18 挑発
ディートリヒがゆっくりとセレイヴに歩み寄る。
眼前に来ても彼は足を止めず、セレイヴはじわじわと壁に追いやられていった。
逃げ道をふさぐように、ディートリヒはセレイヴの肩横の壁に手をつく。
「本当にきれいな顔をしている。父上がおかしくなるのも分かるというものだ」
セレイヴは視線を下げたまま、かすかに眉を寄せた。
「お前は、王位に興味があるか?」
「……ありません」
「お前の身体に流れる血の半分は、人の血ではない。
だが、私の中に流れる血は、王の血と、王族に近い公爵家の血だ。
青い血というやつだな」
ディートリヒがセレイヴの両頬を片手でつかみ、顔を上げさせる。
「つまり、私こそが、王位にふさわしい」
翡翠の瞳に、ゆらりと蝋燭の火が映り込んだ。
「……はい」
「余計なことは考えるなよ」
セレイヴは小さく頷く。
「だが、お前に流れる“ルミナリスの系譜”の血は、それはそれで特殊だ。
月信仰を持つ者さえ、いないわけではない。
何が言いたいか、分かるか?」
「僕……私は王位には興味がありません」
ディートリヒはセレイヴの瞳をじっくりと見つめると、やがて彼の手首を強くつかんだ。
「来い」
引き摺られるようにして、部屋の中を歩かされる。
ディートリヒはベッドの天蓋を片腕で払うと、セレイヴをそこに押し込んだ。両手首をつかみ、セレイヴをベッドに縫いつけるようにして王太子が覆いかぶさる。
「な……何?」
ディートリヒを見上げるセレイヴの瞳が揺れる。
王太子の口角がゆっくりとあがった。
「命を取らず、重大な傷も負わせずに、相手の心を折り、従わせる方法の一つだ。
お前は美しいからな。意外に私も楽しいかもしれない」
セレイヴは眉を寄せ、手首を引き抜こうとするがびくともしない。
「箝口令が敷かれているようでな。
私の耳にさえ、お前の異能の詳細は入ってこない。
月の子、私に魅了とやらをかけてみろ」
セレイヴは言葉を失いながらも、首を振る。
ディートリヒはそれを見て愉快げに笑った。
「魅了がかけられたら、私は、どうなる?
私はこのままお前を抱きたくなるのか、
――それとも、お前を傷つけることを厭うようになるのか」
セレイヴを見下ろす翡翠の瞳が、暗く沈む。
「言え」
セレイヴは瞳を伏せ、顔を背けた。
「お前の力は、王家の力となる。
この私がお前の使い方を知らないなどということが、許されるわけがない」
「僕は……あなたが、信じられない」
ディートリヒの眉が歪む。
天蓋に塞がれたこの場所まで、燭台の火の明かりは届いていない。薄い闇だけが二人をかろうじて隔てていた。
「私がここにいられるのは、数日だけだ。
その間にお前は私に力について教えろ」
ディートリヒは起き上がり、セレイヴを見下ろす。
「お前が処女を失う日も、近いかもな。
それとも……お前は美しいから……。すでに経験済みか?」
声を上げて笑った。嘲笑うような、冷たい声。
ひとしきり笑うと、王太子はさっさと踵を返し、部屋を出ていった。
セレイヴは腕をさすりながら、静かに起き上がる。
吐き出す呼吸が、わずかに震えていた。
ディートリヒと入れ違いに部屋に戻ってきたマティアスは、ベッドの上にいたセレイヴを見つけると、目を見開いた。
息を呑み、急いで駆け寄る。
「セレイヴ様!
……何をされたのです……」
セレイヴは首を振った。
「何も……。
……でも、すごく嫌な人だった……」
大きくため息を吐く。
「……一度だけ話した陛下は、いい人そうだったのに」
マティアスは彼の背をそっとさすった。
セレイヴは、添えられた手をちらりと見ると、情けなく眉を下げる。
「僕、処女を失うならマティアスの方がいい。優しくしてくれそう」
「な……何をおっしゃるのです!」
ため息を吐いて項垂れたセレイヴに、マティアスは小さく笑った。
「全く……あなたという人は……」
ベッドの外で揺れている燭台の火は、壁に大きく影を落としていた。
翌朝、辺境騎士団の訓練所を視察するというディートリヒの馬車に、なぜかセレイヴも押し込まれていた。
「なぜお前は私の目を見ない。
異能と関係があるのか?」
王家専用の馬車は一回り大きく、座席もとても柔らかい。だが、向かい合って座らさせられているセレイヴは、ずっと無表情で窓の外を見つめていた。
「あぁ、わかったぞ。
もっと私が欲しかったのだな。そうか、すまんな。押し倒すだけでやめてしまった」
セレイヴの眉が不快げに寄る。それを見たディートリヒは声を上げて笑った。
ディートリヒは、セレイヴ以外の人間の前では、物腰が穏やかな紳士的な男のように振る舞っていた。馬車で二人きりになった途端に、威圧的な態度にかわり、下品なことも平気で言う。
馬車が停まる。
従者が開けた扉から、王太子がひらりと先に降りると、恭しくセレイヴに手を差し出した。
セレイヴが眉を寄せてその手を見ると、ディートリヒはそっと手をつかんで引きよせる。
「セレイヴ。遠慮しなくていいんだ。ほら、おいで」
弟を慈しんでいるかのような、柔らかい声。
別の馬車で先に訓練所に着いていたアルベルトとカスパー、リディアはぎょっとしてその光景を見ていた。マティアスは目を細めてじっと見つめている。
ディートリヒはセレイヴの肩を抱くようにして歩き出した。
わずかに砂ぼこりが舞う。
セレイヴの表情は明らかにうんざりとしていたが、誰もそれを指摘できる者はいなかった。
空は、晴れ渡っていた。
騎士団の訓練が見渡せる位置に用意された王太子のための席の隣に、急遽セレイヴの椅子が用意される。
団員たちは、席を用意しただけで遠巻きに彼らを眺め、誰も話しかけようとはしなかった。
ディートリヒがほとんどの人間を遠ざけたせいで、彼らの近くにいるのはディートリヒの従者とマティアスだけだ。彼らでさえ、声の届かない距離まで下げさせられている。
「……感じが悪いな」
ぽつりとこぼされた言葉に、セレイヴはわずかに顔を上げた。
「月の子。
お前が辺境で異能を使った事自体は王都にも届いている。だが、内容は伏せられたままだ。
騎士達がお前を見て怯えている。
何があった」
話そうとしないセレイヴに、ディートリヒはその端正な顔を向け、口角をあげる。
「強情だな。
いいことだ」
その日はそれ以降、ディートリヒがセレイヴに話しかけることはなかった。
ただ淡々と、騎士団の訓練を見、施設を回って、ディートリヒのために用意された辺境伯邸の特別室に戻る。
日が暮れる頃にはセレイヴは疲れ果て、様子を見に来たリディアに顔を見せることもなく、早々に寝てしまった。




