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悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【外伝】悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~虚ろを見抜く麒麟児は、美食で世界を救いたい~
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第213話 最強の大人たちの東奔西走、そして祈りの離乳食

 最強の血筋を持った故の、未成熟で不安定な魔力回路の暴走。


 それがもたらす「魔力枯渇」という名の絶え間ない飢餓状態から、小さな命を繋ぎ止めるための、文字通り国家を挙げた戦いが始まった。


 ヴィータヴェン・アクシス連邦皇国の大人たちは、皇子レオンが離乳食を受け付けず、衰弱していくという絶望的な状況を前にしても、決して諦めたり、ただ悲嘆に暮れたりすることはなかった。


 最強の遺伝子を受け継ぐこの小さな世継ぎを生かすため、彼らは持てる権力と人脈、そして圧倒的な個人の力の全てを「食」の一点に注ぎ込んだのである。


 最初に動いたのは、大世界樹の眷属にして不老の存在、アリスだった。


 彼女はレオンの寝室を飛び出すと、すぐさま自身の本体とも母ともいえる大世界樹へと意識を深く繋ぎ、直接的な対話に及んだ。


 通常、世界樹が大地から吸い上げ、その枝に結ばせる実には、この世界で起こった様々な事象の「記憶」や、大地の澱みのような「雑味」が情報として内包されている。


 健康な成人であればそれを有益な力として取り込めるが、今のレオンの脆弱な消化器官と、決壊と修復を繰り返す魔力回路に、そのような不純物を処理する余裕は全くない。


「お願い。今、この子には、一切の不純物を含まない純粋なエネルギーだけが必要なの。私の魔力も、命も削っていいから……どうか、あの子を助ける力を貸して」


 アリスの必死の祈りと、眷属としての身を切るような説得に応え、大世界樹は微かに枝葉を揺らした。


 そして、あらゆる記憶や雑味を一切含まない、純粋無垢な魔力のみを極限まで圧縮し、結晶化させた特別な「世界樹の実」を一つ、彼女の掌に落としたのである。


 一方、V&C商会を率い、皇国の経済と流通を牛耳るミリアも、自身の執務室から大陸全土に張り巡らされた独自の物流網を極限まで稼働させていた。


 彼女が最優先で取り寄せたのは、かつて自身が開発した「タカニシキ」を、嫁ぎ先であるラノリア王国で改良を重ねた魔法米「タカノホマレ」の最高特級品である。


 これは単なる主食用の米ではない。ラノリアの民が数百年間にわたり大地の神に捧げる豊穣の祈りをたっぷりと吸収して育った、儀式用の特別な改良米だ。


 一粒一粒が真珠のように輝き、生命力そのものを高めるような、温かく力強い気を帯びている。


 さらに、トヨノクニからは心強い支援が超音速の飛竜便で届いた。


 アリス乳業と豊穣慈愛講を継いだ当代の長であるスズが、急を要する事態と聞きつけ、国宝級の扱いを受ける最高ランクの「神牛の牛乳」を魔法冷却箱に詰め込み、緊急輸送してきたのである。


 そして、誰よりも苛烈に、物理的に動いたのは、初代女帝であるレヴィーネだった。


 彼女は隠居の身でありながら、愛する孫の危機に皇宮でじっとしていられるようなタマではない。


「アリスの言う、回路の漏水ってやつが原因で魔力が足りないなら、最初から桁違いの高魔力を持った魔獣の肉を喰わせればいいじゃない!」


 彼女はかつて世界を震え上がらせた『漆黒の玉座(ドワーフ謹製の鋼鉄製パイプ椅子)』を肩に担ぎ上げると、文字通り皇宮のバルコニーから一直線に飛び出した。


 目指すは、強大な魔獣が跋扈する人跡未踏の魔境。


 並の騎士団では足を踏み入れることすら叶わない死地へと単身で乗り込んだ彼女は、その圧倒的な暴力で山を砕き、森を更地にし、最上級の魔力と生命力を宿した魔獣のボスたちを次々と物理的に平定し、最高の部位だけを切り出して皇宮へと持ち帰ったのである。


 かくして、皇宮の厨房には、文字通り世界最高峰の素材が集結した。


 その神聖な食材たちを前に、真っ白なコックコートを着た一人の大男が、静かに包丁を構えていた。


 宮廷料理長、バルガスである。


「……ミリア閣下が手配されたラノリアの神米。アリス様の純粋な世界樹の実。スズ殿の神牛乳。そして、レヴィーネ陛下が命がけで(魔獣にとっての命がけだが)狩ってこられた極上の肉。……これほど恐ろしく、そして誇り高い仕事はない」


