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第206話 外伝・ソレンの姪っ子溺愛日記③ 3歳の誕生日に「鉄扇」を贈る大人たち。

 世界は、狭くなった。


 もちろん、物理的に大地が縮んだわけではない。大陸の広さは変わらず、西の砂漠は広大で、北の山脈は険しいままだ。


 だが、距離という概念は破壊された。


 我が姉上、レヴィーネ・ヴィータヴェン皇帝陛下が主導し、この僕――ソレン・ヴィータヴェンが現場で指揮を執った「大陸横断道路」。


 そして、その大動脈の上を、黒煙を上げて疾走する鉄の巨獣――「魔導蒸気機関車(SL)」の開通によって。


 かつては月単位の命がけの旅路だった道のりが、今や、駅弁を食べながら車窓の景色を楽しむ、数日の快適な移動へと変わったのだ。


 その結果、何が起きたか。


 ここ、連邦皇国アクシスの皇城は今、大陸中の「身内」が集まる、巨大なお茶の間と化していた。



 ◆◆◆



「――ノア! こっちへ来い! 曾祖父(ひいじい)様じゃよ! わはは、また背が伸びたか! 上腕三頭肌の付き方も実に良い!」


「おお、愛いやつよのう。……どうじゃ、ワシの(まげ)を引っ張ってみるか? ん? 遠慮はいらんぞ、引きちぎるつもりで来い」


 皇城の奥にあるプライベート・サロン。


 そこでは、北のハニマル流総帥の座を弟子に譲って隠居した祖父マラグと、東のトヨノクニで家督を息子(ノブタダ殿)に譲って自由人となったノブナガ公が、昼間からすでに出来上がった顔で杯を交わしていた。


 かつて世界を震え上がらせた「北の拳聖」と「第六天魔王」。


 歴史書に載るべき英雄と怪物が、今やただの「孫(曾孫)バカ」として、デレデレに溶けきった顔を晒している。


 今日は、我が愛すべき姪、エレノアの三歳の誕生日。


 堅苦しい公式パーティーは外交官たちに任せ、夜は本当に近しい身内だけで祝う食事会が開かれていた。


 僕もまた、帝国道路公団総裁としての激務をねじ伏せ、最新鋭の特急SL「あすなろ号」に飛び乗って駆けつけた。


 十五歳になり、ヒゲも生え始め、部下からは「鬼の旅団長」などと呼ばれている僕だが、この日ばかりは仕事など知ったことではない。


 予算会議? 道路の補修? そんなものは明日以降の僕がやればいい。


「皆様、ほんじつは、わたくちのために、おあつまりいただき、ありがとうごじゃいましゅ!」


 主賓席で、エレノアがペコリと頭を下げる。


……ッ!


 可愛い。


 ああ、なんて可愛いんだ!


 フリルたっぷりの純白のドレスに身を包み、一生懸命に挨拶するその姿は、まさしく地上に舞い降りた天使。


 三歳になり、言葉数も増え、自我もしっかりしてきた。


 だが、叔父である僕は見逃さない。


 そのドレスの生地が、対刃・対熱仕様の特殊繊維(ミスリル糸混紡)で織られていることを。


 そして、愛らしいエナメルの靴の底に、グリップ力抜群の魔獣(ベヒーモス種)の革が使われていることを。


 これらは僕と、帝国の両親(父ユリスと母イリーザ)からの共同プレゼントだ。


 ヴィータヴェンの令嬢たるもの、いつ何時、物理的な衝撃が襲ってきても良いように守りを固めるのが、大人の務めである。


 魔導スクリーンには、ラノリア王国からの通信映像が映し出されている。


『うふふ。ノアちゃん、お誕生日おめでとう! それ、私とギルベルトからね』


『パパとママには内緒で、スピードを出してもいいからね。……制御術式は軍用規格にしておいたから』


 画面の向こうでミリアとギルベルト国王がニコニコしながら指し示す先に鎮座しているのは、子供用サイズの「魔導トライク」だった。


 一見、可愛らしい三輪車だ。


 だが、搭載されている魔導エンジンが明らかにオーバースペックだ。あのサイズに、戦車(チャリオット)級の出力を詰め込んでいる。


 三歳児に与えていい馬力ではない気がするが、ノアの身体能力なら簡単に乗りこなしてしまうのだろう。


「ワシからはこれじゃ。……受け取れ、『ハニマル式・全身バネ養成ベルト』じゃ!」


 祖父マラグがドサリと床に置いたのは、無数の強力なバネと革ベルトで構成された、拘束具にしか見えない代物だった。


 装着して動くだけで、常に全身の筋肉に数倍の負荷がかかるという、球技を主題にした熱血おとぎ話の特訓道具のような狂気のアイテムだ。


「これをつけて生活すれば、十代で岩盤を素手で砕けるようになるぞ」


「おじいさま、ありがとう! ……んしょ、んしょ。おもたーい!」


 ノアは無邪気に笑って持ち上げているが、床がミシミシと音を立てている。


 あれ、総重量が数十キロはあるぞ?


