第304話 大分断の地獄と、置き去りの玉座
俺が夜空を真っ白に焼き尽くし、あの巨大なロケットを塵一つ残さず消し去ってから、どれほどの時間が流れただろうか。
世界のバランサー、門番たる火龍として、俺は最悪の結末を未然に防いだつもりだった。
だが、人間の業というものは、俺が考えていたよりも遥かに深く、そして救いようのないものだった。
光華王朝の皇帝は、失敗に終わったロケット打ち上げを『神の祝福』として民衆に喧伝し、さらなる軍拡へと突き進んだ。
対する北の大国、スヴァトゴーラ王朝も黙ってはいなかった。
彼らは強固な超硬合金で造られたガーディアンゴーレムの軍団を配備し、弾頭ミサイルを惜しげもなく並べ立てたのだ。
泥沼の戦争が始まり、二つの超大国は互いの領土を焼き尽くす狂気のチキンレースへと突入していった。
俺は黄龍の宝珠を懐に抱えながら、戦場の空を飛び回り、落ちてくるミサイルの弾道を強引に逸らしたり、暴走する魔導兵器を物理的に叩き潰したりして、被害を最小限に抑えようと奔走した。
スヴァトゴーラと光華の合間に現れる超巨体の龍を人々は『巨壁』と呼んだ。
だが、それは焼け石に水でしかなかった。
人間の悪意と恐怖が生み出す殺戮の連鎖は、一個体のドラゴンの力で止められる限界をとうに超えていた。
そして、その狂乱の時代が、ついに『限界点』を迎える日がやってきたのである。
◆◆◆
その日、俺は遥か北方に位置するハニマル国の奥深く、険しい岩山をくり抜いて作られたドワーフの工房を訪れていた。
かつて俺の理不尽な超質量を支えるため、世界一頑丈な『漆黒のパイプ椅子』を打ち上げてくれた、あの筋肉だるまの親方の工房だ。
各地を飛び回り『巨壁』と呼ばれる図体でミサイルやら熱線やら爆発やらを受け止めている間に、黒鋼のパイプ椅子に歪みが出てしまったのだ。
メンテナンスを待つ間、むせ返るような石炭の煙と溶けた金属の熱気が充満する巨大な鍛冶場で、俺は酒を飲みながら手持ち無沙汰に魔力を練っていた。
◆◆◆
「――できた! ついにできたぞ、親方!!」
俺は工房の石畳の上で、歓喜の声を上げて飛び跳ねていた。
俺の足元では、ドワーフの親方が咥えていた煙管をポロリと落とし、目を丸くして俺を見上げている。
「やかましいわい、ヒューマン。……いや、ヨシュアよ。何ができたって言うんじゃ」
「質量コントロールだよ! 長年の修行の末に、ついに俺の身体の『質量保存則』を、魔力で完全に相殺する術を身につけたんだ!」
俺は満面の笑みで、工房の隅に無造作に置かれていた、何の変哲もないヒューマン用の華奢な丸太椅子を指差した。
「見てろよ。今から俺が、あの普通の木の椅子に座ってみせるからな」
「バ、バカな真似はやめい! お前さんがそんなものに腰を下ろしたら、うちの工房の床板ごと下の階までぶち抜いちまうぞ!」
親方が慌てて止めに入ろうとするが、俺は静かに魔力を練り上げた。
自身の内側に数百万トンという規模で圧縮されている古代竜の超質量。
それを、重力魔法のベクトルを極限まで精密に操作し、外界へとかかる圧力をゼロへと近付けていく。
ゆっくりと、慎重に、丸太椅子へと腰を下ろす。
……ギシ。
木の椅子が微かに軋む音を立てただけで、粉砕されることも、床が陥没することもなく、俺の体重を見事に支え切ったのだ。
「おおおっ……! 座れた! 俺は普通の椅子に座れたぞ!!」
俺は椅子の上でガッツポーズを作り、歓喜の涙を流さんばかりに喜んだ。
人化の術を習得して以来、どこへ行くにもあのクソ重たい黒鋼のパイプ椅子を背負って歩かなければならなかった苦労が、ついに報われた瞬間だった。
「やれやれ。バケモンじみた執念じゃのう。だが、これでわしらが苦労して打ったあの黒鋼の椅子も、お役御免というわけか。メンテナンス途中じゃが、どうするつもりじゃ?」
親方が、少しだけ寂しそうに傍らの漆黒のパイプ椅子を見つめる。
「ああ、そいつには散々世話になったが、鋳潰してなんかの素材にしてくれや。これからはもっと身軽に旅ができるぜ」
俺が胸を張って答えた、まさにその瞬間だった。
ズズズンッ……!!!
