第158話 世界が動く。帝国もラノリアも、東への道を拓き始める。
大陸東部、ガルディア帝国。皇城の奥深くにある「皇帝私室」。
そこには、帝国を支える四人の皇族の姿があった。
威厳に満ちた皇帝。
病床から復帰し、精悍さを取り戻しつつある第一皇子(皇太子)。
妖艶な美貌の裏に、母譲りの諜報部隊「宮家の影」を従える第一皇女アナスタシア。
そして、冷徹な切れ者である第二皇子、アレクセイ。
「……わずか半月か。早すぎるな、あの娘は」
皇帝が、報告書を卓上に置き、重々しく呟いた。
その顔には、驚きと共に、隠しきれない焦燥の色が浮かんでいる。
「西方連邦は、腐っても大国だ。それを武力による破壊ではなく、経済とインフラで飲み込むとは……。これでは、我々帝国が『旧時代の遺物』になりかねん」
「はい、父上。……彼女の歩幅は、我々の想定を常に超えていきます」
アレクセイが、静かに、しかし熱のこもった瞳で肯定した。
彼は窓の外、西の空を見つめる。
「彼女は大陸を横断し、東西を繋ぐ『大回廊』を造ろうとしています。……もし、それを彼女単独の手で成し遂げられてしまえば、帝国の威信は地に落ちるでしょう。『ただ待っていただけの国』として。何より、私が許せません」
その言葉に、第一皇子が深く頷いた。かつてスキルを奪われ、絶望の淵にあった彼を救ったのもまた、レヴィーネたちがもたらした「変革」の風だった。
「我々も変わらねばならない。……父上。私は、この『大陸横断道路』の建設事業を、帝国再生の象徴としたいと考えています。東側からのルートを開拓し、未開の樹海を切り開き、彼女を迎え入れる。……それは、帝国が新しい時代に適応したことを世界に示す、絶好の機会です」
皇太子の力強い言葉に、皇帝は満足げに目を細めた。
「うむ。……それが成った暁には、私は退こう。新しい道には、新しい皇帝こそが相応しい」
譲位の意志。
それは、帝国の歴史が動く瞬間だった。
だが、変革には痛みが伴う。光が強くなれば、影もまた濃くなるものだ。
「……ですが、兄上。国内には、それを面白く思わない『旧き血』も澱んでいますわ」
第一皇女アナスタシアが、扇子で口元を隠しながら、冷ややかな声で指摘した。
既得権益にしがみつく旧貴族たち。彼らはトヨノクニの台頭とレヴィーネの影響力を恐れ、裏で不穏な動きを見せている。改革を阻む、獅子身中の虫だ。
「彼らの情報は、すべて掌握済みです」
アレクセイが、懐から分厚い書類の束を取り出した。
そこには、旧貴族たちの横領、裏取引、そしてクーデター計画の証拠が網羅されている。
「兄上は、光の当たる場所で旗を振ってください。……影の掃除は、私とアナスタシア姉上が引き受けましょう」
「……頼めるか、アレクセイ。それにアナスタシアも」
「ええ、任せてくださいませ、兄上。……帝国の膿を出し切り、その財産をすべて『道路工事』の予算に組み替えて差し上げますわ」
アナスタシアが妖艶に微笑み、アレクセイが不敵に口角を上げる。
帝国は動き出す。内なる敵を喰らい、そのエネルギーを外への道に変えるために。
◆◆◆
同時刻。聖教国ラノリア。
王城の謁見の間は、物理的な「熱」に包まれていた。
床には、豪奢な衣装を纏った数名の男たちが、白目を剥いて転がっている。
かつて、第三王子であったギルベルトを蔑み、追放しようとした第一王子、第二王子を中心とする「旧体制派」の残党たちだ。
「……ふぅ。これで全員か」
ラノリア国王、ギルベルトは、額の汗を拭いながら、大きく息を吐いた。
彼の手には剣ではなく、トレーニング用のダンベルが握られている。
周囲では、彼の腹心である「筋肉神官団」が、倒れた貴族たちを担架で運んでいるところだった。
「陛下。……通信が入っています。トヨノクニの『ミリア様』からです」
側近の言葉に、ギルベルトは表情を引き締め、通信機を受け取った。
「……ギルベルトだ。どうした、ミリア殿」
『お疲れ様です、ギルベルト陛下。……いえ、ここは敢えて「さすがは私の『弟弟子』です!」と言うべきでしょうか?』
通信機の向こうから、こちらを気遣うように柔らかな声が響く。
レヴィーネの最側近にして、V&C商会の金庫番、ミリア・コーンフィールドだ。
その声色は、いつもの事務的なものではなく、かつてラノリアの「ちゃんこ道場」で共に汗を流した頃の、親愛と茶目っ気を含んだものだった。
『イリスからの報告によれば、国内の不穏分子……旧王族派の鎮圧が完了したようですね。手際が良いです』
