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悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【第16部】グランドフィナーレ・物理帝国編 ~神様、残業代(寿命)はいりません。この世界は最高に退屈しませんもの!~
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第187話 誕生、エレノア。その手は「母の指」を握りしめて離さない。

 そして、季節は巡り。


 窓の外の木々が色づき始めた、秋の夜のこと。


 皇城の寝室は、静かな月明かりに包まれていた。


 臨月を迎え、大きくせり出したお腹を抱え、ベッドに横たわるわたし。


 その傍らには、いつものようにアレクセイが椅子に腰掛け、わたしの手を握っていた。


「……随分と、下がってきましたわね」


 わたしは、自分の腹部をさすった。


 岩のように硬く、そして温かいその膨らみ。


 中には、わたしと彼と、そして神様の祝福を受けた「命」が詰まっている。


「ああ。……もういつ生まれてもおかしくないと、アリスも言っていたよ」


 アレクセイは、愛おしそうにわたしのお腹を見つめた。


 その瞳は、かつて「氷の皇子」と呼ばれた頃の冷徹さは微塵もなく、ただただ甘く、とろけるような熱を帯びている。


 彼はそっと、わたしのお腹に耳を寄せた。


「……聞こえるかい? パパだよ」


 アレクセイが、猫なで声で語りかける。


 外では冷徹な政治家であり、現場では鬼の監督である彼が、この部屋でだけはただの甘い父親になる。


「早く出ておいで。……君に会えるのを、世界中の誰よりも楽しみにしているんだ」


 彼はわたしの膨らみにキスを落とし、うっとりと呟いた。


「ああ……愛しい、僕らの天使ちゃん」


「…………」


 その言葉を聞いた瞬間。


 わたしの脳裏に、強烈な既視感(デジャヴ)が走った。


 あれは――わたしがまだ、言葉も話せない赤ん坊だった頃。


 いいえ、もっと前。光を見る前の、温かい闇の中にいた頃の記憶。


 壁の向こうから、甘く、柔らかな声が聞こえていた。


『ああ、イリーザ。……今日も動いたね。なんて愛おしいんだろう』


 ヴィータヴェン辺境伯、ユリス。


 普段は騎士団を率いる凛々しい父様だが、母様の前ではいつも甘々だった。


 彼はわたしのいる場所(お腹)に向かって、毎日のように頬ずりするように語りかけていたのだ。


『早く会いたいな。……世界一可愛い、ぼくらの天使ちゃん!』


 優男風の柔和な顔をさらにデレデレに崩して、花が飛ぶような幻覚が見えるほどの甘い声。


 胎内にいたわたしは、そのあまりの親バカっぷりと糖度の高さに、「……うるさいですわね、お父様。安眠妨害ですわ」と呆れ果てて、ドンと壁を蹴ったものだ。


 まさか、世界一知的でクールだと思っていた我が夫の口から、同じ台詞を聞くことになるとは。


「……アレク。あなた、キャラが崩壊していますわよ?」


 わたしがジト目で指摘すると、彼は平然と顔を上げた。


「崩壊? いいえ、これが正常進化だ。……自分の娘を天使と呼ばずして、何と呼ぶんだい?」


「まあ、そうですけれど……。お父様って、みんなそうなりますの?」


「なるさ。……君のお義父上(ユリス殿)の気持ちが、今なら痛いほどよく分かるよ」


 アレクセイは、幸せそうに微笑んだ。


 その笑顔を見ていると、呆れる気持ちよりも、愛おしさの方が勝ってしまう。


 きっと母イリーザも同じ気持ちだったのだろう。


「……ふふ。血は争えないわね」


 わたしが彼の手を握り返そうとした、その時だった。


 ドスッッッ!!!


