第207話 外伝・アリス、境界の守り人① 永遠の庭師。……列車で巡る、平和になった世界。
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
心地よいリズムと振動が、私の体を揺らしている。
車窓の外を流れるのは、かつては死の砂漠と呼ばれ、今は一面の麦畑と牧草地へと変わりつつある大陸中央の広大な大地だ。
私は、大陸横断鉄道の特等席(といっても、私はいつも食堂車に入り浸っているけれど)で、冷たいミルクティーを飲みながら、ほうっと息をついた。
「ん~、やっぱり列車の旅はいいよねぇ。景色が変わっていくのを見てるだけで、生きてるって感じがするもん」
私はアリス。
かつては異世界から転生した「聖女」と呼ばれ、今は人間を辞めて「境界の存在」――この星の緑と命を見守る、ちょっとだけ長生きな庭師をやっている。
私の仕事は、相棒だったレヴィちゃん――初代女帝レヴィーネ・ヴィータヴェンが物理(暴力)で切り拓き、ミリアちゃんが経済で繋いだこの世界を、緑で満たして維持すること。
鉄道網が伸びるたびに、私も西へ東へ、南へ北へと旅をして、種を蒔き、土を癒やして回っている。
「……さてと。次の予定は……」
私は手元のタブレット端末(イリス製の超高性能機)を操作して、スケジュールを確認した。
『トヨノクニ・豊穣慈愛講 定例総会(ゲスト:アリス大明神)』
『ラノリア王国・聖騎士団との合同植樹祭』
『帝国・ヴィータヴェン領 農業視察』
『エルフの里・大世界樹のメンテナンス(※お土産に「ずんだ」必須)』
「うーん、大忙し。……引退したはずなのになぁ」
私は苦笑いした。
そう、私は数十年前に、自分が立ち上げた「アリス乳業」の社長の座を、愛弟子のスズちゃんたちの世代に譲ったのだ。
不老の私がいつまでもトップに居座っていたら、新しい芽が育たないし、社会の代謝にも良くないからね。
かつて「呪われ子」と泣いていたスズちゃんは、今やトヨノクニの農業を支える立派な「大巫女」となり、私よりも厳しく、そして優しく会社と組織を回してくれている。
「アリス様は象徴として座っていてください!」なんて言われて、たまに本社に行くと、社員みんなに拝まれてしまう。
「生き神様」扱いも、悪い気はしないけど、ちょっと背中が痒い。
でも、寂しくはないよ。
帝国に行けば、ヴィータヴェン本家の人たちが「おかえり」と迎えてくれる。
ラノリアに行けば、ミリアちゃんとギルベルト陛下の子孫たちが、国を挙げて歓迎してくれる。
トヨノクニでは、ノブナガさんの子孫たちが「飲もうぜ!」と宴会を開いてくれるし。
どこに行っても、レヴィちゃんたちが残した「縁」が、私を温かく迎えてくれる。
それに、私にはもう一つの家族もいる。
エルフの里に行けば、師匠であるエルウィン様や、共に緑化の旅をしてくれるエルフの仲間たちがいる。そして何より、私が眷属となった「大世界樹」のお母さんが、いつも魂の奥で繋がってくれているから。
「……次は、皇都アクシスかぁ」
列車が、大陸中央の巨大ターミナルへ向けて減速を始める。
かつてレヴィちゃんが「大断裂帯」に落っことした天蓋都市を礎とする、世界一の巨大都市。
そこには、私の大親友の血を引く、可愛い可愛い「弟分」が待っているはずだ。
◆◆◆
皇城の奥深く。
政治の中枢から離れた一角に、甘い香りが漂う不思議なエリアがある。
そこは、皇太子の専用厨房。
「アリス姉さん! お待ちしていました!」
厨房の扉を開けると、小麦粉で鼻の頭を白くした少年が、満面の笑みで駆け寄ってきた。
彼の名前は、レオン・ヴィータヴェン・ガルディア。
