表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【外伝】悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~よろず屋ドレイクのおっさんは、なかなか穏やかに過ごせない。β版~
299/314

第299話 過保護な食客と、黒椅子の賢者

 宿場町を支配していた悪党どもを、俺がパイプ椅子と関節技で物理的にわからせてから、さらに数年の月日が流れた。


 あの一件を皮切りに、若武者四人衆の武勇伝はまたたく間に大陸東部へと広まっていった。


 紅泉郷という隠れ里で、龍脈の加護と俺の泥臭いプロレス理論を叩き込まれて育った彼らだ。


 外の世界の凡庸な魔物や悪党など、もはや彼らの敵ではなかった。


 チー・ダイの豪快な大剣、フェイ・ガオの神速の双剣、ヤー・ダーの絶対的な防御と膂力、そしてシャオ・イェの冷静沈着な指揮。


 彼らの破竹の快進撃は、やがて大陸最大の覇権国家である光華王朝の皇帝の耳にも届くことになった。


 そしてついに、彼ら四人は光華の都に召し出され、正式に王朝の将軍や軍師として出仕することが決まったのだ。


 紅泉郷の村人たちは、かつての生贄の子孫から国家の重鎮が誕生したと、何日もぶっ通しで宴会を開いて大騒ぎしていた。


 俺も親鳥のように彼らの成長を喜び、極上の酒を浴びるほど飲んだ。


 だが、宴の熱狂が冷めるにつれ、俺の胸の奥にはドス黒い不安が渦巻き始めていた。


(あいつら、都でちゃんとやっていけるのか……?)


 魔物や野盗を相手にするのと、伏魔殿のような宮廷で権力闘争を生き抜くのとは、まったくの別問題だ。


 特にチー・ダイやフェイ・ガオのような血の気の多い馬鹿どもが、口八丁手八丁の腹黒い文官どもに騙されたり、御前で粗相をして首をはねられたりしないだろうか。


 心配で心配で、夜も満足に眠れなくなってしまった俺は、結局、彼らの後を追って光華の都へと向かうことにした。


 とはいえ、いつもの『椅子持ちのヨシュア』の姿でウロウロしていれば、彼らの自立の妨げになる。


 そこで俺は、月酔仙の協力を仰ぐことにした。



 ◆◆◆



 光華王朝の壮麗な宮廷。


 その奥深くにある月酔仙の屋敷の庭園で、俺は持ち込んだ漆黒のパイプ椅子を開き、どかと腰を下ろしていた。


 現在の俺の姿は、いつもの筋骨隆々とした働き盛りのおっさんではない。


 魔力を調整して肉体をさらに変化させ、深い皺が刻まれた白髭の『老人モード』へと姿を変えているのだ。


 年齢不詳を誤魔化しやすく、誰からも世話を焼かれにくい便利な姿である。


 そして、燃えるような赤い瞳を持つことから、自らを『紅月仙』と名乗ることにした。


 表向きは、月酔仙の古くからの友であり、彼の食客として宮廷に身を寄せている謎の仙人、という設定だ。


 俺がどこへ行くにも、ドワーフに打たせた黒鋼のパイプ椅子を持ち歩き、そこに深く座って鋭い眼光を放っているため、いつしか宮廷の連中は俺のことを畏敬の念を込めて『黒椅子の賢者』と呼ぶようになっていた。


 今日は、新たに将軍として取り立てられた若武者たちを皇帝に拝謁させる、大規模なお披露目の宴が開かれる日だ。


 豪奢な装飾が施された大広間には、何百人もの文官や武官が居並び、香炉から漂う甘い香りが空間を満たしている。


 俺は月酔仙の隣、すなわち皇帝の座所からもほど近い上座の端にマイチェアを置き、腕を組んで広場の入り口をガン見していた。


 やがて、重厚な銅鑼の音と共に、チー・ダイを先頭にした四人が大広間へと入場してくる。


 豪華な礼服に身を包んでいるが、その表情はガチガチに強張っていた。


(おいおい、歩き方が完全に右半身と左半身が一緒に出てるぞ、ヤー・ダーの奴……)


 俺は冷や汗をかきながら、彼らの一挙手一投足を見守った。


 皇帝の御前まで進み出たチー・ダイが、片膝をついて臣従の礼をとろうとした、まさにその瞬間だった。


 極度の緊張のせいか、あるいは慣れない礼服の裾を踏んだのか。


 チー・ダイの足元が大きく崩れ、背負っていた大剣の柄が床に引っ掛かり、彼は前のめりに盛大に転びそうになったのだ。


 皇帝の御前で転倒するなど、前代未聞の不敬である。


 文官たちが息を呑み、警護の近衛兵たちが殺気を放った。


(この馬鹿野郎がッ!)


