第308話 王の矜持と、有能なる防波堤
隠し部屋の冷たい空気を震わせ、古代アストライア文明の通信機が青白い光を放ちながら起動音を鳴らした。
黄龍による緊急通信プロトコルが作動し、魔力回路がオゾン特有の焦げた匂いを薄く漂わせている。
俺は通信機のマイクに向かって、地を這うような低く嗄れた声を落とした。
「……俺だ。聞こえているな?」
回線の向こう側には、このヴィータヴェン王国の命運を握る三人のトップが繋がっている。
国王ファナック、冒険者ギルド長マイノール、そして騎士団長イシュカルだ。
「緊急事態だ。表の仕事は全部放り投げて、今すぐ王宮の『影の間』に集まれ。また厄ダネだ。しかも今度は、とびきり悪質で底意地の悪い亡霊が憑いてやがるぞ」
相手の返事を聞く前に、俺は一方的に通信を切った。
奴らなら、今の俺の声に含まれた尋常ではない「温度」を察知し、最速で動くはずだ。
通信機の電源を落とし、カウンターに置いた漆黒のアミュレットを無造作に掴み取る。
冷たく、どす黒い殺意を孕んだ金属の感触が、革手袋越しにも伝わってきた。
分厚い革コートのポケットにそれをねじ込み、首に巻いたタオルを強く締め直す。
「行くぞ、黄龍。転移の座標を固定しろ」
『了解しました、師父。王宮の防衛結界を一時的にバイパスします。空間接続、開始』
工房の床に刻まれた転移陣の上に立ち、自身の内に圧縮されたドラゴンの質量を微細にコントロールしながら魔力を流し込んだ。
視界が白く反転し、空間が強烈に歪む。
次の瞬間、俺は王宮の地下深く、何重にも隠蔽と防音の魔法が編み込まれた極秘の空間、『影の間』へと降り立っていた。
重厚な円卓を囲むようにして、すでに三人の男たちが顔を揃えていた。
いずれも息を切らし、額に汗を浮かべているところを見ると、文字通り全速力で駆けつけてきたらしい。
「……で。今度は一体、何を拾ってきたんだ、ドレイク殿。動悸が止まらんのだが」
ファナック王が、胃の辺りを手で押さえながら、ひどく疲れた顔で尋ねてきた。
「俺が拾ったんじゃない。街の若い冒険者が、ダンジョンで拾わされたんだよ」
俺は円卓の真ん中に、あのアミュレットを投げ出した。
カンッ、と乾いた金属音が、静まり返った密室に不気味に響く。
「こいつは古代の士官用指揮ツール。精神防壁を持たない一般人が使えば、支配欲で脳を焼き尽くされて暴走する欠陥品の洗脳装置だ」
「おいおい、冗談じゃねえぞ。そんな不吉なモンが市場に出回ってみろ、ギルドの連中が次々と殺人鬼に変わっちまうじゃねえか」
マイノールが凶悪な笑みを消し去り、忌々しげに舌打ちをした。
「ああ。だが、本当にマズいのは、こいつが『なぜ今の時代にポロリと落ちていたのか』って点だ。黄龍、説明しろ」
俺が懐から黄龍の宝珠を取り出し、円卓の上に置くと、水晶玉が淡く明滅を始めた。
『……解析の結果、この遺物には特定の命令を強制的に動かす「裏口」が仕込まれていました。干渉の震源地は、東方のラノリア聖教国中枢。彼らを裏で支配する古代知性体「ソフィア」の子機……"管理者"を自称する機械です』
「ラノリアだと……!?」
イシュカルがバンッと両手で机を叩いて身を乗り出した。
『数百年前の適合者の身勝手な願いによって狂った子機は、ラノリアによる全土統一こそが唯一の平和であるという極端な論理に陥っています。彼らは戦力を増強するため、影響下にある古代兵器の封印を解き、冒険者たちを無自覚な運び屋として利用しているのです』
黄龍の冷徹な報告が下った瞬間、三人の顔から完全に血の気が引いた。
狂った古代のシステムが、人間を使い捨ての駒にして、世界規模の戦争を再演しようとしている。
かつて俺が、親友の死と引き換えに見届けたあの地獄が、再び幕を開けようとしているのだ。
俺は円卓に両手をつき、三人の顔を順番に見据えた。
「ラノリアが、古代の遺物を使った大がかりな戦争を引き起こそうとしている。下手をすれば、数百年前に世界が割れた時の再来になりかねねえヤツだ」
俺は拳を固く握り締め、自身の内に荒れ狂う質量を必死に押さえ込んだ。
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを堪える。
「俺は『門番』だ。神の怒りに触れるような『戦争』だけは、絶対に阻止しなきゃならん。表の政治と軍の動きでラノリアを牽制するために、お前さんたちの力を貸してくれ」
深い、凍りつくような沈黙が降りた。
