表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/23

14 使者


 満月が出ていた。


 セレイヴはそれを部屋の出窓から見上げていた。風もなく、そっと触れた窓ガラスは静かに指先から熱を奪っていく。


「外に……出たいな」


 そうこぼすと、控えていたマティアスが小さく頭を下げ、部屋の扉を開けた。廊下で待機しているオリバーに声をかけると静かに戻ってくる。


「……セレイヴ様。いつもの場所でよろしいですか」


 セレイヴはゆっくり振り返り、小さく頷いた。彼が歩き出すと、マティアスがそれに続く。廊下へ出てきたセレイヴの後ろをオリバーも半歩下がってついて歩いた。

 石床を踏む音が、暗い廊下にひっそりと落ちる。





 少しだけ木立が開けたその場所には、鬱蒼と長い下草が蔓延っていた。草を踏み、セレイヴは月明かりの差す木々の隙間へと足を進める。

 マティアスとオリバーは離れた木立の影に立つようにして、それを見守っていた。


「以前、月の使者がセレイヴ様に接触したことはお聞き及びですか」


 声を潜めたマティアスに話しかけられ、オリバーは横目でちらと視線を返し、頷いた。


「……はい」

「セレイヴ様の魅了の詳細については」

「一応、話には聞いています」

「セレイヴ様が願い、その対象がセレイヴ様の姿を目に入れた時だけ、魅了に掛かります。

 逆に言えば、セレイヴ様が願わなければ、我々はどれほど近くにいようと魅了にかかることはありません」


 マティアスとオリバーの視線が交わる。


「……ですが、セレイヴ様はこうして私たちを遠ざけたがる」


 オリバーがセレイヴに視線を向ける。銀髪が月光を艶やかに返し、その白い肌は、今にも夜に溶け出してしまいそうなほどに儚い。


「セレイヴ様から、決して目を離さないように。頼みますよ」

「はい」


 セレイヴが月光を手に受けるようにして、両手を広げた。

 だが、オリバーはほとんど無意識に、少しだけ視線を下げた。


「あぁ、いたいた」


 彼らの背後から近づいてきたのはカスパーだった。気安くオリバーの肩に触れると、顔だけをセレイヴの方に向ける。


「あぁ、やっぱり異能の実験してたのか。今日は月がよく見えるもんな。まっすぐこちらに来て正解だった」

「はい。天候に恵まれず……俺が見るのは初めてです」

「あ、そうか。オリバー、交代の時間だが、少し見てから帰るか?」


 オリバーの瞳が小さく揺れる。少し遅れて、彼は頷いた。


「……はい」


 マティアスはその様子を、静かに見つめていた。



 


 セレイヴはしばらく草むらに佇んで月を見上げていたが、やがて肩を落とし、ゆっくりと手を下げた。


 風が吹き始める。

 草が揺れ、木立の葉が忙しく音を立てた。


 月が、一瞬だけ雲に隠された。


 セレイヴはゆっくりとマティアス達のいる方へと振り向く。


 その刹那、


 彼は――目を見開いて凍りついた。


 その表情にハッとしたカスパーとオリバーは剣を抜きながら背を振り返る。


 男がいた。


 カスパーはマティアスを突き飛ばして距離を取らせると、剣を握る。

 かすかに背筋が冷える。


 ――気配がしなかった。


 カスパーと並ぶほどの高い上背。

 血の気を感じさせない白い肌に金の瞳。

 見慣れぬ白装束の男は、カスパーとオリバーを静かに見つめていた。


「我らの異物は見世物ではない。その穢らわしい目で見るな。蛮族どもが」


 その声を聞いただけで、背がぞくりと震える。


 オリバーはその青目を、月の使者から外せずにいた。


 月の使者は、ゆっくりとオリバーに視線を向けると、まばたきもせずに見つめ返す。


 途端に、オリバーの喉が締め付けられ、呼吸が浅くなる。 


 剣を持つ手が、震え出した。

 