「……耳が早いな。たった今、終わったところだよ」
ギルベルトは苦笑した。その表情は、王としての硬さが抜け、一人の武人に戻っていた。
『……本当にお疲れ様でした。イリスの分析では、この粛清によるラノリアの国力低下は見られないとのことですが……。とはいえ、かつての兄弟や親族を手にかけるというのは、お辛かったでしょう?』
不意に、声色が柔らかくなる。
事務的な報告の裏に滲む、彼女なりの労り。
ギルベルトは、ふと窓の外を見た。
「……なに、殺してはいないさ」
彼は、運び出されていくかつての兄たちを見下ろした。
「彼らの財も、彼らの私兵も、これからは大事な『工事力』になるのだからな。……殺してしまっては、筋肉の無駄遣いだ」
『……ふふ。言うようになりましたね』
ミリアが笑う。ギルベルトもまた、確信を持って続ける。
「それに……姐さんへの合力を阻む者が、このラノリアにあってはならない。この国は、彼女に救われたのだから」
ギルベルトの声には、迷いのない信念が宿っていた。
かつて『運営』の洗脳に囚われ、絶望していた自分と国を、物理的に叩き直してくれた恩人。
彼女の行く道を塞ぐ小石があるなら、王として、弟弟子として、取り除くのが道理だ。
『……ええ。その言葉、レヴィーネ様も喜ぶと思います。……では、後の始末については、こちらでプランを送りますね。無理をなさいませんように』
「ああ。……そちらもな、ミリア殿」
通信が切れる。ギルベルトは、少しだけ軽くなった心で、ダンベルを握り直した。
国内の憂いは絶った。あとは、東への道を切り拓くだけだ。
◆◆◆
そして、トヨノクニ、オワリ城。
大広間には、小さな訪問者たちの姿があった。
「ノブナガ様! お願いします! 私たちも連れて行ってください!」
必死の形相で頭を下げているのは、十歳にも満たない子供たち。
アリスが滞在中に育て上げた「巫女連」の子供たちだ。その先頭には、代表格の少女、スズがいる。
彼女たちの後ろには、ヒデヨシが率いていった本隊に入れなかった、トヨノクニ残留組の「黒鉄組」の男たちも控えていた。彼らもまた、顔に「行きたい」と書いてある。
「……ならぬ」
上座に座るオダ・ノブナガは、短く、しかし厳しく告げた。
「西への道は、物見遊山ではない。あやつらからの報告によれば、その先には広大な砂漠と、魔物が跋扈する荒野が広がっておる。……お主らのような子供が行って、生きて帰れる保証はない」
「でも! お師匠様が、砂漠でお水を出す魔法を使ってるって聞きました!」
スズが食い下がる。
「私たちは、お師匠様に魔法を教わりました! 植物を育てる魔法も、お水をきれいにする魔法も使えます! ……絶対に、お師匠様とレヴィーネ様のお役に立てます!」
「俺たちだってそうです! 現場仕事なら誰にも負けねぇっす!」
子供たちの純粋な瞳。職人たちの熱意。
それは、レヴィーネとアリスがこの国に撒いた「種」が、確実に芽吹いている証拠だった。
ノブナガは、扇子で口元を隠し、内心で舌を巻いた。
(やれやれ。レヴィーネよ、お主らが残していった者達は、お主らが思うよりずっと、お主に合力したがっておるぞ……)
だが、為政者として、安易に許可を出すわけにはいかない。
彼らは国の宝だ。無駄死にさせるわけにはいかないのだ。
「……気持ちは分かった。だが、今は時期尚早じゃ」
ノブナガは、声を少しだけ和らげて諭した。
「兵站の船に乗せれば、西海岸までは行けるじゃろう。だが、そこから先の内陸は戦場(現場)じゃ。……お主らがどうしても行きたいと言うなら、まずは己を鍛えよ。そして、機が熟すのを待て」
「うぅ……」
「……はい」
スズたちは、悔しそうに唇を噛み締め、すごすごと引き下がった。
その小さな背中を見送りながら、ノブナガは独りごちた。
「……機が熟す、か。まあ、そう遠い話でもないかもしれんがな」
ノブナガは、手元の書状に視線を落とした。
そこには、東方諸国の首脳たちとの「緊急回線」の準備が整ったとの報告があった。
もし、世界中が動くなら。
あの子供たちを安全に送り届ける「護衛(エルフや帝国の軍勢)」も、確保できるかもしれない。
「さて、どう口説いてやろうかのう」
魔王はニヤリと笑い、通信機のスイッチに手を伸ばした。
それぞれの国で、それぞれの想いが動き出す。
それらが一つに繋がる「サミット」の幕開けは、もう目の前だった。




