第298話 悪党討伐と、最凶のパイプ椅子
木漏れ日の差し込む穏やかな森を抜け、俺たちは街道沿いにある中規模の宿場町へと足を踏み入れた。
かつては交通の要衝として栄えていたのだろうが、今の街並みには活気がなく、すれ違う人々の顔には一様に暗い疲労と諦めが張り付いている。
建物の壁には真新しい刀傷が刻まれ、路地の奥からは治安の悪さを象徴するような淀んだ空気が漂ってきていた。
無理もない。
この街は今、周囲の山に本拠地を構え、街の物流と金脈を暴力で牛耳っている巨大な悪党の組織――『毒蛇党』と名乗る無法者たちの集団に完全に支配されていたのだ。
彼らは商人の荷馬車から法外なみかじめ料をふんだくり、逆らう者は容赦なく見せしめとして広場で痛めつける。
現地の自警団もすっかり買収されるか脅し上げられており、街の機能は完全に腐りきっていた。
紅泉郷という、龍脈の恵みと仙術の結界に守られた平和な温室で育ってきた若武者たちにとって、人間の悪意がむき出しになったこの景色は、あまりにも刺激が強すぎたらしい。
「ふざけやがって……! あんな連中、俺たちの力で全部ぶっ飛ばしてやる!」
大剣を背負ったチー・ダイが、路地裏で商人を蹴り飛ばしていたチンピラどもを睨みつけ、ギリリと奥歯を鳴らした。
正義感に燃える彼の横で、フェイ・ガオも双剣の柄に手をかけ、ヤー・ダーは巨大な拳を固く握り締めている。
冷静なシャオ・イェでさえ、その瞳の奥には静かな怒りの炎が灯っていた。
「落ち着け、お前ら。ここは俺たちの郷じゃないんだ。郷に入っては郷に従えって言葉があるだろうが」
俺は腰に提げていた漆黒のパイプ椅子を地面に突き立て、若造たちの前に立ちはだかって窘めた。
「師父! でも、あんな理不尽を見過ごすなんて、俺たちにはできません!」
「見過ごせなんて言ってねえよ。ただ、やるなら頭を使えってことだ。チンピラを数人叩きのめしたところで、すぐに次が湧いてくるだけだぞ。蛇を狩るなら、頭を狙わなきゃ意味がねえ」
俺の言葉に、シャオ・イェがハッとしたように顔を上げた。
「なるほど……。月酔仙様から教わった兵法ですね。まずは末端を叩いて騒ぎを起こし、敵の戦力を分散させた上で、手薄になった本拠地を一気に強襲する……」
「そういうこった。俺はここでこの椅子に座って、見物を決め込ませてもらう。お前らの修業の成果、見せてみろ」
俺は折りたたまれていたパイプ椅子をガチャンと開き、広場の端っこにどかと腰を下ろした。
数百万トンの質量を完璧に受け止める、ドワーフの親方が打ち上げた極上の黒鋼製マイチェア。
マジックバッグから取り出した木杯にウイスキーを注ぎ、俺は悠々と酒を舐め始めた。
「よし、行くぞみんな! 俺たちの力を、外の世界の悪党どもに思い知らせてやるんだ!」
チー・ダイの号令と共に、四人の若武者たちが広場にたむろしていた毒蛇党のゴロツキどもに向かって突撃していった。
戦闘は、まさに一方的な蹂躙だった。
紅泉郷の豊かな魔力と、俺が叩き込んだプロレスの『理』を身体に染み込ませた彼らにとって、その辺のゴロツキなど相手になるはずがない。
チー・ダイは大剣の腹を使って敵の打撃をいなし、フェイ・ガオは無駄に飛び跳ねることなく、低い姿勢で相手の死角を正確に突いていく。
ヤー・ダーは自らの巨体とパワーを恐れることなく、敵の全力の斬撃を分厚い腕の筋肉で受け止め、そのまま強烈なタックルで壁際まで押し込んでいた。
俺の教えが確実に彼らの血肉となっているのを確認し、俺は満足げに杯を傾けた。
だが、毒蛇党の連中もただの馬鹿ではなかったらしい。
広場の騒ぎを聞きつけてぞろぞろと集まってきた敵の増援の中に、やけに狡猾そうな目つきをした軍師気取りの男が混ざっていた。