 侯爵家の三男として生まれ、ユリアンやエレノアと共に帝王学を学んだ幼馴染み。貴族の地位を捨ててまで料理の道に魅入られた彼にとって、これは単なる調理ではない。


 友の大切な子を救うための、執念の儀式だった。


 バルガスは、タカノホマレを神聖な湧き水で優しく研ぎ、スズから届いた神牛乳を加えて、火加減を魔力で秒単位で調整しながら、極限まで柔らかく煮込んでいく。


 そこに、アリスが持ち帰った純粋な世界樹の実を、特別な魔導おろし金で粉雪のようにすりおろして混ぜ合わせる。


 完成したのは、淡い黄金色に輝く「世界樹と神牛のミルクがゆ」。


 それは、見る者が思わず祈りを捧げたくなるほどに神聖で、優しく、それでいて途方もない生命力の光を放つ離乳食だった。


 だが、事態はそう簡単には好転しなかった。


「お母様、やめてください!」


 レオンの寝室に、第二代女帝エレノアの悲鳴に近い声が響いた。


 彼女の視線の先では、血の滴るような巨大な魔獣の肉塊(しかもレア状態)を掲げたレヴィーネが、得意げに胸を張っている。


「なんだいエレノア。これは私が北の果てで狩ってきた、特大の――」


「だーかーら! レオンはまだ歯も生えそろっていないのに、そんな硬いお肉が食べられるわけがないじゃないですか!」


 実の娘にすげなく却下され、かつて世界を恐怖で支配したレヴィーネは、「むっ」と子どもみたいに唇を尖らせた。


「やってみないとわからないじゃない。この子の強靭な胃袋なら、この程度の肉の塊くらい……」


「ダメです! 絶対にお腹を壊して、また吐いてしまいます!」


 激しい押し問答の末、レヴィーネは渋々引き下がり、バルガスに命じて調理法を変更することにした。


 数時間後、彼女が意気揚々と持ってきたのは、バルガスが涙ぐましい努力で魔獣の肉を極限まで叩いてミンチにし、ふんわりと焼き上げた「特製・魔獣のふわふわハンバーグ」と、甘辛く煮付けた「魔獣肉のそぼろ」だった。


 これなら歯がなくても、舌で潰して食べられるはずだ。


 レヴィーネは自信満々で、スプーンに乗せたそぼろを、ぐったりとしているレオンの口元へと運んだ。


「さあレオ、お食べ。ばあばが取ってきたお肉で作った、特製のそぼろだよ」


 しかし、レオンの反応は残酷だった。


 舌先にほんの少しそぼろが触れた瞬間、レオンは「んべ」と、絵に描いたような嫌な顔をして、そっぽを向いてしまったのだ。


 そして、ペッペッと舌を出して、肉の味を追い出そうとする。


「あ、ああ……」


 その露骨な拒絶に、最強の女帝レヴィーネは石のように固まった。


 バルガスがいくら細かく刻み、味付けを工夫しようとも、やはり高ランク魔獣の持つ荒々しい魔力と獣の匂いは、今のレオンの未発達な回路には強すぎたのだ。


「……だから言ったじゃないですか、お母様」


「うう……もっと大きくなってからじゃないと、お肉は無理か……」


 レヴィーネは、ハンバーグとそぼろの皿をテーブルの隅へと引っ込めながら、珍しく肩を落とした。


 無敵を誇る彼女の、あまりにもしょんぼりとうなだれる姿がおかしくて、緊迫していたエレノアも、見守っていたユリアンやアリスたちも、思わずふっと笑いを漏らした。


 張り詰めていた部屋の空気が、少しだけ和らいだ瞬間だった。


「ふん、笑い事じゃないわよ」


 レヴィーネが少しむくれて、エレノアをビシッと指差す。


「あなたの時は、これくらいの肉でも全然平気だったものだけどねえ」


「えっ、私がですか?」


 エレノアが目を丸くする。


「そうよ。まだ歯も生えそろっていない赤ん坊の頃から、私が狩ってきた魔獣の骨までしゃぶっていたわよ。それはもう、ごきげんにね」


「き、記憶にありません! 嘘ですよね!?」


「嘘じゃないわ。あなたの父親のアレクセイが記念にとっておいてるんじゃないかしら。『赤ん坊の顎の力と魔力耐性について研究の価値がある』とか言って、あなたがしゃぶっていた骨を取り上げようとしたら、火がついたように泣き出したものだから」


