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13 間奏


 夜。

 カスパーと交代でやってきたオリバーは、セレイヴ達に挨拶した後は静かに扉の前で待機していた。

 食事や湯を持ってきた使用人に対して、一つひとつ丁寧に確認を取り、それからやっと部屋へと通す。

 彼が立つ日の夜は、いつも通りの、静かな夜になりそうだった。


 寝る前の薄い紅茶を飲みながら、セレイヴは空を見上げた。隣にマティアスが並ぶ。


「……外に出られますか?」


 セレイヴは首を振った。


「初日から、迷惑かけたくない」

「……しかし」


 ハッとしてセレイヴはマティアスの銀灰の瞳を見つめる。


「護衛をつけてもらえたことには、感謝してるよ。

 ただ……少しだけ時間が欲しいかなって」

「はい」

 

 二人は並んで、夜空を見上げた。



 ◇



 翌日。

 アルベルトの前に、いかにも生真面目そうな痩身の男が腰を下ろした。向かい合わせのソファ。真鍮の片眼鏡のフレームが静かに光を返している。

 彼は王都から派遣された辺境領の領地管理人――サイラス・ヴェイン。


 彼はほとんど体を曲げずに頭を下げると、淡々と帳簿や報告書などをローテーブルに並べ始める。


「サイラス。君にも連絡はしてあったとは思うが、リディアの婚約が調ったんだよ」

「存じ上げております」


 サイラスは微動だにせずにそう応えた。


「彼らが結婚したら、領地管理は娘夫妻に任せようと思ってね」

「はい。そちらも伺っております」


 指先一つ動かなければ、表情も動かない。動くのは口だけだ。

 アルベルトは並べられた帳簿を一部取り上げると、じっとサイラスを見つめる。


「……ただ、未経験な上に……。特に夫となる男は庶民育ちだ。君からいろいろ教えてやってほしいんだ。

 まだ先の事だが、とりあえず心積もりだけしておいてくれ」

「はい」


 やはり特別な反応はない。


「……君は、セレイヴについて知ってるんだよな?」

「セレイヴ様について、王都からの報告を差し上げたのは私だったと思いますが」

「いや……そうだよな。すまん。変なことを聞いた」


 サイラスは王都にいる兄王からの連絡担当官の職務も担っている。王都と辺境に関して、彼が知らないことはほとんどない。


「異能があることや……月の子であることも……」

「存じ上げております」

「……そうだよな」


 アルベルトは顎に手を添えた。


 ――淡白すぎて、何を考えてるかわからんな……。


「……今日、顔見せも兼ねてセレイヴに会っていってくれるか?」

「畏まりました」


 眉一つ動かさないサイラスに、アルベルトの方が眉を寄せる。


 ――これも無反応か。


 並べられた報告書をまとめて全て持ち上げると、アルベルトは小さく息を吐いた。


「王都の連中は……セレイヴについてどう言っている」

「陛下が抑えておいでです」


 頷きを返し、少しだけ視線を持ち上げる。

 

「あの男は……どう出るだろうか」

「調査の者を派遣するか……。御本人がいらっしゃるのでは?」

「忙しい御身だ。まさか来るわけ……」


 アルベルトは無表情のサイラスを見返した。真鍮のフレームが変わらず光を返している。


「……来る可能性はあるのか?」

「可能性は高いと思われますが?」


 黒鳶色の髪を撫でつけ、アルベルトは片手で顔を拭った。

 紙束が、小さくカサリ――と鳴る。





 セレイヴの部屋。

 セレイヴと、アルベルト、サイラスは向かい合ってソファに身を預けていた。セレイヴの視線はわずかに下方に落ち、サイラスは背筋を伸ばしたまま静かにセレイヴを見ている。

 

「セレイヴ。

 この男はサイラス・ヴェイン。王都から派遣してもらっている領地管理人の男だ。

 君にはリディアと結婚した後は、この男の仕事を引き継いでもらいたいと思っている」


 セレイヴの視線が持ち上がり、マティアスを探した。それを見てアルベルトは小さく笑う。


「あぁ、もちろん一人でやれとは言わない。 

 リディアとマティアス、それから将来的には専門の補佐もつけるつもりだ」


 サイラスが立ち上がると、セレイヴに向かって手を差し出した。つられるようにしてセレイヴも立ち上がるが、その手を見て眉を寄せた。

 セレイヴは自分の手を見下ろし、息を呑む。

 

 そして、震える手をサイラスに差し出した。

 

