第142話 到着、天蓋都市。そこは美しくも寂しい、空の廃墟。
機械龍の背部に開いた輸送用ハッチの中。
本来なら外界から隔絶された暗闇のはずだが、今のわたしたちの視界には、信じられない光景が広がっていた。
「ひぇぇ……! か、壁が……透けてるぅぅ!?」
「ひぃぃぃ! 落ちる! 落ちます! 地面があんなに遠くに!」
アリスが半泣きでわたしのドレスにしがみつき、ミリアが青ざめた顔で床を這いつくばっている。
無理もない。
どういう仕組みなのか、機械龍の装甲を構成する流体金属が、内部からの視界だけを通す『一方通行の透明化』を行い、外の景色を360度のパノラマで映し出しているのだ。
足元の床さえも透けて見える。
おかげで、わたしたちは世界が猛スピードで遠ざかっていく様を、特等席で見せつけられていた。
視界を埋め尽くしていた分厚い雲海が、一瞬で足元へと過ぎ去っていく。
トヨノクニの広大な大地が、箱庭のようなサイズに縮んでいく。
そして、空の色が劇的に変化し始めた。
鮮やかな水色から、吸い込まれるような深い蒼へ。
さらに、星の瞬きが見える群青へ。
成層圏の領域。
そこは、生身の生物が踏み入ってはならない「死の世界」だった。
美しさと引き換えに、環境は過酷を極めた。
ハッチの気密性は完全ではないのか、それとも装甲の冷却が追いつかないのか、壁面から冷気がじわじわと染み込んでくる。
「くっ……! さ、寒い……!」
ミリアがガチガチと歯を鳴らす。
吐く息が白を通り越し、微細な氷の粒となってキラキラと舞う。マイナス数十度の世界だ。ドレス一枚では、数分で凍死するだろう。
さらに恐ろしいのは、空気の欠乏だ。
「はぁ、はぁ……! 意識が……飛びそうです……!」
「息が……吸えないよぉ……」
気圧が急激に下がり、酸素濃度が低下している。
わたしも、身体強化魔法で心肺機能をフル稼働させて耐えているが、それでも視界がチカチカと明滅し始めた。
透けた壁の向こう、深くなっていく空の色に合わせて、わたしたちの意識も遠のいていく。
これはまずい。遺跡にたどり着く前に、わたしたちが「冷凍保存」されてしまう。
「アリス! あれを!」
わたしは、薄れゆく意識の中で叫んだ。
アリスがコクンと頷き、震える手で杖を掲げる。
「うん……! お願い、守って……! 『光の繭』!!」
カッ……!
杖の先端から、暖かな黄金色の光が溢れ出した。
その光は、凍てつく闇を切り裂くように広がり、わたしたち三人(と、わたしが持ち込んだパイプ椅子)を優しく包み込む。
球形の結界が形成された瞬間。
フッ……と、圧迫感が消えた。
押し潰されるようなGも、肌を刺す冷気も、窒息感も。
すべてが嘘のように消え失せ、春の陽だまりのような温もりと、清浄な空気が満ちた。
「……ふぅ。……助かりましたわ」
わたしは深く息を吐き出し、乱れた呼吸を整えた。
肺いっぱいに酸素が満ちる快感。
「すごい……。外部の環境を完全に遮断し、内部の気圧と温度を人間に最適化しています。……アリス様、これ国家機密レベルの結界魔法ですよ。宇宙船の生命維持装置そのものです」
ミリアが眼鏡の曇りを拭いながら、感嘆の声を漏らす。
繭の外――透けた装甲の向こうでは、依然として極寒の暴風が吹き荒れているというのに、こちらの髪の毛一本揺れることはない。
やがて。
上昇のGが消え、内臓が浮き上がるような浮遊感が訪れた。
機械龍が水平飛行に移ったのだ。
「見て、レヴィちゃん! あれ!」
アリスが指差した先。
漆黒に近い宇宙を背景に、その巨大な影が姿を現した。
――『天蓋の揺り籠』。
それは、空に浮かぶひとつの「世界」だった。
直径はおそらく数キロメートル。巨大な円盤状の基部の上に、半透明の強化ガラスドームが被さっている。
太陽の光を反射して白銀に輝くその姿は、神々しいまでの美しさを放っていた。
だが、近づくにつれて、その詳細が見えてくる。
「……壊れている?」
わたしは目を細めた。
以前、イリスを通して観測衛星で確認した通りだ。
ドームの一部には巨大な亀裂が走り、そこから内部の空気が漏れ出している痕跡がある。
内部の街並みも同様だ。
天を突くようにそびえる白亜の塔は折れ、幾何学的なラインを描く道路はひび割れている。
かつては空を埋め尽くしていたであろう「空飛ぶ乗り物」も、今はすべて地上に墜落し、残骸となって沈黙している。
そこにあるのは、輝ける未来都市ではない。
800年の時を経て風化し、誰もいなくなった、美しくも残酷な「墓標」だった。
ズゥゥゥン……。
機械龍が、ドームの亀裂に近い発着ポートへと舞い降りた。
重力制御の独特な浮遊感と共に、巨大な足が金属製のデッキを捉える。
プシュゥ……と背中のハッチが開き、本物の外気が流れ込んでくる。
わたしたちは光の繭に守られたまま、よろよろと地面(金属製のデッキ)に降り立った。
「……つ、着いた……」
「おえぇ……。し、死ぬかと思いました……音より速い速度で垂直上昇なんて、生身の人間の移動手段じゃありませんよ……」
アリスとミリアが、青い顔をしてその場に座り込む。
わたしはドレスの乱れを直し、涼しい顔で振り返った。
「ありがとう、大家さん。スリル満点で、なかなか快適な空の旅でしたわ」
わたしが鉄扇を開き、優雅に挨拶すると、機械龍は無数の赤い複眼を明滅させ、無機質な音声で告げた。
『……搬送完了。これより当機は、定常監視軌道へ戻る。……警告する。この領域は「保存区画」だ。過度な破壊活動は推奨しない。……リピートする。破壊活動は推奨しない』
念を押された。
どうやら、乗車賃代わりに一発殴られたことを根に持っているらしい。
「ええ、分かっていてよ。常識の範囲内で楽しみますわ」
わたしがニッコリと「悪役令嬢の微笑み」を向けると、ドラゴンは「その常識が信用できないのだが」と言いたげに大量の噴気を吐き出し、翼を広げた。
バサァッ! と大気を叩き、再び空の彼方へと飛び去っていく。
「……さて」
わたしは踵を返し、目の前に広がる死んだ都市を見渡した。
光の繭のおかげで活動できているが、一歩外に出れば即死級の寒さと真空が待っている。
完全な無音。
風の音さえしない。鳥の声もない。
ただ、遠くの地下深くで稼働し続ける基幹システムの低い駆動音だけが、地響きのように伝わってくる。
永遠の時を刻む、巨大な時計の中に迷い込んだような感覚だ。
「行きましょう。お宝探しですわ!」




