第305話 洗脳の女魔法使いと、呪いのアミュレット
隠し部屋の通信機から聞こえてきたのは、ヴィータヴェン国王であるファナックの、疲労の色が濃く滲んだ声だった。
「ドレイク殿。ラノリアの動きが、どうにもきな臭い。国境付近での不審な軍の動きだけでなく、王都に出入りする冒険者たちの間でも、妙な古代遺物が流通している形跡がある」
「遺物、だと」
「ああ。特に、帝国出身の冒険者パーティーが、まるで人が変わったように無謀で異常な行動を起こしているという報告が、ギルド長のマイノールからも上がってきている。……どうやら、ただの治安の悪化では済まない予感がしてな」
「……わかった。俺の方でも、耳と目を光らせておく。お前さんは、表の防波堤をしっかり固めておけ」
短く通信を切り、俺は通信機の電源を落とした。
薄暗い隠し部屋の中で、腕を組んで深く息を吐き出す。
かつての光華王朝とスヴァトゴーラ王朝が共倒れになった、あの狂気に満ちた軍拡競争。
あの時代にも、兵士たちの正気を奪い、無理やり死地へと駆り立てるような忌まわしい遺物が数多く生み出されていた。
もし、ラノリアの古代AIがそうした負の遺産を意図的に掘り起こさせ、世にばら撒いているのだとしたら。
「……また、血生臭い時代が来ようってのかよ」
『師父。ファナック王の懸念は、確率論的に見ても看過できない数値を示しています』
俺の懐に収められた黄龍の宝珠が、淡く明滅して無機質な声を響かせた。
「わかってるよ。だが、具体的な厄ダネの正体が掴めねえことには、動きようがねえ。……ひとまずは、店に戻るぞ」
俺は首に巻いたタオルを締め直し、隠し部屋からごった煮の工房へと戻っていった。
◆◆◆
王都の裏路地にひっそりと佇む、『よろず屋ドレイク』の店内。
ファナックからの通信があってから数日が経過していたが、表立って王都に大きな混乱は起きていない。
だが、俺の竜としての本能は、足元でジワジワと何かが腐っていくような、ひどく嫌な気配を感じ取り続けていた。
「……よし。魔力回路の接続はこれで完璧だ」
俺がコンロの最終調整を終え、工具を置いたその時だ。
カラン、と。
入り口の古びたドアベルが、どこか力なく、鈍い音を立てて鳴った。
「いらっしゃい。……ん?」
俺はカウンターから視線を上げ、店に入ってきた客を見て片眉をひそめた。
現れたのは、馴染みの中堅パーティーに所属している女魔法使い、ヒルダだった。
彼女たちのパーティーは帝国出身で、リーダーのクラウスを中心とした堅実な戦い方をする連中だ。
以前来た時も、愛嬌のある娘だったはずだ。
だが、今の彼女の姿はどう見ても異常だった。
足取りは重く、泥沼の中を歩いているかのように引きずっている。
ローブは汚れ、生々しい裂け目があちこちにある。
何より異様なのは、血の気が失せ、焦点の合っていない虚ろな瞳だ。
「……おやっさん、頼んでたコンロの、受け取りに、きた……」
感情の起伏が一切削ぎ落とされた、平坦で機械的な声。
俺は竜の視覚を通し、彼女の魔力の波長を視た。
本来の澄んだ流れに、どす黒い靄のようなものがべったりと張り付いている。
(……おいおい。こいつはただの疲労じゃねえぞ)
強力な精神干渉系の魔法、あるいは呪詛の類による洗脳状態だ。
俺は彼女の肩を軽く掴み、店舗の隅にある椅子へと座らせた。
ヒルダは操り人形のように力なく腰を下ろす。
俺は湯を沸かして茶を淹れ、棚の奥に隠してある小瓶を取り出し、その中身を数滴垂らした。
俺が独自に調合した『精神汚染の強制パージ用ポーション』だ。
「ほら、熱いうちに飲め」
湯気を立てる木杯を握らせると、彼女は機械的な動作で中身を喉へと流し込んだ。