「お、お父様に問いたださなければ……!」


 顔を真っ赤にして狼狽えるエレノアを見て、再び部屋に温かい笑い声が響く。


「ま、そんなわけだから」


 レヴィーネは、テーブルの隅に置いたバルガス特製のミルクがゆと、自分が狩ってきた魔獣肉のそぼろの器に、清潔な布巾をふわりとかけた。


「このおかゆとそぼろだけでも、ベッドのそばに置いておきなさいな。夜泣きがひどい時なら、もしかしたら匂いにつられて食べるかもしれないし、ね」


 その夜。


 皇宮が深い静寂に包まれる中、ベビーベッドの中で、レオンはふと目を覚ました。


「……ぁ……」


 苦しい。


 全身の血管を駆け巡る魔力が、行き場を失って明滅し、自身の生命力を削り取っていく感覚。


 空腹と、それを遥かに凌駕する魔力枯渇による激しい「渇き」が、小さな身体を苛んでいた。泣き叫ぶ気力すら残っていない。


 指先からどんどん体温が奪われ、暗闇の底へと沈んでいくような恐怖。


 だが、その時。


 レオンの小さな鼻孔を、何かの匂いがくすぐった。


(……なにか……いい匂いがする……)


 朦朧とする意識の中で、レオンは顔を動かした。


 視線の先、ベビーベッドのすぐそばのテーブル。布巾がかけられた器から、微かに、だが確かな生命の匂いが漂っていた。


 昼間は強すぎると感じたはずの、あの「魔獣肉のそぼろ」の匂い。


 極限の飢餓状態に陥り、魔力回路が完全に干上がった今のレオンの身体は、本能的にその強烈なエネルギーの塊を求めていたのだ。


 強すぎる血脈の呪いに抗うように、最強の天才児は、自らの意志で初めて「食」への渇望をむき出しにした。


 生後半年を過ぎたばかりの赤子。本来ならば自力で立ち上がることもままならない時期だ。


 だが、レオンの体内を駆け巡るヴィータヴェンとラノリアの血、そしてガルディアの規格外の魔力が、生存本能と結びついて奇跡を起こした。


 ぎしっ、と。


 小さな両手が、ドワーフ鋼で補強された特注のベビーベッドの柵を強く握りしめる。無意識のうちに発動した微弱な「身体強化」が、その小さな身体をふわりと持ち上げた。


 コロンッ、と柔らかい絨毯の上に転がり落ちたレオンは、ハイハイとは思えない鋭い動きでテーブルの脚へとすがりつく。


 そして、布巾の下から漂う強烈な匂いの元――魔獣肉のそぼろが入った器へと、その小さな手を突っ込んだのだ。


「……ん、ちゅっ……ちゅむっ……」


 歯も生えそろっていない口に、手掴みでそぼろを押し込み、必死にしゃぶる。


 肉の繊維から染み出す強烈な魔力と、バルガスが仕込んだ甘辛い旨味が、カラカラに乾いていたレオンの魔力回路を、まるで乾いた砂漠に豪雨が降り注ぐように、暴力的なまでの勢いで潤していく。


「……ん? なんの音だ……?」


 静かな寝室に響く、ピチャピチャという小さな水音と、衣類が擦れる微かな物音。それに気づいたユリアンが、浅い眠りから目を覚ました。


 隣の長椅子で仮眠をとっていたエレノアも身をよじり、弾かれたように身を起こす。


「ユリアン……レオンが、ベッドにいないわ!」


 エレノアの悲鳴に近い声に、ユリアンは慌てて魔力灯のスイッチを入れた。


 パッと部屋が明るく照らし出される。


 そして二人は、信じられない光景を目の当たりにした。


「レオン……?」


 テーブルの足元。器をひっくり返し、顔中をそぼろの煮汁だらけにしたレオンが、小さな両手で肉を握りしめ、ちゅうちゅうと夢中でしゃぶっていたのだ。


 突然の光に驚いたのか、レオンがビクッと肩を揺らし、振り返る。


 その口の周りは茶色い煮汁で泥棒髭のようになっており、手にはしっかりと肉の塊が握られている。


 そして何よりも――その瞳には、昼間までの虚ろな死相はなく、確かな生命の光が宿っていた。


「あーっ? うーっ!」


 見つかった、とばかりに首を傾げ、肉をしゃぶりながら無邪気に笑うレオン。


「……ふっ、あはははっ! ああ、神様……っ!」


 そのあまりにも逞しく、そして可愛らしい姿に、エレノアは床にへたり込み、安堵と歓喜の涙を流しながら笑い出した。


「自力でベッドを抜け出して、お義母上の狩ってきた魔獣肉を食らっているのか……。さすがは、あの人の孫だ」


 ユリアンもまた、目元を拭いながら、呆れたような、それでいてこの上なく誇らしげな笑顔を浮かべた。


 最強の血脈に生まれた天才児は、こうして自らの生存本能と、大人たちの限りない愛情、そして食の力によって、最初の命の危機を乗り越えたのである。

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