
結局、そのまま歩く。
リディアはちらと隣を歩くセレイヴを見上げた。
彼は、決して背が高い方ではない。王都にいればおそらく平均的な身長なのだろうが、ここは辺境だ。屈強な騎士ばかりがこの地にはいる。アルベルトやカスパーと比べると、その華奢さの方が際立って見えた。
だけど、今リディアの手に触れているその手は、彼女の手をすっぽりと包めるほどには大きい。
(忘れていたわけではないけど、やっぱりセレイヴは、男の人なのだわ……)
そう思うと、ますます頬が熱くなるのを感じた。
(恥ずかしい……。
手を離したいような、このままでいたいような)
もう一度、セレイヴの横顔を見る。
彼は視線に気づくと、リディアに顔を向け、少しだけ目元を柔らかくして笑んだ。
(ここへ来たときよりも、ずっとたくさん、笑ってくれるようになった)
「……嬉しい」
「手を繋いで歩くのが?」
「ち……違います……」
セレイヴが小さくふっと笑う。
「リディアはしっかり者なのに、意外と甘えん坊さんなんだね」
「だ……だから違うのです!」
リディアがぱっと手を離して足を早めると、セレイヴは空いた手のひらをじっと見下ろした。そして振り返る。
「じゃあマティアス、僕と手を繋ごうよ」
マティアスの眉が寄った。
「なぜそうなるのです」
「手がさみしくなっちゃった」
マルグリットとオリバーが笑う。リディアは一人、顔を赤くして首を振った。
「……全くもう……」
でも、少しだけ。
口端が緩んでしまう。
マルグリットが部屋の戸を叩き、フィオナの侍女によって扉が開けられる。
明るい部屋。
使い込まれた調度品が並んでいるが、それらはよく磨かれている。淡い色のリネンで揃えられ、どこか、空気が澄んでいるようだった。
リディアの母――フィオナはベッドの上で、にこやかに笑んでいた。
白い光が穏やかにベッドの上を滑っていく。
彼女の向こうにベビーベッドが置かれているのが見えた。
「ごめんなさいね。
身体はもうなんともないのだけど、アルベルトがまだ寝てろとうるさくて」
頬に手を当てて柔らかく笑う。リディアよりも少しだけ明るい鳶色の髪と、ヘーゼル色の瞳。ハルヴァード家の中では、柔和な雰囲気の女性だった。
リディアの後について部屋に入ったセレイヴは、フィオナと視線を合わせないようにしながら、ベッドに近づく。
「あなたがセレイヴね。よく顔を見せて」
フィオナに手招きをされ、リディアにも背を押され、セレイヴはおずおずと彼女に一歩近づいた。ベッドの脇に立ち、ゆっくりと視線を上げると、まっすぐに瞳を見つめられる。
「まぁ……本当に綺麗な顔をしてるのね」
フィオナに手を伸ばされ、肩が震えた。驚いたように目を見開いたセレイヴを見て、フィオナは小さく笑う。
「ルミナリスの系譜の血が強いけれど、どこか陛下にも似ているわね」
「似てる?」
「えぇ……。ルミナリスの系譜の方って、私も一度だけ見たことがあるわ。
彼らって綺麗だけれど、綺麗すぎて少し冷たいのよね。
でも、あなたは優しい顔してる」
セレイヴは自分の頬に指先で触れた。
「ふふ……。手紙でね、みんながあなたのことを庇うのよ。
アルベルトもカスパーもリディアも。
特殊な血、異能持ちだけど、素敵な人だから怖がらないでって。
面白いでしょう? みんなばらばらに同じこと書いてるの」
セレイヴがリディアを見ると、彼女はふっと視線を外す。
「セレイヴ。リディアをよろしくね。
頑張りすぎちゃう子なの」
「……はい。でも、すごく素敵な女性です」
フィオナはにっこりと笑う。
セレイヴに向かって両手を差し出した。
彼は一瞬迷いながらも、セレイヴも両手でフィオナの手を取る。そっと、指先を握った。
「あなたも、素敵な男の子ね。
ようこそ。ハルヴァード家へ」
セレイヴの頬に、少しだけ朱が差す。
口元を少しだけ和らげ、彼は小さく頷いた。




