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悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【外伝】悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~虚ろを見抜く麒麟児は、美食で世界を救いたい~
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第216話 「虚ろ」の瞳の覚醒と、宰相の胃袋を救う極上おじや

 生きるために、己の身体が発する「飢えと渇き」の悲鳴に耳を澄ませる。


 魔力回路の接続不良という致命的な欠陥を抱えたレオン・ヴィータヴェン・ラノリアにとって、それは物心ついた時からの、息を吸うのと同じくらい当たり前の日常であった。


 今、自分の身体には何が足りていないのか。


 タンパク質か、糖分か、それとも特定のミネラルか。あるいは、魔力を含んだ特殊な栄養素か。


 少しでも判断を誤り、処方(食事)を間違えれば、丹田の魔力炉が暴走し、瞬く間に自身の生命力を削り取っていく。


 その極限の綱渡りを毎日、毎分、毎秒、数年間にわたって繰り返し続けてきた結果――レオンの肉体に、ある「奇跡の変異」が起きた。


 それは、レヴィーネの苛烈な武術鍛錬を終え、バルガスの待つ厨房へと足を運んだ時のことだった。


(……なんだ、これは?)


 レオンは、自身の視界に映る「異様な光景」に思わず足を止めた。


 すれ違った近衛騎士の胸のあたりに、ぽっかりと黒い「穴」のようなモヤが見えたのだ。


 目をこすり、魔力を眼球に集中させて再び凝視する。


 すると、そのモヤはさらに明確な形を伴って浮かび上がった。


 近衛騎士だけではない。


 すれ違う侍女の頭部には灰色のモヤが、中庭を歩く庭師の腰のあたりには黄色く濁ったモヤが、それぞれ渦巻いているのがはっきりと視認できたのである。


「殿下? いかがなされましたか。立ち止まったりして」


 厨房の入り口で、真っ白なコックコートを着たバルガスが不思議そうに首を傾げている。


 レオンは師匠の姿を見て、ハッとした。


 バルガスの身体は、足腰に多少の陰りはあるものの、どこにも大きなモヤはなく、生命力に満ちた温かい光で均一に満たされていたからだ。


「バルガス師匠……。あの、庭を歩いている庭師の老人ですが、もしかして腰を悪くしていませんか? それに、少し内臓も……」


「おや、よくご存知ですね。彼は最近、ぎっくり腰をこじらせてしまって。おまけに痛みを紛らわすために強い薬草酒を飲みすぎて、胃腸も荒らしているとこぼしていました。今日から彼の賄いには、消化に良くて身体を温めるスープを出そうと思っていたところです」


 その言葉を聞いて、レオンは確信した。


 彼に見えているモヤの正体。それは、対象の身体が抱えている「栄養の欠損」や「魔力の枯渇」、あるいは「疲労や疾患による生命力の低下」そのものだったのだ。


 己の身体の欠乏状態を極限まで見極めようとする生存本能が、ヴィータヴェンとガルディアの強大な魔力と結びつき、他者の肉体の状態までも視覚情報として読み取る「神の瞳」へと昇華された瞬間だった。


(足りない部分が、まるで空間に空いた『虚ろ』のように見える……)


 レオンは自身の瞳に宿ったその能力に戦慄すると同時に、強烈な胸の騒ぎを覚えた。


 他人の欠陥が見える。


 それはつまり、今の自分になら、「その人のためだけの完璧な料理(処方箋)」を作れるということではないか。


「バルガス師匠! 少し、お父様の執務室へ行ってきます!」


「おや、殿下? 今日の補給食作りはよろしいのですか?」


「後で必ず作ります。でも今は、どうしてもお父様の顔が見たくなったんです!」


 レオンは弾かれたように駆け出した。


 向かう先は、皇宮の中枢。この巨大な連邦皇国を実質的に切り盛りしている宰相ユリアンの執務室だ。



 ◆◆◆



「お父様、入ってもよろしいですか?」


 重厚な執務室の扉をノックし、中へ足を踏み入れたレオンは、その光景に息を呑んだ。


 部屋の中は、見上げるほどの書類の山で埋め尽くされている。ミリアが築き上げた広大な物流網と経済圏は、連邦皇国に莫大な富をもたらしたが、同時に膨大な情報処理と決裁を宰相であるユリアンに強いていた。