「どうぞよろしくお願いいたします」

「……こちらこそ……よろしく」


 思いのほか手を強く握られ、セレイヴの肩が震える。

 その光景にアルベルトとマティアスもかすかに目を見開いていた。


 ――この男、やっぱり何を考えているかわからんな……。



 ◇



 午後になると、セレイヴの部屋にはリディアが訪れていた。

 書き物机に椅子を並べて座っている。


「セレイヴ様は、文字の読み書きや計算は良くお出来になりますね。計算に至っては、私より早くて正確かもしれません」


 セレイヴに問題を解かせて書かせた紙をめくりながら、リディアは顎に手を添える。


「この国や周辺国の地理についても、問題なさそうです」


 セレイヴは羽根ペンの羽根部分を撫でながら、リディアの手元を見つめていた。

 視線を感じて顔を上げると、若葉色の瞳とまっすぐに交わる。


「養父母は……はじめから僕に王の血が入っていることを知ってたみたいだから……」

「そうですね。高水準の教育をしてくださったようです」


 リディアは紙を置き、膝の上で指を組んだ。


「そうなると、家庭教師を手配するのはマナー講師と乗馬の講師だけで済みそうです。

 ……乗馬に関してはお兄様に教えてもらうのでも十分かもしれませんね」


 セレイヴの眉がかすかに寄るのを、リディアは不思議に思いながら眺めた。


「ダンスなどは……」


 セレイヴが首を振る。


「やってみましょうか。

 セレイヴ様の運動神経も少しわかりますから、乗馬の参考にもなります」


 席を立ち、応接セットとベッドの間の少し広くなっている場所にリディアが立った。セレイヴは戸惑いながらその正面に立つ。

 リディアが一歩寄ると、セレイヴは慌てたように一歩下がった。


「……なぜ逃げるのです」

「え……だって」


 リディアがもう一歩セレイヴに寄ると、彼はまた一歩引く。リディアの眉が歪んだ。


「男女で向き合わなければ踊れませんわ」


 リディアは逃げないようにセレイヴの腕を掴み、距離を縮めた。顔を上げると、情けなく眉を下げているセレイヴと目が合う。


「……ねぇ、近すぎない?」


 セレイヴの言葉を無視して、彼の手を取ると、自分の腰に添えさせた。


「手はこちらに」


 セレイヴはその手を振り払うと、跳ねるようにして彼女から離れ、壁に控えていたマティアスの方を向く。


「……マティアス」

「は、はい!」

「リディアと代わって」

「え……なぜです?」


 ちらとリディアを振り向き、またマティアスの方へ向き直った。


「僕、女性の腰に触るなんてできないよ」

「……ダンスとはそういうものです」


 マティアスが目を細めるのを見て、セレイヴの口が開く。


「……貴族の常識?」

「はい」


 セレイヴは胸に手を当て、項垂れた。


「……僕、リディアの夫になるのはやっぱり難しいんじゃないかな……」


「婚約破棄の理由が、ダンスで腰が抱けないからというのは斬新ですね」

「マルグリット……」


 ぼそりとつぶやかれた言葉だったが、静かな部屋ではその声はよく響いた。


「なんですか? お嬢様」

「婚約は破棄にはならないわ。

 軽率なことは言わないで」

「それは申し訳ありませんでした」


 マルグリットは軽く頭を下げてから、隣にいたマティアスに耳打ちする。


「お嬢様、機嫌が悪いですね」

「マルグリット卿はよくそれでご令嬢の侍女が勤まっていますね……」


 マティアスは大きくため息を吐くと、項垂れているセレイヴの前に立ち、リディアがしていたように彼の手を取って腰に添えさせる。


「……やっぱり近いよね……」

「セレイヴ様はお召し替えの手伝いもさせてくれませんからね。

 人との距離が近い方かと思っておりましたが、そうでもないのですね。

 少し安心いたしました」

「……距離が近い?」

「手や頬にはすぐに触ろうとしますよね」

「……え?」


 セレイヴの眉が寄るのを、マティアスもリディアもきょとんと見つめた。


「……僕、そんなことしてた?」

「私は何度かセレイヴ様に頬に触れられましたが」


 セレイヴの目が見開かれる。


「……無意識でしたか」


 たどたどしくステップを踏み始めた二人を見ながら、リディアはマルグリットの横に並んだ。


「……またマティアスに負けてしまったわ」


 マルグリットはリディアを見ながら肩をすくめる。


「セレイヴ様は私には……」


 リディアはハッとしたように顔を上げ、声を潜めた。


「……まさか、セレイヴ様は……

 男色ではないわよね……」


 マルグリットは目を細めてリディアを見つめる。


「その目は何?」

「いえ。お嬢様は観察眼がある方かと思っておりましたが、ご自分が関わるとその感覚が途端に鈍ることがよく分かりました」

「……どういう意味?」

「いえ。何でもございません」


 セレイヴのダンス講師に関しては、女性講師では難しいということになり、結局、辺境伯邸の執事長がつくことになった。



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