第166話 家出少年ソレン。……姉上に会いたくて、大陸を走ってきました。
ガルディア帝国、東の辺境。
ここヴィータヴェン辺境伯領には、とてつもない噂が風に乗って届いていた。
「聞いたか! あのお嬢様が、大陸の真ん中に国を作っちまったそうだ!」
「ああ! ドデカい谷を埋めて、空飛ぶ城を落としたんだとよ!」
「さすがは我らが領主様の長女だ。スケールが違うぜ!」
領民たちは興奮し、酒場でジョッキを掲げている。
僕――ソレン・ヴィータヴェンは、その熱狂を屋敷の窓から眺めながら、小さな溜息をついた。
「……姉上、か」
僕には、姉がいるらしい。
名前は、レヴィーネ・ヴィータヴェン。
「らしい」というのは、僕が物心ついた時には、彼女はもうこの家にいなかったからだ。
僕が生まれた直後、彼女はとある事情で家を出て、はるか西の国へ行ったという。
父上(辺境伯)と母上は、姉上の話をするとき、いつも少し困ったような、でも誇らしげな顔をする。
祖父のマラグおじい様に至っては、「あやつはワシの若い頃にそっくりじゃ! 岩をも砕く破壊の申し子じゃ!」と豪快に笑う。
年に数回、すごいお土産を持ってやってくる「海運王」サカモト・リョウマというおじさんは、「姐さんは規格外ぜよ。世界の半分を買い占めるつもりじゃき」と目を輝かせる。
破壊の申し子。世界の半分を買い占める女帝。
……僕の中での姉上は、もはや人間というより、絵本に出てくる「伝説の魔神」みたいなイメージになっていた。
でも。
そんな伝説の姉上に、どうしても会ってみたい。
だって、彼女の話をする人たちはみんな、すごく楽しそうで、キラキラしているから。
◆◆◆
その日、ヴィータヴェン辺境伯邸に、一人の客人が訪れた。
帝国の第二皇子にして、時折お忍びで僕に帝王学や剣術を教えてくれる家庭教師。
アレクセイ・ガルディア殿下だ。
「やあ、ソレン。剣の腕は上がったかな?」
アレクセイ先生は、いつものように優しく、洗練された動作で微笑んだ。
先生はすごい人だ。頭も良くて、剣も強くて、政治のことも何でも知っている。
僕は先生が大好きだ。そして、先生が僕の「姉上」のことを話すときに見せる、熱っぽい瞳も知っている。
今日の先生は、いつもの貴族服の上から、実用的な旅装束を羽織っていた。
応接室に通された先生は、僕の両親に向かって深く頭を下げた。
「辺境伯、夫人。……長い間、ソレンの教育を任せていただき感謝します。ですが、当面の間、ここへ来ることはできなくなります」
「殿下……。それはやはり、例の計画のためですかな?」
父上が尋ねると、先生は力強く頷いた。
「はい。『東方開拓計画』。……大陸中央に国を興した彼女を迎えに行くため、私自ら現場に入り、東側から道を繋ぎます」
そして、先生は一度言葉を切り、居住まいを正した。
その瞳には、決死の覚悟が宿っていた。
「それと……もう一つ、ご相談があります。私は既に、帝国の皇籍を離脱する手続きを進めています」
「なっ……殿下、それは!?」
「道が繋がり、彼女と再会できた暁には……私は、彼女に求婚するつもりです。ヴィータヴェン家への婿入りをお許しいただきたい」
その言葉に、部屋の空気が止まった。
父上と母上は顔を見合わせ、それから……嬉しそうに笑った。
「……あのおてんば娘の夫が務まるのは、世界広しといえど殿下くらいでしょう」
「ええ。娘を、よろしくお願いしますわ」
先生が、姉上の夫に。
その瞬間、僕の中でパズルがハマった。
大好きな先生が、本当の「義兄上」になるんだ。
そして、二人は世界を繋ぐ大工事に挑もうとしている。
「……僕も!」
気がつくと、僕は叫んでいた。
「僕も連れて行ってください! 僕も姉上に会いたい! 先生のお手伝いがしたいです!」
大人の話に割って入るのはマナー違反だと分かっている。でも、いてもたってもいられなかった。
先生は、少しだけ目を見開き、それから困ったようにしゃがみ込んで、僕の目線に合わせた。
「ソレン。気持ちは嬉しいよ。……でも、君はまだ7歳だ。これから行く場所は、魔獣が出る森や、険しい山岳地帯だ。子供には危険すぎる」
「大丈夫です! 僕だってヴィータヴェンの男です! 牙鹿や森熊くらいなら、一人で倒せます!」
「……ははは。頼もしいな。だがダメだ。君には、この家を守るという大事な仕事がある。君が立派な領主になることが、姉上にとっても一番の喜びなんだよ」
先生は僕の頭をポンと撫でると、立ち上がってしまった。
子供扱いだ。
僕の膂力が、既に大人の騎士を凌駕していることを、先生は「子供の背伸び」だと思っている。
先生が帰った後、僕は部屋で荷造りを始めた。
悔しかった。
何も知らない子供扱いされたことが。
そして何より、大好きな先生と伝説の姉上が、命がけの冒険に行こうとしているのに、何もできない自分が。