地殻の底から響いてくるような、不気味で圧倒的な地鳴りが工房全体を激しく揺さぶった。
空間そのものが物理的に軋むような、次元の底が抜けるような異様な震動だ。
俺は慌てて丸太椅子から立ち上がり、工房の分厚い鉄扉をこじ開けて外の谷間へと飛び出した。
◆◆◆
空が、裂けていた。
真っ昼間だというのに、太陽の光は完全に掻き消され、分厚い暗雲が渦を巻きながら天を覆い尽くしている。
その雲の裂け目から、見たこともないほど巨大で、神々しいまでに白く輝く『雷』が、光華王朝とスヴァトゴーラ王朝の領土に向けて、無数に降り注いでいたのだ。
大地が悲鳴を上げ、視界の彼方で巨大な山脈が隆起し、地割れが大陸を飲み込んでいくのが見えた。
「な、なんじゃこりゃあ……! 世界が終わるぞ!!」
工房から転がり出てきた親方が、空の惨状を見上げて腰を抜かしている。
(……創造神の、怒りか)
俺の竜としての本能が、あの光の正体を正確に理解していた。
終わらない軍拡と、星の寿命すら縮めかねない破壊兵器の応酬。
その愚行をついに見過ごせなくなった上位存在が、世界を強制的にリセットするために下した鉄槌。
大陸を東西南北に引き裂き、二つの大国を跡形もなく消し去るための天変地異、『大分断』が始まったのだ。
「親方! 急いで職人どもを地下の深いシェルターに避難させろ! このハニマル国も、無事じゃ済まねえぞ!」
俺は叫びながら、人間の姿を維持していた重力魔法を解除し、数百万トンの質量を解放する。
眩い光と共に、分厚い赤銅色の鱗と巨大な翼を持つ、古代竜の真の姿へと顕現したのだ。
「ヨ、ヨシュア! お前さん、その姿は……!」
「俺は空へ逃げる! お前らも絶対に生き延びろよ!」
俺は巨大な翼を広げ、荒れ狂う暴風の中へと飛び立とうとした。
だが、その時、親方が工房の床に転がっていた漆黒の物体を指さして、俺に向かって叫んだ。
「おい、ヨシュア! お前さんの相棒、本当に鋳潰しちまっていいのか!? 黒鋼じゃぞ!?」
俺は空中で巨大な首を回し、親方の指さす先にある椅子を見下ろした。
ただでさえ天変地異の暴風が吹き荒れているのだ。
あんな無駄に頑丈で重たいものを持って飛べば、バランスを崩して地割れに飲み込まれるのがオチだ。
『かまわねえ! もういらねえ!』
俺は念話で親方にそう告げると、嵐の吹き荒れる大空へと力強く羽ばたいていった。
◆◆◆
かつてドワーフの技術の粋を集め『巨壁』とまで呼ばれた火龍の質量を支えるために造られた最強の椅子。
後世の歴史家たちが『古代の超兵器』だの『漆黒の玉座』だのと畏怖し、のちにとある悪役令嬢が兇器として振るうことになる銘品。
それはただ単に、火龍が魔法でダイエットに成功して不要になったため、天変地異のどさくさで『粗大ゴミ』として置き去りにされただけであったのだ。
◆◆◆
上空から見下ろす大陸の姿は、まさに地獄そのものだった。
神の雷が落ちるたびに、光華王朝の都が、スヴァトゴーラ王朝の要塞が崩れ去っていく。
大地が裂け、底知れぬ巨大な断裂帯が大陸を東西に引き裂き、南北には天を衝くほどの巨大な山脈が隆起していく。
俺が滞在していたハニマル国も、急激な気候変動によって吹雪に見舞われ、瞬く間に極寒の氷獄へと変貌していくのが見えた。
俺は強風に煽られながら、ただ無力にその惨状を眺めることしかできなかった。
懐に入れた黄龍の宝珠が、ひどく悲しげに明滅を繰り返している。
俺は世界のバランサーであり、門番たる火龍であったはずだ。
