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19 秘策


 翌早朝、ディートリヒはセレイヴの部屋にいた。

 出窓の前の籐椅子に、セレイヴと向かいあって座っている。マティアスたちは今回も外に出されていたが、ディートリヒの背後には領地管理人のサイラス・ヴェインがいた。相変わらずの痩身の男は表情を変えずに、二人を見つめている。


「この男とは顔を合わせたことはあるか?」

「……はい」


 日が昇るかどうかという朝も早い時間。

 マティアスによって急いで服を整えられたセレイヴは、すでに疲れた顔をしていた。


「知っているだろうが、サイラスは王家と辺境の連絡係も担っている。

 今後は私からのお前への連絡も、この男を通そう」

「あなたから僕に連絡する機会があるの?」

「あるとも。次世代を担うのは、我々だ。

 辺境伯はカスパー・ハルヴァードだろうが、辺境騎士団はカスパー、辺境領はお前が管理するのだろう?

 辺境領は国の要の一つだ。連絡を取り合わないわけがない」


 セレイヴが眉を寄せる。

 ディートリヒはサイラスに向かって小さく手を挙げた。


「出てろ」


 サイラスが頭を下げ、部屋を出る。

 扉が閉まるのを見届けると、ディートリヒはセレイヴに向かって小さく笑った。


「サイラスは、面白い男だろう。

 あいつ、裏があるようで裏がない。だが、頭は悪くない。両家にとって不利益になることはしない。信用できる」


 セレイヴの視線が窓に向くのを、ディートリヒは口角を上げて見つめる。


「サイラスは、辺境で起きたことはすべて知っているはずだ。

 だが、辺境伯に黙っていろといわれた。

 その結果、私にも話さない。

 だから、私はお前の異能がどういったものなのか知らんのだ。

 私は王太子だぞ? 信じられるか?」


 ディートリヒはその長い脚を組むと、膝の上に手を乗せた。


「アルベルト叔父も、お前にとっては信用できる。私には味方とは言い難い御仁だけどな」


 翡翠の瞳を一瞬だけセレイヴは見つめ返す。


「なぜ、そんなことを話すのか不思議に思っているようだな。まぁ……考えてみろ」


 ディートリヒは立ち上がると、整えられた黒髪を撫でつけながらセレイヴを見下ろした。


「今日は街に行く。お前も来るか?」

「……僕に拒否権はあるの?」

「ある。

 昨日は辺境騎士団とお前の距離感を知りたかったから連れて行った。

 街にはお前自身はまだ出ていないだろう。だからどうでもいい。

 明日は観光地にもなっているワイナリーと湖だそうだ。せっかくだから一緒に行くか?」


 セレイヴは首を振る。


「じゃ、夜にまた来る。

 楽しみだな。よく体を磨いておけ。

 可愛がってやる」


 セレイヴが驚いたように口を開けるのを見て、ディートリヒは愉快そうに笑う。そうして、振り返りもせずにセレイヴに手を振り、部屋を出ていった。


「……なんなの、あの人」


 



 昼。

 セレイヴの部屋を訪れたリディアは、セレイヴの顔を見て言葉を失っていた。


 もともと白い肌の彼だ。目の下のクマが際立って濃く見える。


「……お疲れですね」

「僕あの人苦手……」


 リディアは苦く笑った。


「お父様も、よくそう仰られています」


 マナー講習の予定だったが、リディアも気疲れしていたため、今日はお茶を飲んで過ごすだけにした。ぼんやりと、ただ並んでソファに腰掛けている。


 窓の外から、鳥のさえずりが聞こえてくる。


 セレイヴの部屋には窓が多い。弓形の出窓には縦長の窓が三つ並び、そのほかの壁にも窓が均等に配置されていた。

 白い光は静かに部屋を満たしている。


 壁際に控えたマティアスとマルグリットは黙って二人を見守り、呼吸とかすかな衣擦れの音だけが、この部屋にはあった。


「……僕の将来の奥さんがリディアで良かったな」


 ぽつりとこぼされた言葉に、リディアは驚いてセレイヴの横顔を見つめる。


「沈黙が苦じゃない人は、大事にしなさいって、父さん……養父が言ってた」


 セレイヴがカップを持ち上げて、口に運ぶ。以前よりも、貴族的な、ずっときれいな所作をしていた。


「大事にする。君のこと」


 リディアの頬がゆっくりと朱に染まっていく。


 セレイヴがカップを置くと、コトリ――、と、小さな音が鳴った。

 