「……ん? ああ、レオか。すまない、今は年度末の予算編成で手が離せなくてね」


 書類の山から顔を上げた父の姿は、ひどい有様だった。


 目の下には濃い隈が刻まれ、頬はこけ、肌は土気色をしている。


 だが、レオンの「虚ろを見る瞳」が捉えたのは、そんな表面的な疲労ではなかった。


(……ひどい……!)


 ユリアンの頭部には、神経の極限の摩耗を示すドス黒い灰色の「虚ろ」が、脳を締め付けるように渦巻いていた。


 さらに深刻なのは、胃から腸にかけての消化器官だ。


 ストレスと不規則な生活により、胃壁はボロボロになり、本来あるべき生命力の光が完全に失われ、巨大な「黒い空洞(虚ろ)」と化していたのである。


「お父様、休んでください! そんな状態で仕事を続けたら、倒れてしまいます!」


 レオンが慌てて駆け寄ると、ユリアンはペンを置き、無理に笑顔を作った。


「心配性だな、レオ。大丈夫だ、これでもミリア母上から受け継いだタフな身体だからね。……それに、ちょうど栄養ポーションを飲んで、もうひと頑張りしようと思っていたところさ」


 そう言ってユリアンが引き出しから取り出したのは、かつてレオンが生きるために無理やり飲まされていたのと同じ、泥水のように濁った高濃度の栄養ペーストだった。


 それを口に運ぼうとする父の手を、レオンは思わず強く掴んで制止した。


「ダメです!」


「レオ……?」


「そんなものは、ただの燃料です。今のボロボロの胃腸にそんな高濃度の魔力とカロリーを流し込んでも、消化できずに胃壁を荒らすだけだ。……お父様、僕に少しだけ時間をください」


 レオンは、驚いた顔の父をまっすぐに見つめ返し、静かに、しかし絶対の決意を込めて言った。


「僕の目の届く場所で、大切なお父様が『飢える』なんて……絶対に許せませんから」


「……」


 ユリアンは、息子の瞳の奥に、かつて世界を平定したレヴィーネたちと同じ、有無を言わさぬ王者の光を見た。


「……わかった。三十分だけ、君の言う通りにしよう」


「ありがとうございます! 絶対に後悔はさせません!」


 レオンは執務室を飛び出し、全力で離宮の厨房へと向かった。



 ◆◆◆



「バルガス師匠! 一番消化が良くて、魔力回復効率が高く、なおかつ内臓を温める極上のスープのベースはありますか!」


 厨房に飛び込んできたレオンの気迫に、バルガスは一切の無駄口を叩かず、すぐさま奥の魔導コンロへと向かった。


「殿下、これをお使いください。最高ランクの飛竜ワイバーンの骨を砕き、徹底的にアクを取り除きながら三日三晩煮込んだ、琥珀色の極上白湯パイタンスープです。コラーゲンと魔力が豊富ですが、胃への負担は極限まで軽くしてあります」