「馬鹿野郎ども、あいつらただのガキじゃねえぞ! 動きが洗練されすぎている! だが、見ろ!」
男が指差した先には、パイプ椅子に深く身体を預け、杯を傾けながら時折「そこはもっと腰を落とせ!」などと若者たちにヤジを飛ばしている俺の姿があった。
「あの後ろで偉そうに指示を出している年寄りが、奴らの指揮官であり、回復の術を使う支援役に違いない! 奴らは前衛のガキどもと、後衛の年寄りで役割分担をしているんだ! 分断しろ! 煙玉を投げ込んで、あの年寄りを先に孤立させて叩き潰せ!」
軍師もどきの見当外れな指示により、広場のあちこちから強烈な刺激臭を放つ煙玉が一斉に投げ込まれた。
視界が真っ白な煙に覆われ、周囲の状況が全く見えなくなる。
「師父! やべえ、敵の狙いはおやっさんだ! 師父を守れ!」
煙の向こう側から、チー・ダイの焦ったような叫び声が聞こえてきた。
どうやら連中は、前衛の若者たちを大量の雑兵で足止めし、俺のところに精鋭を向かわせて一網打尽にするつもりらしい。
俺の周囲に、刃物を構えた数十人の気配が殺気立って近づいてくるのを感じる。
「……やれやれ。武僧の俺を後衛の支援職だと思い込むとはな。とんだ節穴どもだぜ」
俺は杯に残っていたウイスキーを一息に飲み干し、ゆっくりとパイプ椅子から立ち上がった。
◆◆◆
「どけええええっ!!」
チー・ダイの大剣が、群がってくる毒蛇党のゴロツキどもを次々と吹き飛ばしていく。
煙玉のせいで視界が奪われ、敵の分断工作に見事にはまってしまった若武者たちは、なんとか師父であるヨシュアの元へ駆けつけようと必死に武器を振るっていた。
「くそっ、数が多すぎる! シャオ・イェ、師父の気配はどうなっている!?」
双剣で敵の武器を弾き落としながら、フェイ・ガオが焦燥に満ちた声で叫ぶ。
「わからない! 煙と人混みで魔力探知も上手く機能しないんだ! だが、このままじゃマズい!」
シャオ・イェは冷静な頭脳をフル回転させ、最悪のシナリオを想像して滝のような冷や汗を流していた。
敵は、あの師父を『か弱き支援職』だと勘違いして襲い掛かったのだ。
もしあの強面のおやっさんが本気でキレたらどうなるか。
数百万トンの質量を一点に集中させるあの一本足頭突きが炸裂すれば、敵の集団どころか、この宿場町の広場一帯が物理的にクレーターとなって消滅してしまう。
「急げみんな! 師父が本気を出す前に止めないと、この街ごと更地にされちまうぞ!」
「ああっ、それは本気でマズい!!」
師父の身の安全ではなく、師父による圧倒的な破壊の余波を恐れた四人は、火事場の馬鹿力を発揮した。
ヤー・ダーが先頭に立って人間の壁を文字通りに薙ぎ倒し、血路を切り開く。
その直後、敵の雑兵の一人が震える声で叫んだ。
「た、大変だ! あの年寄りの姿がどこにもねえ! 煙が晴れたら、広場から消えちまってやがる!」
「なんだと!?」
チー・ダイは立ち止まり、周囲を見回した。
確かに、広場の端に置いてあったはずの漆黒のパイプ椅子も、師父の姿も、煙のように消え去っていた。
「……しまった! 師父の性格だ、末端の雑魚なんかに構ってられないって、一人で敵の本拠地に乗り込んだんだ!」
シャオ・イェが絶望的な声を上げる。
「マズいぞ! このままじゃ、美味しいところを全部師父に持っていかれる! 俺たちの武勇伝が、ただの『おやっさんの保護者参観』で終わっちまう!」
「ふざけんな、俺は絶対に将軍になるんだ! 急いで敵のアジトへ向かうぞ!」
手柄をすべておやっさんに奪われるという最大の危機に直面した四人は、残っていた雑兵たちを蹴散らしながら、街の奥にある毒蛇党の巨大な館へと猛ダッシュで駆け出していった。
◆◆◆
バンッ!!