「――ッ、ゲホッ! ゴホッ、ガハッ……!!」
ヒルダは木杯を取り落とし、喉を掻きむしりながら激しく咽せ返った。
ポーションの強烈な浄化作用が、精神汚染の魔力を強制的に焼き切っていく。
床に突っ伏して咳き込む彼女の背中を、俺は一定のリズムで叩いてやった。
やがて咳が収まり、彼女はハッと息を呑んで顔を上げた。
その瞳には、強烈な恐怖と混乱、そして明確な自我の光が戻っていた。
「わ、私……!? あれ、おやっさん? なんで私、ここに……っ!」
「っ、そうだ! リーダーが、クラウスがおかしくなって……! みんな、みんな死んじゃう……!」
パニックに陥るヒルダの肩をしっかりと掴み、俺は低く落ち着いた声で語りかけた。
「落ち着け。お前さんは今、俺の店にいる。安全だ。……ダンジョンで、変なもんでも拾ったんだろ。そいつを身につけてから、周りの連中がクラウスの言うことに絶対服従するようになった。違うか?」
ヒルダはビクッと肩を震わせ、激しく頷いた。
「な、なんでそれを……っ、そうです! クラウスが、変なアミュレットを首にかけてから……!」
数日前、未踏破領域の浅い階層で古い金属製の首飾りを発見し、クラウスがそれを首にかけた直後からパーティーの歯車が狂い始めたという。
クラウスは異常に強気になり、仲間たちは恐怖や痛みを忘れたかのように、彼を守るための肉壁として戦い始めるようになった。
「私、魔法で後方支援をしてたから、洗脳が少しだけ浅かったみたいで……。コンロを受け取ってこいって命令されて戻ってきたんです。でも、頭の中がずっと霞んでて……!」
泣き崩れるヒルダを見下ろし、俺はカウンターの下から分厚い革張りの『ドレイクノート』を引っ張り出した。
ページをめくり、一つの図解を探し当てる。
「ヒルダ。クラウスが拾ったってのは、こんな形のアミュレットか?」
古いスケッチを見て、ヒルダは血相を変えて激しく頷いた。
「そ、そう! これです! この不気味な紋様の……!」
「……」
俺は表情を一切崩さず、内心で盛大に頭を抱え、深く長い舌打ちを漏らした。
こいつは光華王朝の軍紋章が刻まれた『士官用の部隊指揮ツール』だ。
指揮官の音声を媒介にして強力な精神干渉波を放ち、兵士を恐怖も痛みもない殺戮機械に変える。
だが、使用者の精神も汚染し、支配欲と全能感で脳を焼き尽くして廃人にする最悪の欠陥品だ。
そんな危険極まりない代物が、現代のダンジョンの浅い階層にポロリと落ちていたなど、ただの偶然であるはずがない。
誰かが意図的に封印を解き、血の気の多い冒険者の手の届く場所にばら撒いているのだ。
手っ取り早く、狂信的な兵士の軍団を作り上げるために。
「……ヒルダ、泣くのは後にしな。残りのメンバーは、今どこにいるか大体の見当はつくか?」
「たぶん、街の中央広場だと思います。クラウスが、そこで物資を補給してからまたすぐダンジョンに行くって……」
「そうか。なら、急いだ方が良さそうだな」
俺は首に巻いたタオルを外し、隠し部屋から持ち出しておいた分厚い革コートを羽織る。
背後にいるのは、間違いなくラノリアの古代AI、『管理者』の意思だろう。
人間の業が生み出した古代の負の遺産を、再び戦争の道具として利用しようとするシステム。
俺の腹の底で、重く静かな怒りの炎が燃え上がり始めていた。
「おやっさん……? どこへ行くんですか?」
「コンロの修理代の釣り銭代わりに、お前さんのパーティー、ちょっと『修理』してきてやるよ」
俺は店を出て、王都の中央広場へと向けて歩き出した。
肥大化した支配欲には、圧倒的な物理の『理』を叩き込んで、目を覚まさせてやる必要がある。




