第165話 最強の家訓。アリスお姉ちゃんを一人にするな、構い倒せ!
「……お師匠様」
アリスは顔を上げ、涙を拭って笑った。
その笑顔は、かつてラノリアで「聖女」と呼ばれていた頃の作り物ではない。
一人の女性が、愛するもののために自らを捧げる、覚悟の笑みだった。
「私、飲みます」
「アリス……本当によいのか? 魔女と呼ばれ、忌み嫌われる未来が待っていてもか?」
「……怖いです。すっごく、怖いです」
アリスは本音を吐露した。
「でも、私が逃げたら……この緑も、あの子たちの笑顔も守れないから。……レヴィちゃんが作った道を、砂に埋もれさせたくないから」
アリスは小瓶を受け取った。
「種族なんて、どこにも属さなくていいんです。……レヴィちゃんが作った道、ミリアちゃんが支えた国、みんなで守ったこの世界。……それを未来へ繋ぐ『緑の導き手』がいるなら、私がなります」
迷いはない。
アリスは小瓶の蓋を開け、一気に飲み干した。
カッ――――!!
瞬間、アリスの身体が光に包まれた。
焼けるような熱さと、凍えるような冷たさが同時に駆け巡る。
骨が軋み、血液が樹液のように変質し、魂の形が作り変えられていく。
人の器が割れ、新たな器へと昇華される痛み。
「ぅ、あぁぁぁぁぁっ……!!」
膝をつくアリス。
光が収まった時、彼女の姿は変わっていなかった。
けれど、そのピンク色の髪は以前よりも瑞々しい光沢を帯び、瞳の奥には、世界樹の年輪のような深い翠色の輝きが宿っていた。
気配が、変わった。
そこにいるのに、そこにいないような。大気そのものが人の形をしているような、圧倒的な存在感と透明感。
「……見事じゃ。我が愛弟子よ」
エルウィンが、涙を流してアリスを抱きしめた。
それは、種族を超えた新たな「隣人」への祝福だった。
◆◆◆
エルウィンが去った後も、アリスは一人、星を見上げていた。
身体は軽い。魔力の暴走も消えた。
けれど、胸の奥には、ぽっかりと空いた穴のような寒さがあった。
(私はもう、人間じゃないんだ……)
手のひらを見る。美しいけれど、もう温もりはない。
これから先、レヴィちゃんが歳を重ねても、私はこのまま。
100年後、200年後。
知っている人が誰もいなくなった世界で、私は「得体の知れない存在」として、石を投げられるかもしれない。
『化け物め』
『魔女だ、出ていけ』
想像の中の罵声が、耳元で響くような気がした。
寂しい。怖い。
これが、永遠を生きる代償なの?
「……寒いですわね。こんなところで風邪を引く気?」
不意に、背中に温かい重みが乗せられた。
上質なシルクのショール。
そして、鼻腔をくすぐる薔薇の香り。
「……レヴィちゃん」
振り返ると、パーティードレス姿のレヴィーネが、呆れたように、けれど慈愛に満ちた瞳で立っていた。
彼女は、アリスの変化に気づいているはずだ。
その鋭い観察眼が、アリスの纏う空気が「人」のものでなくなったことを見逃すはずがない。
それでも、彼女の態度はいつもと変わらなかった。
「……レヴィちゃん、私ね」
アリスは、震える声で告白した。ショールを握りしめ、自分の中の恐怖を吐き出す。
「私、もう人間じゃなくなったの。……お師匠様の薬を飲んで、この世界の『守り人』になることにしたの」
「……ええ。聞いていたわ」
「! ……そっか。……私ね、ずっと生きるの。レヴィちゃんがお婆ちゃんになっても、死んじゃっても、ずっと。……巫女連の子たちが大人になって、その子供が生まれても、私だけはずっとこのままなの」
言葉にすると、堰を切ったように涙が溢れた。