分厚い木製の両開き扉を、チー・ダイが蹴り破る。
若武者四人が息を切らせて毒蛇党の豪華なアジトの大広間へと飛び込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
広間の床には、数十人規模の腕利きの用心棒たちが、一人残らず白目を剥いて転がっている。
剣で斬られた傷は一つもない。
全員が腕の関節を不自然な方向に曲げられていたり、強烈な打撃で顎を打ち抜かれて脳を揺らされていたりして、完全に沈黙しているのだ。
そして、広間の一番奥。
一段高くなった豪奢な絨毯の上に、俺は漆黒のパイプ椅子を開いて、どかと腰を下ろしていた。
そのパイプ椅子の頑丈な黒鋼の四本の脚の下には、見事な毛皮のコートを着込んだ大柄な男――毒蛇党のボスが、まるでうつ伏せの亀のように組み敷かれている。
俺はボスの太い右腕と左脚を椅子の脚に絡め取るようにして関節を極め、その状態のまま椅子の上に座ってウイスキーの杯を傾けていた。
「あ、あぎゃああああああっ!! お、重い、重いいいいいっ!! 骨が、骨が砕けるううううっ!!」
ボスの男は、文字通り微塵も身動きが取れず、豚のような悲鳴を上げて涙と鼻水を撒き散らしている。
俺の体重は、重力制御を限界まで絞って相殺しているとはいえ、ただの人間にとっては想像を絶する重圧だ。
さらに、関節の可動域を完全にロックした状態で上から負荷をかけているため、少しでも抵抗しようとすれば、自身の力で自分の骨をへし折ることになる。
完璧なまでの、物理的かつ理詰めの拘束具である。
「おせえぞ、お前ら」
俺は唖然として入り口に立ち尽くす若武者四人に向かって、杯を軽く掲げてみせた。
「師父……全部一人でやっちまったんですか……」
チー・ダイが大剣を取り落としそうになりながら、力なく呟いた。
「俺を狙ってわざわざ煙幕なんて張ってくれたんでな。隠密行動で敵の気配を辿って、頭のところに直接出向いてやっただけだ」
俺はパイプ椅子の下で悲鳴を上げ続けるボスを軽くつま先で小突く。
「こいつがこの街の元凶だ。抵抗する気力はすっかり削いでおいたから、あとはお前らが街の自警団にでも突き出してこい」
「あーあ、俺たちの華々しい大立ち回りが……」
フェイ・ガオががっくりと肩を落とし、ヤー・ダーも苦笑いしながら頭を掻いている。
シャオ・イェだけは、俺の完璧な手際と、敵の戦力を一瞬で無力化する合理的な戦術に、感嘆のため息を漏らしていた。
「勘違いするなよ、お前ら。俺はただ、美味い酒を静かに飲みたかっただけだ。邪魔する奴には、こうやって『椅子持ちのヨシュア』の恐ろしさを骨の髄まで教えてやるってこった」
俺はからからと笑いながら、最後に残っていたウイスキーを喉の奥に流し込んだ。
この日を境に、宿場町を支配していた悪党は完全に一掃された。
自警団に引き渡されたボスは、俺のパイプ椅子による圧迫と関節技のトラウマで完全に心が折れており、二度と悪事を働く気力を失っていた。
街の人々は若武者四人衆の活躍を大いに讃え、彼らを英雄として歓待した。
だが、裏社会の連中の間で本当に恐れられるようになったのは、彼ら四人ではない。
巨大な黒いパイプ椅子を片手で軽々と持ち歩き、たった一人で敵の本拠地を壊滅させ、ボスの関節を極めたまま椅子に座って酒を飲んでいたという、謎の強面のおっさんの噂だ。
若武者たちの輝かしい武勇伝と共に、『椅子持ちのヨシュア』という俺のいぶし銀の悪名もまた、遠く光華の都にまで轟くきっかけとなったのである。
俺の長すぎる第二の人生において、この若造たちとの騒がしくも楽しい旅は、最高の暇つぶしであり、極上の酒の肴となっていった。