 リディアは伏し目がちに、そっと頷くだけだった。なんと返せばいいのか、リディアにはまだ、わからない。

 だが、この静かな時間を彼女自身も心地よく感じるのは、確かだった。


 



 夜になり、予告通りディートリヒはセレイヴの部屋を訪れた。マティアスを追い出し、一人きりで悠々と部屋の絨毯を踏む。


「ついに立って迎えることもしなくなったか。月の子よ」


 セレイヴは出窓の前の籐椅子に腰掛けたままだ。ディートリヒはセレイヴの前にまっすぐに立って、セレイヴを見下ろす。


「朝の質問の答えは、分かったか?」


 セレイヴはディートリヒから顔を背けて、窓を見つめた。


「僕を王家の駒として使いたいから。

 頼れる人間を教えておきたかったんだ」

「うん。左様」


 ディートリヒは手を伸ばし、セレイヴの顎を強く掴む。無理やりこちらを向けさせると、顔を寄せた。


「私の目を見ろ」


 セレイヴは瞳を伏せる。


「お前の瞳を見ると、私は魅了にかかるのか?

 おそらくかからないのだろう?

 お前は侍従とよく目を合わせていたからな」

「僕がすでにマティアスに魅了をかけているとは考えないの?」


 ふっと笑う。


「お前の養父母のことは調べた。ここ数日のお前のことも、私は見ていたつもりだ。

 お前は、自身の異能を恐れているのだろう?

 だから、そう簡単には使わないようにしている」


 セレイヴはゆっくりと目を開けた。


「私に蹂躙されたいのか?

 そうすれば、流石に使いたくなるだろう?」


 ディートリヒの手が滑る。ゆっくりと、顎から、首筋へ触れ、服の上から身体に触れる。


 セレイヴは金の瞳をディートリヒに向けた。


「瞳を見ただけじゃ、魅了にはかからない。

 ――だから触らないで」


 ディートリヒは口角を上げる。脚をセレイヴの脚の間に押し付けるようにすると、金の瞳をじっくりと見下ろした。


「お前の身体に触れると、魅了にかかるか?」

「……かからない」


 セレイヴは王太子を見据える。


「じゃあ、どうすればかかる」

「僕の異能は、僕の願いをその人が叶えたくなる……というようなものなんだ。

 僕が願った時に、その人が僕の姿を見ることで、魅了にかかる」


 ディートリヒはセレイヴから離れると、向かいの籐椅子に腰掛けた。


「そうか。お前のそばに寄ったらかかるというものでもないのだな。

 どれくらいの人間に、どのくらいの時間、かけられる」

「最大の人数は、僕も知らない。ただ、長くはない。せいぜい数分だと思う」

「お前が騎士団から恐れられるようになったきっかけの異能について教えろ」


 セレイヴはため息をつくと、まっすぐにディートリヒの翡翠の瞳を見つめる。


「ヴェルグラの森のヴァルガ族が攻めてきたんだ。ヴァルガ族に“帰って”と願った」

「あの民族はそれなりの規模だったな。なるほど。

 それは恐れられる」

「でも、その後僕は一週間熱を出して身動き取れなかった」

「反動も大きいのか。

 人数が多いほど、反動は大きいのか?

 それとも内容か?」

「人数だと思うよ」

「……なるほどな」


 ディートリヒは籐椅子に深く座り直すと、顎に手を添えた。


「王都に帰ったら……話すの?」

「いや?

 父上も詳細は知らない可能性が高い。

 私は誰にも話さんよ。辺境と私だけの秘密だ。

 お前は私の秘策になる。この情報を簡単に手放してたまるか」


 眉を寄せているセレイヴを、ディートリヒは愉快げに見つめ返す。


「明日の夜も来る。明日が最後だ。

 ではな。

 よく眠れ、兄弟」


 ディートリヒは立ち上がり、去り際にセレイヴの髪をくしゃくしゃにして撫でると、さっさと扉に向かった。


「……おやすみなさい」


 振り返りもせずに、手だけを小さく上げる。


 扉が閉まると、セレイヴはため息を吐いた。


「本当になんなの、あの人……」


 セレイヴは窓を見上げた。

 今日は霧が出ていて、月はあまりよく見えなかった。

 


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