俺の正体を知る彼らだからこそ、この言葉が単なる警告ではなく、確定した破滅へのカウントダウンであることを理解している。
ファナック王はゆっくりと椅子に深く腰掛け、震える両手で顔を覆った。
「……ラノリアの『聖戦』か。奴らに国境を突破されれば、我が臣民は異教徒として虐殺されるか、洗脳されて戦争の肉壁にされるだろう。だが、我が国の軍事力だけでは……」
為政者としての冷徹な計算、そして国を背負う王としての責任。
やがて、ファナックは顔を上げ、燃えるような瞳で俺を真っ直ぐに見つめ返した。
「……俺は、国を売るぞ」
「陛下!?」
イシュカルが悲鳴のような声を上げたが、ファナックは鋭い手招きでそれを制した。
「我々ヴィータヴェン王国は独立国としての歴史に幕を下ろし、強大なるガルディア帝国へ『完全なる臣従』を誓う。我が国を帝国の一部として吸収併合させることで、国民すべてを『ガルディア帝国の正規の臣民』として差し出すのだ」
それは、戦う前に白旗を上げる軟弱な降伏ではない。
王冠という名の誇りを捨ててでも、巨大な帝国の傘の下に国民をねじ込み、国際法と軍事力による絶対的な防波堤を構築するという、最も泥臭く、そして気高い『王の決断』だった。
俺は一言も口を挟まず、その決断に最大限の敬意を払った。
「……イシュカル、マイノール。異存はないな。これが我が国の民を救う唯一の道だ」
「……ハッ。陛下がそこまで泥を被られるというのなら、我らも地獄の底までお供いたします」
「へっ。ギルドの連中を路頭に迷わさずに済むなら、どこの国の属国になろうが知ったこっちゃねえですよ。せいぜい帝国の懐を食い荒らしてやりますわ」
ファナックは力強く頷くと、壁際に設置された通信用の全身鏡の前に立った。
◆◆◆
魔力を流し込むと、鏡の向こうにガルディア帝国の老宰相の姿が浮かび上がった。
『……ヴィータヴェン王よ。このような時間に緊急の通信とは、いかなる風の吹き回しかね』
「宰相閣下。単刀直入に申し上げる。我が国はガルディア帝国に対し完全なる臣従を誓う。代わりに、我が国民を帝国臣民として保護していただきたい。ラノリアが『聖戦』を謳う侵略の準備をしている。猶予はない」
老宰相は目を丸くしたが、ファナックの背後に立つ俺の姿を一瞥した瞬間、その表情を険しいものへと変えた。
『独立の誇り高きヴィータヴェンが、無条件降伏を申し出るとは。ラノリアの狂信者どもが、それほどまでに手に負えぬ事態を引き起こしているということか』
「然り。奴らは古代の遺物を用い、世界を終わらせかねない大戦を画策している。我が国の防衛線だけでは、いずれ決壊し、その被害は帝国にも及ぶだろう」
老宰相は深く顎鬚を撫で、思案に耽る。
彼は俺の正体を極秘裏に知る、数少ない人間の一人だ。
『……この決定を、「火龍」殿は……?』
「「好きにしろ」と。我々の手に負えない片付けごとは、請け負っていただけました」
俺は黙って、鏡の向こうの老宰相に向けて一度だけ顎を引いてみせた。
表の泥はあんたたちが被れ。
裏の掃除は、俺がやる。
『……相分かった。ヴィータヴェンの臣従、我が帝国の名においてしかと受け入れよう。陛下にもすぐにお伝え申し上げる。直ちに条約締結の準備に入らせましょう』
通信が切れると同時に、マイノールが悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「俺は、ギルドのネットワークを使って市場に出回った厄ダネを根こそぎ回収しよう。「没落貴族が家宝を買い戻す」という名目で、特別高額買取キャンペーンをぶち上げてやる。金は、まあ、何とか工面するさ」
「騎士団は「対スタンピード合同演習」の名目で、ただちに全戦力を国境へ駐留させます。冒険者も巻き込んで国境一帯を封鎖すれば、ラノリアの工作員が入り込む隙は完全に塞がれます」
三人の有能なトップたちが、瞬く間に完璧な防波堤を構築していく。
俺は壁から背中を離し、首に巻いたタオルをグッと引っ張った。
「上出来だ。お前らが一番重い荷物を背負ってくれたんだ。俺みたいなハグレもんが、裏の掃除で音を上げるわけがねえだろ」
俺の口の端が吊り上がり、凶悪な笑みがこぼれ出る。
「表は任せたぞ。俺はこれから、機械に踊らされてる頭の悪いガキどもに、本物の「理」ってやつを骨の髄まで教え込みに行ってくる」
俺は転移陣に再び魔力を流し込み、迫り来る聖戦の裏側で暗躍する狂信者たちを叩き潰すため、夜の闇へと姿を消した。




