第143話 廃墟? いいえ「宝の山」です! 食材の遺伝子を確保せよ!
都市の内部へ進む。
イリスのナビゲートに従い、まずは「中枢管理棟」を目指して大通りを歩く。
足元の舗装材は、踏むとわずかに沈み込む柔らかな素材でできており、わたしたちの足音すら吸い込んでしまう。
かつては多くの人々が行き交っていたであろう大通り。
道の両脇には、透明なチューブのようなものが張り巡らされている。
「これは……『動く歩道』の跡ですね」
ミリアが、チューブの表面を撫でながら言った。
「魔力を動力にして、人を高速で運んでいたのでしょう。ですが、今は完全に魔導力が落ちています」
「すごいね……。昔の人は、歩くこともしなかったのかな」
アリスが不思議そうに首を傾げる。
左右に並ぶ建物の中を覗き込むと、そこにも生活の痕跡は見当たらない。
椅子もテーブルもない。看板もない。
まるで、最初から「人」が住むことを想定していないかのような、無機質な空間。
「ええ。それに見てください、この壁」
ミリアが、建物の壁面にへばりついて興奮した声を上げる。
彼女は懐から片眼鏡のような形状をした魔導具――「賢者アスケンの眼鏡」を取り出し、壁の素材を食い入るように観察し、鑑定を始めた。
「これ、ただのガラスじゃありません! 『生体維持クリスタル』です! 魔力を通すことで内部の時間を極限まで遅延させる、伝説の素材ですよ!? これ一枚剥がして持って帰るだけで、王都の城壁が買える値段がつきます!」
「へぇ。高そうね」
わたしは興味なさげに流し、窓の中を覗き込んだ。
暗い室内。
だが、目が慣れてくると、そこには異様な光景が広がっていた。
部屋を埋め尽くすほどの無数の「カプセル」が、整然と並べられていたのだ。
ここだけは予備電源が生きているのか、淡い青色の光が液体の中で明滅している。
人間大のガラスシリンダーが、数千、数万と並ぶ様は、まるで深海の底に沈んだ神殿のような、幻想的で、どこか恐ろしい美しさを醸し出していた。
「……ちょっと、中を見てみましょう」
わたしは近くの建物の扉に手をかけた。
高度な電子ロックがかかっていたが、800年の劣化には勝てない。わたしが少し力を込めると、蝶番ごとバキリと外れ、悲鳴を上げて開いた。
プシュゥ……と、古びた空気が抜ける音がする。
中に入ると、冷やりとした空気が肌を撫でた。消毒液とオゾンが混じったような、病院に似た無機質な匂い。
わたしは、カプセルの一つに近づいた。
青白い液体の中に、何かの「種子」や「受精卵」のようなものが浮遊している。
その周囲に、ホログラムで詳細なデータが表示されていた。
『検体コード:A-4092。種別:トヨノクニ黒牛(原種)。保存状態:良好』
「……牛?」
隣のカプセルを見る。
『検体コード:P-1103。種別:古代米(寒冷地適応型)。保存状態:良好』
さらに隣。
『検体コード:F-0056。種別:キング・サーモン。保存状態:良好』
わたしは目を見開いた。
この建物だけではない。
窓の外に見える向かいのビルも、その奥の塔も。
この都市にある全ての施設が、人が住むためのものではなく、何らかの生物データを保存するための巨大な「保管庫」だったのだ。
「……なるほど。ここは『避難シェルター』なんて生易しいものじゃありませんでしたのね」
わたしは震える手で、カプセルの冷たいガラスに触れた。
「これは……『箱舟』ね」
「レヴィちゃん、箱舟って、前の世界の、あの箱舟……?」
「ええ。かつて地上で大規模な戦争や環境破壊が起きたとき、絶滅しそうになったあらゆる動植物の遺伝子をここに集め、冷凍保存した。……いつか地上に平和が戻ったとき、再び大地に命を芽吹かせるために」
アリスとミリアが息を呑む。
生命のライブラリ。失われた古代の生態系そのもの。
800年前の人類が、未来へ託した最後の希望の砦。
その壮大な計画と、費やされた執念に、心が震える。
だが。
わたしが震えていた理由は、そんな学術的な感動や人道的な意義のためだけではない。
「……つまり。ここには、今の地上では絶滅して食べられない『幻の食材』や、品種改良される前の『原初の美味』が、選び放題で眠っているということですの!?」
わたしの瞳が、カッ! と肉食獣のように輝いた。
宝の山? いいえ。
ここは、時を超えた「お取り寄せカタログギフト」の倉庫だ!
「すごい! すごいですわミリア! 見て! あそこには『ジャイアント・クラブ』の卵が! 向こうには『虹色ハチミツ』の蜂の幼虫が! さらにあっちには、伝説の『黄金桃』の種まで!」
「レ、レヴィーネ様、落ち着いてください! ヨダレが出てます! 貴重な遺伝資源になんて目を!」
「落ち着いていられますか! ……総員、作戦変更! 目標は家電だけではありません。この『食材データ』を片っ端から回収し、地上で『復活』させますわよ!!」
わたしが鉄扇を振り上げ、高らかに「いただきます」を宣言しようとした、その時だった。
ウゥゥゥゥゥン…………!!
都市全体に、腹の底に響くような低いサイレン音が響き渡った。
建物の影から、天井の隙間から、無数の赤い光が点灯する。
眠っていた都市機能が、侵入者を排除するために覚醒したのだ。
『――警告。保管庫への不法侵入を検知。……これより、防衛システムを起動します』
どこかあどけなさの残る、しかし氷のように冷徹な女性の声が響いた。
空飛ぶ円盤型のドローンや、多脚型の警備ロボットが、わらわらと集まってくる。
「……あら? どうやら、冷蔵庫の番人がお怒りのようですわね」
わたしは鉄扇をパチンと閉じた。
邪魔をするなら、へし折るまで。
食欲に火がついた悪役令嬢を、機械ごときで止められると思って?
◆◆◆
天蓋都市の中央広場。
わたしたちを取り囲むように、数百体を超える警備ロボットが展開していた。
頭上からもドローンが殺到し、逃げ場はない。
「ひぇぇ……! すごい数だよ……! 空からも来るよ!」
アリスが杖を構えて後ずさる。
現れたのは、丸いボディから掃除機のようなアームを伸ばした「清掃型」や、スタンロッドを構えた「鎮圧型」。
どれも800年前の骨董品のはずだが、その表面は古びるどころか、ヌラリとした銀色の光沢を放っている。関節部分が不気味に波打ち、形を変えているのが見えた。
「気をつけてください! あれは『液体金属』です!」
ミリアが素早く解析し、警告を飛ばす。
「物理的な衝撃を吸収し、自己修復する厄介な素材です! 斬撃や打撃では、すぐに再生されてしまいます!」
『侵入者へ通告。……貴方達は、保護対象外の「汚染物質」と認定されました』
空中に、巨大なホログラムが投影された。
現れたのは、エプロンドレスを身に纏い、頭に花冠を乗せた、ふくよかな女性の姿。
イリスによく似ているが、その瞳には慈愛ではなく、潔癖なまでの拒絶の色が宿っている。
映像には時折ノイズが走り、長い年月の劣化と、孤独な管理業務による負荷を感じさせた。