 俺はテーブルの下で、太い指先を弾くように動かした。


 対象は、前方に倒れかけているチー・ダイの身体だ。


 自身の内に圧縮された数百万トンの質量を制御する俺にとって、他者の身体にかかる重力のベクトルをほんの数ミリ、数グラム単位で弄ることなど造作もない。


 グンッ、と。


 チー・ダイの胸ぐらの空間だけを局所的に上へと引っ張り上げ、重力の向きを強制的に補正する。


 まるで目に見えない糸で操り人形を引き上げたかのように、チー・ダイの崩れかけた体勢が空中でピタリと止まり、そのままバネ仕掛けのように美しい姿勢で片膝をつく動作へと着地した。


 一見すれば、転びそうになったのではなく、アクロバティックで力強い独自の礼の作法を披露したようにしか見えない。


「……ほう。見事な体幹だ。さすがは東原の地で鍛え上げられた若武者よ」


 皇帝が感心したように髭を撫で、周囲の文官たちもほっと息をついて称賛の声を上げた。


 チー・ダイ本人は何が起きたか分からず、目を白黒させている。


 俺は音を立てずに、深く長い安堵の息を吐き出した。


 だが、危機はこれで終わりではなかった。


 次に、将軍としての宣誓を求められた巨漢のヤー・ダーが、顔を真っ赤にして口を開きかけたのだ。


 その喉仏が異常なほど痙攣しているのが、俺の竜の視界にははっきりと見えた。


(いかん、完全に声が裏返るパターンだ)