「完璧です! さすがバルガス師匠!」


 レオンはすぐさま調理台の前に立ち、ドワーフ謹製の包丁を手に取った。


 父の胃腸にある巨大な「黒い虚ろ」。


 あれを埋めるには、単に栄養を詰め込むだけではダメだ。優しく包み込み、温め、疲弊した細胞一つ一つに染み渡らせるような料理でなければならない。


「V&C商会から届いた、トヨノクニ産の三年熟成醤油と、すりおろした黄金生姜。これでスープの香りと血行促進効果を高める。……そして主役は、もちろんこれだ」


 レオンが取り出したのは、ラノリア産の魔法米「タカノホマレ」の炊きたてだった。


 だが、そのままでは出さない。レオンはタカノホマレを一度冷水で洗い、表面のぬめりを取った。


 こうすることで、スープの中で米粒が崩れず、かつ極上の出汁を芯まで吸い込むようになるのだ。


 沸騰した琥珀色の飛竜スープに、生姜と醤油を垂らす。


 厨房全体に、暴力的なまでの旨味の香りと、生姜の爽やかな香りが爆発的に広がった。バルガスをはじめとする料理人たちが、思わずゴクリと喉を鳴らす。


「ここにタカノホマレを投入。米粒がスープを吸って、ふっくらと膨らむまで弱火で煮込む。……よし、今だ!」


 レオンは、新鮮な魔鳥の卵を器に割り入れ、軽く溶きほぐした。そして、鍋の中心から外側へ向けて、細い糸を引くように円を描きながら流し込む。


 黄金色の卵が、熱々のスープの中でフワフワと花が咲くように広がっていく。


 最後に、香り付けとして刻んだ青ネギを散らし、魔導コンロの火を止めた。


「完成です。宰相専用、極限まで胃腸に優しい『飛竜出汁の黄金おじや』!」


 土鍋から立ち上る湯気は、まるでそれ自体が治癒魔法の輝きを帯びているかのようだった。



 ◆◆◆



 執務室に土鍋の蓋が開けられた瞬間、ユリアンは思わずペンを取り落とした。


「な……なんだ、この香りは……」


 飛竜の骨から抽出された圧倒的な旨味と、焦がし醤油の香ばしさ。そして、生姜の温かな香りが、疲労で麻痺していたユリアンの食欲を、奥底から強制的にこじ開けた。


「お父様、熱いうちに召し上がってください。絶対に胃もたれはさせません」


 レオンがよそってくれた木のお椀を受け取り、ユリアンは木のスプーンでおじやをすくい、口へと運んだ。


「――っ!」


 咀嚼する必要すらなかった。


 極上のスープを限界まで吸い込んだタカノホマレが、口の中でホロリとほどけ、卵のまろやかさと共に、食道を通って胃の腑へと滑り落ちていく。


 瞬間、ユリアンの身体が内側からカッと熱くなった。


 生姜と飛竜の魔力が、冷え切ってボロボロになっていた胃壁を優しく、そして力強く包み込んでいく。


「美味しい……。信じられないくらい、身体の隅々に染み渡っていく……」


 ユリアンは、書類の山も、宰相としての矜持も忘れ、ただひたすらに、夢中でおじやを胃袋へと流し込んだ。


 レオンは、自身の瞳に魔力を集中させ、父の身体を見つめた。


 驚くべき光景だった。


 ユリアンの胃腸に巣食っていた巨大な黒い「虚ろ」が、黄金のおじやが流れ込むたびに、みるみるうちに温かい生命の光へと塗り替えられていく。


 さらに、胃から吸収された魔力と栄養が脳へと達し、頭部を締め付けていた灰色のモヤをも完全に吹き飛ばしてしまったのだ。


「……ふぅっ」


 土鍋を空にし、最後の一滴まで飲み干したユリアンは、深い、深い安堵の息を吐き出した。


 目の下の隈は消え、土気色だった顔には健康的な赤みが差し、枯渇していた魔力が全身から力強く溢れ出している。


「レオ。……これは、魔法以上の奇跡だ。頭の霧が完全に晴れて、身体中から力が湧き上がってくる。いや……何より、心がこれ以上ないほどに満たされているよ」


 ユリアンは立ち上がり、成長した息子を強く、強く抱きしめた。


「ありがとう。……君は、私を救ってくれた」


「お父様……」


 かつて、深夜の厨房で、絶望していた自分に卵かけご飯を作ってくれた父。


 今度は自分が、倒れかけていた父を、一杯のおじやで救うことができた。


 レオンの目から、嬉し涙がポロポロとこぼれ落ちた。


 料理は、ただの燃料補給ではない。


 他者の欠乏(虚ろ)を見抜き、それに最適な処方を施すことで、対象の心と身体を同時に救済する、世界で最も優しく、最も強大な『魔法』なのだ。


 己の欠陥を呪っていた少年が、他者を救うための圧倒的な力――「美食」という覇道へと完全に足を踏み入れた、記念すべき瞬間であった。

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