12 視線
マティアスが駆けつけた時、セレイヴは一人、草むらの中でうずくまっていた。
「セレイヴ様!」
駆け寄って膝をつき、その背にそっと触れる。
「……どうされたのです?」
セレイヴは呼吸を整えながら、ゆっくりと起き上がった。その白い頬には、涙の筋が残っている。
彼は、自分の体を抱くようにして地面を見つめた。
「……月の……使者が来た」
「……え?」
マティアスの顔から血の気が引く。
背に触れていた彼の指先が、かすかに震えた。
「きっと、そう……」
「何か……されたのですか?」
「……死ねと言われた。……自刃しろって」
マティアスは言葉を失う。
「……そうすれば、見逃してやると……。
僕が……生きてちゃいけないみたいに」
セレイヴは呆然と、地面を見つめ続けた。
「異物って……言われた」
声が、震え出す。
一度は落ち着いた呼吸が、また浅くなる。
「僕は……人の子でも、月の子でも……ないんだ」
セレイヴは身体を抱きしめるようにしたまま、地面に伏せる。
「僕は……誰なの……」
マティアスはたまらず、その背を覆うようにして彼を抱きしめた。
「……セレイヴ様。……部屋に、戻りましょう」
セレイヴの背が、小刻みに震えている。
マティアスは、彼が落ち着くまで、その背をそっと撫で続けた。
冷えた風が吹き、草の上に落ちた月の影が、解けていく。
「遅くに、申し訳ありません」
セレイヴを落ち着かせ、寝かしつけたあとのマティアスは、辺境伯邸アルベルトの執務室の中にいた。壁に備え付けの燭台に執事が火をともして回っているが、弱い光は彼らの顔をはっきりとは見せない。
「いや、いい。緊急事態か?」
夜着にガウンを羽織っただけのアルベルトは、執務室内に並ぶソファを手で示す。だがマティアスは首を振り、それを辞退した。
「……セレイヴ様に護衛をつけていただけませんか」
「カスパーが丁度人選を始めたところだ。
……何かあったのか?」
マティアスはセレイヴから聞き出した月の使者について話す。
アルベルトはソファに座り、顎に手を添えた。
「……なぜ、君はセレイヴから離れた」
マティアスは瞳を伏せ、頭を下げる。かすかな衣擦れの音だけが、部屋に落ちた。
「……申し訳ありません」
「君は王都から来た人間だから、私は君を深くは知らない。だが、君が職務に忠実であることは、見ていればわかる。理由を教えてくれ」
マティアスは伏し目がちに視線を下げたまま、動かない。
「……当主命令だと言っても?」
アルベルトの視線を受け、マティアスが体を起こす。その銀灰の瞳はまっすぐに当主を見つめた。
「……セレイヴ様に、異能を解放するから離れているようにと言われ……」
アルベルトの眉が寄るのを見、マティアスは続ける。
「セレイヴ様は、月の出ている晩は別邸のお部屋を出て、異能の研究をされています。
ごく、短時間ではありますが」
「……短時間?
人に見られては困るから?」
「それもありますが……
異能の行使は、身体に負担がかかるからです」
アルベルトは頷くと、小さく息を吐いた。
「……私が懸念していることの一つに、彼の異能を利用したがる人間が現れやしないか――ということがある。
異能の研究について、私にも報告してもらえないか?」
「……ご命令でしたら」
二人の視線が交わる。
「……なぜ嫌がる? 私が理解しておけば、いざという時に君たちを守れる」
「アルベルト様が私たちをまだ信用していないように、私たちもまだアルベルト様を信じ切れないからです」
きょとんとアルベルトはマティアスを見つめ、一拍おいて声を立てて笑い出した。
「……マティアス……君、大人しそうな見た目をしていながら、肝が据わっているなぁ!」
マティアスは表情を変えない。
「……セレイヴ様に相談します。セレイヴ様が報告しても良いと仰っしゃれば、私に否やはございません」
「分かった。それでいいよ。
護衛の件については急がせる」
「……ありがとうございます」
頭を下げ、さっさと部屋を出ていったマティアスの背中を見送ると、アルベルトは髪を撫でつけながら小さく笑った。
数日後。
セレイヴの部屋を二人の騎士が訪れた。
リディアの兄カスパーと若手の騎士――オリバー。
深い茶の髪色に青い瞳の彼は、カスパーよりは小柄だが、均整のとれた体格をしている。
セレイヴはいつもの籐椅子に腰掛けたまま、ちらと彼らを見ただけですぐに視線を外した。
マティアスは静かに二人を観察している。
二人は部屋の扉近くに立ったまま、胸に手を当てていた。
「セレイヴ。
俺か、このオリバーのどちらかが必ず君につく。慣れるまでは不便かもしれないが、よろしくな」
「……うん」
カスパーはオリバーの背を強く叩くと、声を上げて笑った。
「オリバーは辺境騎士の中では小柄に見えるが、若手の中では剣も槍も、馬術にしても、頭一つ抜けている。
年齢もセレイヴと同じくらいだ。
仲良くしてやってくれ」
オリバーは腰を直角に曲げてセレイヴに頭を下げる。
「よろしくお願いします」
オリバーが頭を上げると、金の瞳とオリバーの青い目が交わる。ハッとしたようにセレイヴは顔を背けると「……よろしく」とつぶやいた。
その横顔を、オリバーは静かに見つめている。
「とりあえず、今は俺がつく」
騎士二人は視線を合わせると、小さく頷きあった。
「オリバー、今夜から、頼むな」
「はい」
オリバーが退室するのを見届けると、カスパーは当然のようにソファに腰掛けた。
この部屋は、あくまでも客のための部屋だ。
広いひと間に、ベッド、応接セット、書き物机などが並ぶ。隣には上級使用人のための待機部屋と衣装準備室もあるものの、比較的小さくまとめられている。
時として、要塞としても機能する別棟の部屋。
だがその分見通しも良く、護衛しやすい部屋でもあった。
カスパーは部屋を見回すと、マティアスを見た。
「……今は護衛任務中ですので、お茶はいらないかと思いましたが。
飲まれますか?」
「あぁ、いい。用意しなくていい」
セレイヴを見る。
彼は籐椅子から微動だにせずに、外を眺めている。
「……いつもあぁなのか?」
「え? えぇ、そうですが」
「セレイヴ。チェスか何かやろう」
セレイヴは肩を震わせると、ゆっくりとカスパーを振り向く。一瞬だけ目を合わせると、すぐに顔をそらした。
「……やらない」
「カードゲームは」
呆れたように壁際に控えたままのマティアスがカスパーを見つめる。
「カスパー様……。私の認識が間違っていなければ、護衛はたいてい扉の外で待機しているものなのではありませんか?」
「普通はな。
俺はセレイヴの義兄になるんだ。親交を深めたいと思って」
カスパーは手でセレイヴを指す。
「何が好き?
お菓子?」
「……静かに過ごされるのがお好きです」
「えぇ〜……」
結局その日、カスパーは何だかんだと言いながら彼の部屋で過ごした。
夜になって彼が去ると、セレイヴは疲れたように大きなため息をついていた。