だが結局のところ、人間の業が引き起こしたこの破滅を、俺は止めることができなかったのだ。
『……俺は、何のためにこんなに長く生きてるんだろうな』
荒れ狂う嵐の中で、俺は誰にともなく自嘲の念を漏らした。
二つの大国が完全に消滅し、大陸が四つに分断された後。
俺は誰も寄り付かない荒野の奥深くへと姿を消し、孤独にやり過ごすだけの隠遁生活が始まったのだ。
◆◆◆
それから、どれほどの時間が流れたのか。
分断された大陸には新たな生態系が生まれ、生き残った人間たちは再び国を興し、細々とした営みを再開していた。
俺は相変わらずヨシュアとしてのおっさんの姿を保ち、あてもなく各地を放浪していた。
質量コントロールの魔法は完璧になり、もう椅子を壊すこともない。
だが、俺の心の中には、かつてのような熱気は完全に失われていた。
そんなある日のことだ。
人気のない辺境の森で、俺は一人の人間の若者と出会った。
血の気が多く、どこか抜けていて、しかしその瞳には圧倒的な生命力と野心が宿っている男。
のちにヴィータヴェン王国の開祖となる男だった。
ひょんなことから彼とパーティーを組むことになり、俺たちは幾多の死線を潜り抜けた。
魔物の群れに囲まれた時も、悪徳領主の罠にはまった時も、彼は決して仲間を見捨てず、泥臭く剣を振るい続けた。
その背中を見ているうちに、俺の中に凍りついていた『人間への愛着』が、少しずつ溶け出していくのを感じていたのだ。
そして、彼が自らの国を興す地を見定めた夜。
俺は焚き火の炎を見つめながら、ぽつりと自分が古代竜であること、世界を救えなかった門番であることを明かした。
それを聞いた彼は、驚くどころか、焚き火越しに俺の肩をバンバンと叩いて豪快に笑い飛ばしたのだ。
「そんなこたぁどうでもいい! お前さんが何年生きようが、ドラゴンだろうが関係ねえよ」
彼は手元の酒杯を俺に向けて高く掲げた。
「お前さんがヒトの国で暮らしたいって言うなら、俺の国に住めばいい!! 俺が興す国で、好きに生きてくれや!」
その底抜けの明るさと器のデカさに、俺は思わず毒気を抜かれ、腹の底から笑い声を上げていた。
人間ってのは、愚かで業が深くて、すぐに戦争を始めるバカな生き物だ。
だが、こういうとびきり眩しい奴がいるから、俺はどうしても人間を見捨てられないのだ。
こうして俺は、ヴィータヴェン王国の城下町に腰を落ち着けることになった。
彼が老いて死の床についた時も、俺は傍らで酒を飲みながらその最期を見守った。
『ヨシュア。国のことなんか気にせず、お前さんは好きに暮らせよ』
『ああ。星の巡りの果てで、いつかまた一杯やろうや』
それから何代もの王を見送り、俺はこの国の片隅で、静かなスローライフを送り続けてきた。
歴史の表舞台には立たず、ただの『よろず屋のおっさん』として、ガラクタの修理と美味い酒を楽しむだけの日々。
だが、あの大分断の悲劇だけは、二度と繰り返させるわけにはいかない。
だからこそ、俺は現代において、ラノリアの狂った古代AIが『聖戦』を起こそうとしているのを察知し、再び世界の裏側で暗躍を始めたのだ。
◆◆◆
『師父。感傷に浸っておられるところ申し訳ありませんが、ファナック王からの極秘通信が入っています』
カウンターの上の黄龍が、無機質な声で俺の思考を現実に引き戻した。
ここは現代のヴィータヴェン王国、裏路地の『よろず屋ドレイク』の店内だ。
「わかってるよ。さて、大人たちの防波堤作りの時間だな」
俺は首に巻いたタオルを締め直し、隠し部屋の通信機へと向かって重い足を踏み出した。