「怖いよ、レヴィちゃん……。いつか、みんなに忘れられて……『魔女』って呼ばれて……石を投げられたり、殺されそうになったりするのかな……。誰も私のこと、知らなくなっちゃって……一人ぼっちになっちゃうのかな……っ!」
種族に属さない孤独。
異端として排斥される未来への恐怖。
アリスはその場にしゃがみ込み、顔を覆って泣きじゃくった。
そんな彼女を、力強い腕が抱きしめた。
ドレス越しに伝わる、確かな体温。ドクン、ドクンと脈打つ、人間の心臓の音。
「――馬鹿いうんじゃないわよ」
レヴィーネの声が震えていた。
彼女もまた、泣いていたのだ。
けれど、その言葉は、どんな魔法よりも力強かった。
「誰が一人になんかするもんですか。……誰が、わたしの親友を『魔女』だなんて呼ばせるもんですか! そんなふざけた歴史、わたしがへし折ってやるわよ!」
「レヴィ、ちゃん……」
「アリス、あんたが1000年生きるというなら。……わたしの子が、孫が、ひ孫が、その子孫が! ずーーーーっと、あんたの側にいて、守り続けるわよ!」
レヴィーネはアリスの顔を上げさせ、涙で濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ヴィータヴェンの血はしつこいわよ? あんたが『もう静かにさせて! 一人になりたい!』と悲鳴を上げるくらい、代々受け継いで、あんたを崇め奉って、構い倒すんだから!」
「……っ!」
「もし誰かがあんたに石を投げるなら、わたしの子孫がその石を粉砕するわ。もし国があんたを追放しようとするなら、私の一族が国ごと乗っ取ってあんたを守るわ!」
レヴィーネはアリスを強く、強く抱きしめた。
人外となったアリスの冷たい体に、自分の熱を分け与えるように。
「……わたしに子供が生まれたら、きっと頑丈で生意気で、あんたを振り回すガキになるわよ。だから、その子にはわたしの最高傑作の遺言を残してやるわ。 『アリスお姉ちゃんを絶対に一人にするな。この国の守り神として、一生全力で甘やかせ』ってね。 ……これはヴィータヴェン家の消えない家訓として、末代まで叩き込んでやるから。……覚悟しなさいよ?」
それは、時を超える約束。
アリスが永遠の孤独を選ぶなら、レヴィーネは「血の絆」という軍勢を率いて、その孤独を征服するという宣言。
「だから、安心なさい。……あんたは、未来永劫、孤独になんてなれないのよ? わたしが、絶対に許さないわ」
レヴィーネの涙が、アリスの頬に落ちる。
その熱さが、凍りついていたアリスの心を溶かしていく。
「……ふ、ふふっ、あははははっ!」
アリスは泣きながら笑った。
やっぱり、この人はすごい。
種族の壁も、寿命の差も、未来への恐怖も。
全部まとめて「わたしがなんとかしてやる」と飲み込んでしまう。
「……うん、覚悟しとく! レヴィちゃんの子供なら、きっととびきりの悪戯っ子だもんね!」
「ええ、その通りよ。ミリアも教育係として叩き込むだろうし、覚悟しておきなさい」
レヴィーネはアリスの肩を抱き寄せ、二人で星空を見上げた。
「さあ、帰ろう……アリス。あんたが選んだその道を、わたしたちが祝福するわ。今日は朝まで飲み明かしましょう!」
「うん! ……ありがとう、レヴィちゃん。大好き!」
二人は手を取り合って歩き出す。
一人は、有限の時を全力で駆け抜ける人間として。
一人は、無限の時を見守り続ける守り人として。
その歩幅は違っても、繋いだ手の温もりだけは、決して変わることはなかった。
こうして、伝説の「黄金のトライアングル」は、形を変えながらも永遠に語り継がれていくこととなる。
大陸を貫く「黒き道」と、それを包み込む「永遠の緑」の物語として。