レヴィちゃんの娘、二代目女帝エレノア(ノア)ちゃんの息子であり、この国の皇太子だ。10代前半の彼は、祖母譲りの金髪と、祖父アレクセイ譲りの知的な瞳を持った美少年だ。
「やっほー、レオンくん! いい匂いだねぇ」
「はい! 今日は新作ができたんです。アリス姉さんに、一番に食べてほしくて」
レオンくんは、嬉しそうに私をテーブルへとエスコートしてくれた。
そこには、色とりどりのスイーツが並べられている。
「まずはこれ、『特製ずんだ大福』です。トヨノクニ産の最高級枝豆と、アリス乳業の生クリームを合わせました」
「こっちは『ずんだどら焼き』。バターを挟んで、コクを出しています」
「飲み物は『究極のずんだシェイク』。……それと、これが自信作です」
彼がうやうやしく差し出したのは、美しい緑色をしたデコレーションケーキだった。
「『森の恵みのケーキ』です。スポンジは米粉と植物油で、クリームは豆乳ホイップとずんだペーストで作りました。これなら、お肉や乳製品が苦手なエルフの方や、牛乳が飲めないある人でも食べられます」
「わぁ……! すごいよレオンくん! 全部、植物性なの?」
「はい! エルウィン様にも喜んでいただけるように、試行錯誤しました」
私は早速、ケーキを一口いただいた。
ふんわりとした生地と、豆乳クリームの優しい甘さ。そして濃厚な枝豆の風味が口いっぱいに広がる。
「ん~っ! 美味しい! 優しくて、でもしっかりコクがあって……レオンくんの性格が出てる味だね」
「ほ、本当ですか? よかった……」
レオンくんがほっとしたように胸を撫で下ろす。
彼は、本当に優しい子だ。
お母さんのノアちゃんは、レヴィちゃんの影響をモロに受けて「最強の悪役令嬢(物理)」を目指し、即位するなり反対派を鉄扇で薙ぎ払った武闘派女帝だけど、息子のレオンくんはちょっと毛色が違う。
身体能力は高い。ヴィータヴェンの血筋だもの、その気になれば岩だって砕けるし、この前も「邪魔だったから」って庭の巨木を素手で引っこ抜いてた。
でも、彼はその力を武力には使わない。
畑を耕し、土を捏ね、そして何より――料理を作ることに情熱を注いでいる。
私は、シェイクを飲みながら、彼の横顔を覗き込んだ。
美味しいお菓子を作ってくれたのに、その表情にはどこか陰りがある。
「……ねえ、レオンくん」
「はい?」
「自信作のスイーツはすっごく嬉しいけど……別に、話したいことがあるんじゃないの?」
私が水を向けると、レオンくんはビクリと肩を震わせ、困ったように眉を下げた。
そして、重い口を開いた。
「……お見通しですね、アリス姉さんには」
彼は、自分の手をじっと見つめた。小麦粉と、小さな切り傷がついた、料理人の手。
「僕……自信がないんです」
「自信?」
「はい。……今の世界は平和です。お祖母様や母上が作った『道』のおかげで、大きな争いもなく、物流も安定しています。アリス姉さんたちの緑化活動のおかげで、飢饉も減りました」
レオンくんは、窓の外に広がる皇都の繁栄を見つめた。
「偉大なる初代女帝レヴィーネ様。そして、その覇道を継ぐ最強の母上。……お二人は、乱世を力でねじ伏せるカリスマがありました。でも、僕は……」
彼は拳を握りしめた。
「僕は、ただ敷かれたレールの上を走っているだけのような気がするんです。自由にさせてくれてはいますが、こんな僕が……料理ばかりしている僕が、この国を継いでいいんでしょうか? 僕には、お二人のような『強さ』がない」
偉大すぎる祖母と、強すぎる母。
その巨大な影の下で、心優しい少年は、自分の在り方に悩んでいたのだ。