「……子供だと思って。もう熊だって一撃で倒せるのに」
僕は壁に掛けてあった子供用の剣(特注の重量級)を背負い、リュックに保存食と水筒を詰め込んだ。
書き置きは……しない。見つかったら連れ戻される。
先生は帝都で準備をしてから出発すると言っていた。
ここから帝都までは、大人の足で馬車を使って三日。
先生のように早馬を乗り換えるなら一日。
普通の子供なら一週間はかかるだろう。
僕が生まれる前は大人でもひと月近くかかっていたらしい。
ヴィータヴェン領と帝都を結ぶ道が整備されたのも、姉上のおかげだって領民のみんなが言ってる。
あらためて姉上のすごさを感じる。
でも、僕なら一日で着く。がんばって走ればいいんだから。
「……行ってきます」
その夜。
僕はこっそりと窓から抜け出し、満天の星の下、帝都へと続く街道を全速力で駆け出した。
◆◆◆
道中、何度か「追い剥ぎ」や「人さらい」といった悪い大人たちに絡まれた。
彼らは「へへへ、上等な服を着た坊ちゃんだな」と下卑た笑いを浮かべて近づいてきたけど、僕が軽くデコピン(物理)をすると、白目を剥いて飛んでいった。僕は悪くない。
腹を空かせた野犬の群れも襲ってきたけど、撫でてやろうと手を出したら、その風圧だけでキャンと鳴いて逃げていった。かなしい。
そんな些細な障害などものともせず。
翌日の昼過ぎには、僕は帝都ガルディアの城門をくぐっていた。
皇城前の広場は、前代未聞の熱気に包まれていた。
帝国軍だけでなく、屈強な土木作業員や、冒険者たちが集結している。
『帝国道路公団・第一開拓旅団』の結団式だ。
その壇上に、アレクセイ先生の姿があった。
煌びやかな皇族の衣装ではなく、機能的な作業着にマントを羽織った姿。
周りの兵士たちに檄を飛ばしている。
「行くぞ! 我々の手で未開の森を切り拓く! 西から来る『彼女』に負けてはいられん!」
「「「応ッ!!!」」」
地響きのような歓声。
出発の号令がかかろうとした、その時だった。
「先生ーーーッ!!!」
警備兵の制止をひらりと躱し、僕は広場の中央へと躍り出た。
一日中走りっぱなしだったけど、息一つ切れていない。服も汚れていない。
ただ、全速力で走ってきた爽快感だけがある。
「なっ……ソレン!?」
壇上の先生が、驚愕に目を見開く。
周囲の兵士たちもざわめき始める。
「おい、子供だぞ?」
「どこから入ったんだ?」
そんな視線をものともせず、僕は先生の元へ歩み寄り、貴族の礼儀作法に則って優雅に一礼した。
「お見送りだけでは我慢できませんでした。……追いかけて、来ました」
「馬鹿な……。昨日の今日だぞ? 馬車でも三日はかかる距離を、どうやって……」
「走ってきました。……準備運動にもなりません」
僕は平然と言ってのけた。
先生は絶句していたが、すぐにその意味を理解したようだ。
僕の瞳に宿る、姉上と同じ「ヴィータヴェンの光(狂気)」を見たのだろう。
「先生……いいえ、未来の義兄上!」
僕は、先生の目を真っ直ぐに見つめて言った。
あんなに格好良くて、強くて、姉上一筋の先生を、姉上が振るわけがない。
だから、もう「義兄上」で決定だ。
「僕は、まだ子供ですが、足手まといにはなりません! 熊も岩も砕けます! ……ですから、僕を使ってください!」
広場が静まり返る。
数千の屈強な男たちが、豆粒みたいな僕を見つめている。
でも、僕は胸を張った。
ここで引いたら、ヴィータヴェンの名折れだ。
先生は、しばらく僕を見つめ、それから……ふっと、口元を緩めた。
困ったような、でもどこか嬉しそうな、あの笑顔だ。
「……ハハッ。そうか」
先生は、大きな手で僕の頭をガシガシと撫でた。
「その怪力と体力……。やはり、血は争えないな。君の中に、間違いなく彼女がいるよ」
先生は立ち上がり、周囲の兵士たちに向かって宣言した。
「聞いたか、野郎ども! この小さな勇者は、たった一人で辺境からここまで走ってきた! しかも無傷でだ! このポテンシャル、我ら開拓旅団に相応しいとは思わんか!」
「「「おおおおおッ!!」」」
「すげぇ坊主だ!」
「ヴィータヴェンの血統、伊達じゃねぇな!」
男たちが口笛を吹き、武器を打ち鳴らして歓迎してくれる。
先生は僕に向き直り、ニカっと笑った。
「合格だ、ソレン。……いや、未来の義弟よ」
先生が差し出した手を、僕は強く握り返した。
大人の骨がきしむくらいの力で握ったけれど、先生は顔色一つ変えずに握り返してくれた。さすがだ。
「君を『従騎士見習い』兼『特攻隊長』として採用する。……ただし、特別扱いはしないぞ。泥にまみれて働いてもらう」
「はいッ! 望むところです、義兄上!」
こうして、僕は家を出た。
小さな家出は、大陸を繋ぐ壮大な旅の始まりになった。
待っていてください、姉上。
最強の弟と、最高の義兄上が、必ずそちらへ道を繋げに行きますから!