 耳鳴り。

 視界から、月の使者以外の全てが消える。


 自分が立っている感覚さえ、鈍くなる。


 使者は、腕を持ち上げた。


「触らないで!」


 セレイヴの声に、動けずにいた三人はハッと息を呑む。マティアスがセレイヴに向かって駆け出し、騎士二人は剣を構え直した。


 カスパーが踏み込んだ瞬間――


 目の前から姿が消える。


 急いで振り返ると、月の使者は既にセレイヴの前に立ち、その胸ぐらを掴んでいた。


「……セレイヴ様!」


 マティアスが声を上げるが、月の使者は一瞬だけ彼の方を向き、その瞳がわずかに光を帯びる。

 

 その途端に、マティアスの足が動かなくなる。

 視線が、月の使者に縫い止められる。


「……マティアス……来ちゃだめ……」


「うぬはなぜまだ生きている。せっかく時間をくれてやったというのに」


 襟元を強く握られ、喉が締まる。

 セレイヴは声も出せずに、眉を歪めてその金の瞳を見つめた。


 使者が、呼吸も触れそうなほどに、顔を寄せる。


「……我が名はルミナリスの執行者レキ。

 ルミナリスの御名において、うぬに刃を届けよう」


 レキが片手で小刀を取り出した。


 銀の刃に、月光が触れる。


「――させるかぁ!」


 声に、

 レキはセレイヴを突き飛ばし、そのまま背に跳んだ。

 セレイヴは体勢を崩して草の上に滑るように倒れる。


 横に振られた長剣が、レキの小刀に流される。


 短い金属音。


 カスパーは片目を瞑ったまま、もう一度剣を振り上げる。


「つまり、見なけりゃいいってことだろう!?」


 レキはまた後ろにすらりと引き、躱す。


 切られた草が空を舞った。


 カスパーが踏み込み、

 突く。

 

 空気が裂かれる音。


 光を帯びた金の瞳が筋となって、夜に残る。


 背に、ぞっとする気配。

 足を踏み変え、カスパーは背後へ身体を捻った。

  

 レキの小刀を剣で受け、衝撃を散らす。


 ――いつの間に背に回った?


 繰り返される剣戟。

 腕に鈍い痛みが走る。

 

 草を踏んだ足元が、じりじりと後ろに下げられる。


 ――小刀のくせに、大剣みたいな重さをしてやがる。


 額から汗が垂れる。

 踏まれた草から青臭い匂いが立ちのぼった。


「レキ!」


 浅い呼吸のまま立ち上がったセレイヴが、声を上げる。


「僕を見ろ!

 僕を殺しに来たんだろ!?」


 レキはそちらへ目は向けずに、腰を落としたカスパーを見下ろしていた。


「異物である僕は醜いだろう?

 でも、見たくてたまらない。

 レキ……こちらを見ろ。僕はここにいる」


 レキの瞳が、吸い寄せられるように、

 ゆっくりとセレイヴへ向く。


 金の瞳同士が、絡み合う。


 雲が風に押され、月光が落ちる。


「月へ帰るんだ」


 セレイヴの瞳がぼんやりと光を帯びた。


 その瞬間、


 レキの足元がわずかにふらつく。

 彼は顔を背け、片手で目を押さえる。


「……我にうぬの力は効かん。

 青星の混ざり物め」

「……僕の中に流れるのは女王の血だよ。

 使者の君が逆らえるのかな」


 レキの金の瞳に、銀が映り込む。


 カスパーの剣が、振り下ろされる。

 

 レキは短く息を吐き出し、身を翻す。

 だが、間に合わなかった銀髪が、一房、草の上に舞った。


 カスパーがさらに踏み込んだ時――


 レキは、姿を消した。

 

 振られた剣は、空を切った。



 月の使者は――もうどこにもいなかった。



 カスパーとセレイヴの短い呼吸が、草むらの上を滑る。

 

 風がそよぐ。

 葉擦れの音。

 草が波打つように、揺れていた。

 

 セレイヴはその場に膝を落とす。


 やっと動けるようになったマティアスが彼に駆け寄り、そっと抱きしめた。


「……また、使ってしまった……」


 マティアスは首を振り、両手で顔を覆って俯いたセレイヴを胸に掻き抱いた。


 カスパーはやっと剣を下ろし、あたりをゆっくり見回した。呼吸を整え、剣をしまう。

 強く瞳を伏せ、奥歯を噛み締めた。


 最も遠くにいたオリバーは、震える自分の手のひらを見つめた。


 ――何も……


 ――何もできなかった……。


 満月だけが、静かに夜空に残されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