 それを笑顔で持ち上げる三歳児。……さすがは姉上の娘だ。


 そして、極めつけは。


「ククク……。ワシからはこれだ。……レヴィーネとお揃いの特注品だぞ」


 ノブナガ公がニヤリと笑って差し出した、豪奢な桐箱。


 ノアがそれを開けた瞬間、彼女の瞳がこの日一番の輝きを見せた。


 宝石を見たときよりも、ドレスを見たときよりも、熱く、激しい輝きを。


「わあぁ……! おかあたまと、いっしょ!」


 中に入っていたのは、黒塗りの鉄扇。


 ただし、子供の手のひらサイズに縮小された特注モデルだ。


 金色の装飾が施され、一見するとおもちゃのようにも見える。


 だが、僕には分かる。


 あの鈍い光沢。


 光を吸い込むような重厚な質感。


 間違いなく、トヨノクニ特産の「黒鋼(クロムアダマン)」だ。


 今、巷では「悪役令嬢レヴィーネ」の物語が、史実と創作入り混じって語り継がれている。


 ある時はパイプ椅子でドラゴンを叩き落とし、ある時は鉄扇で悪徳貴族を成敗し、弱きを助ける最強の悪役令嬢。


 ノアにとって、母レヴィーネは誰よりも優しく、そして誰よりも「カッコいい」憧れのヒーローなのだ。


「おほほほ! わたくちは、あくやくれいじょう、れびーね・びーたべんでしゅ!」


 バッ!!


 ノアが鉄扇を広げる。


 凄まじい手首のスナップだ。風圧で卓上のナプキンが飛んだぞ。


 口元を鉄扇で隠し、高笑いのポーズを取るその姿は、まさしく小さな悪役令嬢。


 そのあまりの愛らしさと完成度に、会場の全員が「ぐはっ……尊い……」と胸を押さえて撃沈した。


 姉上などは「あらあら、まあまあ」と頬を染めて、最新型の魔導ビデオカメラを回している。


 平和だ。


 なんて幸せな光景だろう。


 しかし。


 悲劇は唐突に訪れた。


 パチンッ!


 と、ノアが良い音をさせて鉄扇を閉じたのだ。


 そして、その凶器の切っ先が、ゆっくりと僕に向けられた。


「おじちゃま! ワルモノごっこ、しましゅよ!」


「えっ? 僕がワルモノ?」


 僕はグラスを置いて、自分の顔を指差した。


 帝国道路公団の星、さわやかさが売りのこの僕が?


「はい! おじちゃまは、お姫様をさらう、わるいドラゴンでしゅ! ……かくごなしゃい!」


 言うが早いか、ノアが踏み込んだ。


 ドンッ!


 爆発的な加速。


 速い!


 三歳児の踏み込みではない。床の大理石にヒビが入ったぞ!?


「ちょ、待っ――」


 ベチィッッ!!!


「痛ってぇぇぇぇぇ!?」


 強烈な一撃が、僕の右脚の(すね)を直撃した。


 弁慶の泣き所。


 人体の構造上、筋肉が薄く、神経が集中している急所中の急所。


 そこへ、高密度の黒鋼の塊が、ヴィータヴェン流の身体強化が乗ったフルスイングで叩き込まれたのだ。


 僕はとっさに魔力を回し、脚部を「鋼鉄化」させたが、それでも骨の髄まで響く重い衝撃が走った。


 これ、普通の騎士なら骨折してる! いや、脚が千切れてる!


「ノブナガ公! これ、芯材まで全部金属じゃないですか! 中空構造ですらない! なんてものを三歳の姪っ子に渡すんですか!?」


 僕が涙目で抗議すると、ノブナガ公はマラグお祖父様と酒を酌み交わしながら、ゲラゲラと笑った。


「わはは! 当たり前よ。軽い玩具など、ヴィータヴェンの娘が喜ぶものか。手にズシリとくる重みがあってこその『武器』よ」


「そうじゃぞソレン。脛を鍛える良い機会じゃ。……昔、ワシがお前にやった『丸太蹴り』を思い出せ!」


「あんたたち……!」


 外野の無責任な煽りに反論する暇もなく、次なる攻撃が来る。


「とりゃー! せーばい、でしゅ!」


「ぐわっ! ふぐっ!?」


 バッシバッシ! ドゴォッ!


 容赦がない。


 手加減という概念が、幼い彼女の辞書にはまだ載っていないのだ。


 上段、下段、そしてフェイントからの突き。


 剣術の基礎ができているだと!? 誰だ教えたのは!(※十中八九、そこにいる酔っ払い二人だ)


 だが、僕は逃げない。


 逃げるわけにはいかない。


 ここで僕が避けたり、大人げなく鉄扇を取り上げたりすれば、ノアは悲しむだろう。


 何より、このニコニコと楽しそうな笑顔!


 キラキラと輝く瞳!


 僕を叩いてこれほど喜んでくれるなら、脛の一本や二本、安いものじゃないか!


「ははは……! さあ来い、ノア! 悪のドラゴンは、そう簡単には倒れないぞ!」


 僕は痛みをこらえ、あえて悪役らしくはハハハと笑ってみせた。


「きゃー! しぶといでしゅ! ……こうなったら、ひっさつ、ぱいる・どらいばー、でしゅ!」


「!?」


 ノアが僕の腰に抱きつき、小さな身体で持ち上げようとする。


 おい、その技はどこで覚えた!?


 まさか姉上の「英才教育」か!?


「ま、待って! 持ち上げないで! 叔父様の腰が! 腰がぁぁ!」


 会場に響く打撃音と、幼女の可愛らしい掛け声、そして十五歳の少年の悲鳴。


 ミリアさんは「あらあら」とスクリーンで微笑み、アリスさんまで「いけー! ノアちゃん、トドメだー!」と無責任に応援している。


 ああ、痛い。


 痛いが……なんて幸せな痛みだろう。


 かつて姉上がパイプ椅子で切り拓いたこの平和な世界で、次世代の「最強」がすくすくと育っている。


 その成長を、我が身の痛みとして実感できる喜び。


 世界は今日も、平和である。


 ただし、明日の僕は、筋肉痛と打撲で動けないかもしれないけれど。


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