「ぐっ!?」


 わたしのお腹の中から、強烈な「蹴り」が放たれた。


 それも、可愛らしい胎動ではない。正確に、耳を当てていたアレクセイの頬骨を狙った、鋭い一撃だ。


「い、痛っ……!」


 アレクセイが顔を押さえて仰け反る。


「あらあら。……挨拶代わりの右ハイキックかしら?」


「はは……。いい蹴りだ。……骨の芯に響くよ」


 アレクセイは、赤く腫れた頬をさすりながら、それでも嬉しそうに笑った。


「間違いなく、君の子だ。……強くて、元気な女の子だ」


「ええ。……私も昔、父様に同じことをしましたもの」


 わたしはお腹を撫でた。


 内側から返ってくる、力強い反応。


 それは、かつて病室の天井を見上げ、死に怯えていた「鷹乃」には決して手に入らなかった、圧倒的な生命力(バイタリティ)の証明だった。



 ◆◆◆



 その数日後。


 運命の時は、唐突に訪れた。


「――っ!! き、来ましたわ!!」


 深夜の皇城に、わたしの叫びが響いた。


 破水。そして、襲い来る陣痛。


「レヴィーネ様!? 準備! 準備を!」


「お湯! 清潔な布! それと『予備のベッド』を!!」


 ミリアが叫び、アリスが走り回る。


 皇城の奥に設けられた分娩室は、一瞬にして戦場と化した。


 その分娩室の扉の外、廊下の待合スペースには、そうそうたる面々が集結していた。


「うおおおお! まだか! まだ生まれんのか!!」


 廊下を行ったり来たりしているのは、豪快な筋肉の塊、わたしの祖父マラグだ。


 北の辺境から、蒸気機関車を乗り継いで駆けつけたらしい。


「お祖父様、落ち着いてください。……義兄上(アレクセイ)が気を失いそうです」


 マラグをなだめているのは、わたしの弟、ソレン。


 まだ十代前半だが、大陸横断工事で鍛え上げられた体躯は大人顔負けだ。


 彼は丁寧な口調で、しかしわたしの弟らしく堂々としていた。


 その視線の先には、顔面蒼白で壁に手をついているアレクセイがいる。


「……大丈夫だ、ソレン。私は……大丈夫だ」


「義兄上、足が震えてますよ。……僕が支えましょうか?」


「カッカッカ! 情けないぞアレクセイ! 腹を据えんか!」


 そして、マラグの背中をバシバシと叩きながら笑っているのは、派手な南蛮マントを羽織った男。


 トヨノクニの天下人、オダ・ノブナガだ。


「まさかノブナガ様までいらっしゃるとは……」


 ソレンが呆れたように呟く。


「当たり前よ! わが娘同然のレヴィーネの一大事ぞ? 新しく開通した『超特急』に乗ってくれば、トヨノクニから一日じゃ!」


 ノブナガは扇子をパチリと鳴らした。


 大陸横断鉄道の開通により、世界の距離は劇的に縮まっていた。


「それにしても……」


 ノブナガが懐から硬貨を取り出し、ニヤリと笑った。


「賭けといこうではないか。……生まれてくる赤子が、最初に何を『掴む』か。余は『扇子』に賭けるぞ」


「ガハハ! ワシは『ダンベル』じゃ!」


 マラグが即答する。ソレンは少し考えてから、真面目な顔で言った。


「僕は『ツルハシ』だと思います。義兄上との思い出の品ですから」


 男たちが馬鹿な賭けに興じる中、中からは、「ひぃぃぃー!」「ふぅぅぅー!」という呼吸音と共に、何かが破壊される音が断続的に響いていた。



 ◆◆◆



「……っ、ぐうぅッ!!」


 わたしは分娩台の上で、襲い来る痛みと戦っていた。


 痛い。


 骨盤が砕けそうなほど痛い。


 数々の魔獣と戦い、神様とプロレスをしてきたわたしだが、この痛みは種類が違う。


「レヴィちゃん! 頑張って! 痛みを和らげる魔法、かける!?」


 アリスが涙目で杖を構える。


 だが、わたしは脂汗を流しながら首を横に振った。


「い、いらないわ……! この痛みは……この子が生きようとしている証拠……! わたしが、受け止めなくて、どうするのッ!!」


「レヴィちゃん……!」


「それに……こんな痛み、スクワット一万回に比べれば……屁でもありませんわぁぁぁッ!!」


 わたしは分娩台の手すり(特注のミスリル合金製)を握りしめた。


 メキメキメキッ……!


「ひぃぃッ!? レヴィーネ様、手すりが! 手すりが飴細工みたいに!」


 ミリアが悲鳴を上げる。


「吸って! 吐いて! ……いきんで!!」


 産婆のエルフの声に合わせて、わたしは全身全霊の力を込める。


 腹筋。背筋。そして、括約筋。


 鍛え上げた全ての筋肉を総動員し、新しい命を世界へと押し出す。


「ぬおおおおおおおおおッッ!!!」


 ドゴォォォォンッ!!


 わたしが力を込めた瞬間、衝撃波が走り、分娩室の窓ガラスが全て砕け散った。


「わああああ! 結界! 結界張って!!」


「建物が持たない! ヒデヨシさん、補強を!!」


 ミリアがインカムで指示を飛ばし、屋外で待機していた黒鉄組が、建物の壁を支えるために殺到する。


 前代未聞の、物理破壊を伴う出産。


 そして。


「オギャアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」


 世界を震わせるような、力強い産声が響き渡った。


「う、生まれた……!」


「元気な……女の子です!」


 産婆が抱き上げた赤ん坊は、血色良く、そしてへその緒がついたまま空中で手足をバタつかせ、まるで「受け身」を取るかのような動きを見せた。


「……はぁ、はぁ……」


 わたしは全身の力が抜けるのを感じながら、その小さな塊を見つめた。


 わたしの、子供。


 わたしとアレクセイの、新しい物語。


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