 巨漢の猛将が、御前でネズミのような裏声を出せば、一生の笑い者にされる。


 俺は再び指先を動かし、ヤー・ダーの気管周辺の重力を微細に操作した。


 声帯にかかる余計な圧力を逃がし、腹の底から声が出るように横隔膜の動きを物理的にサポートする。


「我ら四名、命に代えましても、陛下と光華王朝のために尽くす所存であります!!」


 ヤー・ダーの口から放たれたのは、地を這うような重低音の、威風堂々とした素晴らしい宣誓だった。


 大広間に割れんばかりの拍手が巻き起こる。


 俺は背もたれに深く寄りかかり、手元の杯に入っていた酒を一気に飲み干した。



 ◆◆◆



 お披露目の宴が終わり、月酔仙の屋敷の離れに戻った俺は、パイプ椅子の上でぐったりと首を垂れていた。


 何万匹の魔物の群れを相手にするよりも、はるかに精神をすり減らす数時間だった。


「ふぉっふぉっふぉっ。紅月仙殿、随分とあの子らに肩入れなさる」


 月明かりの差し込む縁側で、月酔仙が瓢箪の酒器を揺らしながら愉快そうに笑いかけてくる。


「重力魔法という絶大な神の如き力を、あのように細やかな『作法のお直し』に使うとは。まるで、初めて空を飛ばせる雛を見守る親鳥のようですな」


「……うるせえよ。ただの酒の肴だ」


 俺は憎まれ口を叩きながら、空になった杯を差し出した。


「あいつらが早々に首を刎ねられちまったら、俺がこの退屈な宮廷で美味い酒を飲む口実がなくなっちまうからな」


「なるほど、そういうことにしておきましょう」


 月酔仙は人の悪い笑みを浮かべたまま、俺の杯に透き通った清酒を注いでくれた。


 火龍としての顔、冒険者『椅子持ちのヨシュア』としての顔、そしてここ宮廷での『黒椅子の賢者』としての顔。


 トリプルライフとでも呼ぶべきこの慌ただしい日々は、長すぎる寿命を持て余していた俺にとって、これ以上ないほど充実した、黄金のような時間だった。



 ◆◆◆



 それから数週間後の、ある夜更けのことだ。


 俺は庭園の片隅にパイプ椅子を置き、紅泉郷から取り寄せた極上のウイスキーが入った杯を傾けていた。


 静寂に包まれた屋敷に、微かな足音が近づいてくる。


 振り返らなくとも、その規則正しい歩調と魔力の波長で誰かはすぐに分かった。


「……夜分に失礼いたします、紅月仙様。まだ起きておられましたか」


 現れたのは、四人衆の中で最も理知的であり、今は月酔仙の直弟子として軍師の任に就いているシャオ・イェだった。


 彼は俺の傍らまで進み出ると、恭しく頭を下げた。


「ああ。年寄りは夜が短くてな。お前さんも、随分とお疲れのようじゃねえか」


 俺が老人特有の嗄れた声で作って尋ねると、シャオ・イェは疲労の色が濃い顔で微かに苦笑した。


「お恥ずかしい限りです。実は今日、チー・ダイの奴が、軍の補給物資の件で文官のひとりと激しく揉めまして」


 シャオ・イェはそのまま、俺の隣にある庭石に腰を下ろし、深い愚痴をこぼし始めた。


「あいつ、頭に血が上るとすぐに剣の柄に手をかける癖が抜けないんです。宮廷のドロドロとした権力闘争の中で、あんな挑発に乗っていては、いつか必ず足元をすくわれます。私が必死に止めたから良かったものの……」


「馬鹿野郎」


 俺は呆れたように息を吐き、杯の酒を舐めた。


「だから、あいつには『打撃は証拠が残るから、やるなら関節技で静かに落とせ』って、俺が……いや、東原にいたお前さんたちの師匠が、口酸っぱく教えていただろうが」


 俺がうっかり地を出してプロレス理論を語ると、シャオ・イェは目を丸くした後、吹き出すように笑い声を上げた。


「ふふっ……ええ、そうでしたね。あの人はいつも、理不尽なほどの力で俺たちをねじ伏せながら、泥臭い生き残るための理屈を叩き込んでくれました」


 シャオ・イェの瞳が、どこか懐かしむような、そして確信めいた色を帯びて俺を真っ直ぐに見つめてくる。


 こいつは四人の中で一番頭が回る。


 おそらく、宴の時の不自然な重力制御の件も含め、この『黒椅子の賢者』の正体が、自分たちを育ててくれたあの強面のおやっさんであることに、薄々気が付いているのだろう。


 だが、彼は決してそれを言葉にして確認しようとはしなかった。


「紅月仙様。宮廷の闇は深く、底が見えません」


 シャオ・イェは夜空の月を見上げ、静かに語り続ける。


「文官たちの言葉の裏には常に罠が仕掛けられ、武官たちは手柄を巡って足を引っ張り合っている。力だけでは生き残れないこの場所で、俺は……俺たちは、どう戦えばいいのでしょうか」


 本音の混じった、若き軍師の弱音だった。


 俺は漆黒のパイプ椅子の背もたれに深く身体を預け、彼に向けて低い声で答えた。


「……路上の取っ組み合いだろうが、宮廷の絨毯の上だろうが、戦いの本質は変わらねえよ」


「戦いの本質、ですか」


「ああ。相手の力を利用しろ。文官どもが仕掛けてくる罠の方向性を見極め、真っ向からぶつからずに力を流すんだ」


 俺は空になった杯を彼に向けて突き出した。


「打撃を避けられないなら、急所を外して受け身をとれ。あえてダメージを負うことで、相手の懐に潜り込む隙が生まれる。そして、ここぞという一瞬で、相手の最も弱い関節を極めるんだ。……わかるか?」


 シャオ・イェは俺のプロレス理論を用いた宮廷政治の指南に、しばらく呆然としていたが、やがて憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔を見せた。


「……はい。受け身をとり、相手の力を利用して理を極める。とても分かりやすく、そして馴染み深い戦術です。心がスッと軽くなりました」


 シャオ・イェが俺の杯に新しい酒を注いでくれる。


「ありがとうございます、紅月仙様。……俺たち、必ず立派にこの宮廷を生き抜いてみせます」


「ああ、せいぜい頑張りな。俺は特等席で、お前さんたちの奮闘を酒の肴にさせてもらうぜ」


 暗黙の了解の下で交わされる、悪巧みと愚痴の言い合い。


 シャオ・イェにとって、そして俺にとっても、この黒い椅子の前で過ごす静寂の夜は、息の詰まる宮廷生活の中で唯一肩の力を抜ける安らぎの場所となっていた。


 俺はチビチビと琥珀色の酒を舐めながら、横で月を見上げる若き知将の横顔を眺めた。


 この輝かしく満ち足りた黄金の日々が、ずっと続いていくのだと、この時の俺は信じて疑っていなかった。


 だが、俺の愛した世界のすべてが、狂気に満ちた終わらない大戦争によって一瞬にして灰燼に帰すその日は、すでに足音を立てて近づいてきていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