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異世界捜索  作者: ンゴ
第六章
32/73

第32話 喜劇

 宗教とは、神聖なものだ。

 痩せ細った者たちが一斉に目を閉じ、同じ偶像へ祈りを捧ぐ。

 あの特別哀れな光景を想うと、迷える子羊と呼ばれるのもその通り。

 虚ろな目で群れる人々は、まるで犬に追われる家畜の様。


 最近になって私が移り住んできたリープ村の協会は、貧相だが歴史のある建造物。

 今となっては礼拝の時間を除き、稀に人が訪れるだけの暇な場所だが、戦時中は、普段無宗教な戦士すらも、先人によって輝かしく脚色された聖書に縋り、涙ながらに助けを乞う姿が度々目撃されたという。

 最終的に、アシュガルド軍が戦況を盛り返し、痛み分けで戦争を終えたため、当時祈っていた者は、神を有り難がって疑わない。

 

 そんな敬虔な信者たちは、このボロボロの建物を神と一番近い場所だとして、大切にしていた。

 特に、蓄えた細かな傷を年輪代わりにした、壁や家具がご自慢。

 古さを誇って、何になるというのか。

 こんな程度で、神の存在は保証されない。


 歴史がそんなに大切ならば、そのあたりの墓を掘り起こして、白骨でも崇めていれば良いのではないだろうか。

 数ある中から当たりを引けば、汚れた椅子より、断然古臭いはずである。


「こんにちは、シスター!」


「…ロビン、また来て下さったのですね」


 関連した何もかもにケチを付けて暇を潰しているところに、干乾びかけた建物とは対照的な、瑞々しい命が。 

 ひょこっと顔を覗かせているのは、きめ細かい肌を輝かす、金髪の青年。

 彼はここ最近、頻繁に教会まで足を運んでおり、いつも可愛く挨拶をしてくれる。

 ただ、このような年頃になれば、かっこいいと言われた方が嬉しいのだろうから、私から敢えてそれを伝える事はしない。


「最近、家に居ても落ち着かなくて…」


「そうですか…。大丈夫、神と私は、いつでも貴方を受け入れますよ」


 表情を曇らせたロビンに対し、両手を広げて歓迎の意を示すと、他人からの好意に慣れない彼は照れて俯く。

 その機を見逃さなかった私は、すかさずロビンの側へと歩み寄り、彼の両手をシルクの手袋で包み込んだ。


「どうして貴方は、そんなに寂しそうな目をしているのですか?」


 白状すれば、赤の他人の表情の細かな差異など分かったものではないが、それを認識できるかどうかが重要な訳ではない。

 幼く脆いロビンの心が、どういう状況にあるはずなのか。

 自らの脳が叩き出したその予測に、自信を持つ事が大事なのだ。

 自信さえあればすべき行動が明確になり、迷って足踏みするような、無駄な時間が減る。

 取り返しが付かない選択以外は、さっさと決断して数を撃った方が良い、というのが、持論だ。


 そんな効率的な考え方を、神は評価した。

 当てずっぽうが見事的中。

 心の内の悲しみを、完璧に見抜かれたと勘違いしたロビンは、ぽろぽろと、弱音を吐露し出した。


「また今日も、村で陰口を言われたんだ。余所者だ、化け物だって…。僕は、みんなと仲良くしたいのに」


「それは辛かったですね…。でも、貴方にはオーランドさんがいるではないですか。彼ならば、救いの手を差し伸べてくれる。そうでしょう?」


 何も知らないふりをした私は、ロビンの心の中でゆらゆらと不安定に揺れている炎に、薪をくべた。

 すると、握った両手が震え出す。

 孤独感が、腫れ上がっていく。


 泣き出してしまいそうな彼だったが、どうにか心のダムが決壊しないよう、ギリギリの所で堪えていた。

 迷える子羊の、なんと愛らしい事か。


「僕が何をされても、オーランドは何も言い返してくれないんだ。本当は、僕と居るのが恥ずかしいのかな…。オーランドにまで嫌われてたら、僕は…!」


「全て、壊してしまえばいいのです。貴方が壊れてしまう前に、貴方が壊せばいい」


「僕が…壊す?」


 囁かれた甘美な誘いに目を見開いたロビンは、もう、此方側まで到達する寸前。

 同類の匂いが蔓延し、清らかな空間が闇に包まれる。


 さあ、最後の一手を打ち、彼を深い闇へと引き摺り下ろそうとした、その瞬間。

 ゴーンという低い音が、邪魔をした。

 タイミングを見計らったかのように、教会の古びた鐘が、鳴ったのだ。

 それはとても神々しく、不快な音だった。


「も、もうこんな時間!買い物をして帰らないと。…今日は、変な事を言ってごめんなさい。疲れてるせいか、ちょっと考え過ぎちゃったみたい」


 神の音《ね》の煩さに目を覚ましてしまったロビンは、隠し切れない焦りをそのままに、出入り口の方へと駆け出した。

 だが、扉の前で足はストップ。

 此方へ振り返った彼の頬は、桃色に染まっていた。


「もし良かったら…シスターさんの名前、教えてくれませんか?」


 恥じらう好青年に名を聞かれるという、ロマンチックなシチュエーションだったが、それどころではなかった。

 ときめきなどには目もくれず、激しく苛立ち、暴れ出しそうになっている、私のもう一つの人格。

 彼女を胸の奥になんとか押し止め、出来る限り淑やかな笑みを作るのに、必死だった。


「アイディーとお呼び下さい。神の導きがあるよう、お祈りしておきますね…ロビン」


「…またね、アイディーさん!」

 

 目的を果たしたロビンは、笑顔で教会を飛び出していった。

 これでようやく、彼女を外に出してやれる。


「チッ…寒い事するもんだな、神様ってのは」


「そんな事を言ってはいけません。反省して下さい。神は、貴女の事も見ています」


 ひらひらと鬱陶しいヴェールを脱ぎ捨て、悪態を吐いた俺を、もう一人の自分が咎める。

 だがしかし、薄い布の奥で、ド派手なピアスと共に閉じ込められていた俺の顔は、快感に蕩けていた。


 反省。

 そんなこと、やってられるか。

 娑婆の空気と、純朴な青年が漂わせた瘴気を、肺一杯に吸い込む作業に忙しい。


「あ、そう。…だったら神様、そこで黙って見ていて下さい!食べ頃になったあのガキを、すぐに堕として御覧に入れます!」


 下品に卑しく高笑いした俺を、私が呆れて見ていたが、知った事か。

 俺らしく此処に在り、賢者様の役に立てるのであれば、何の憂もなかった。




 ◇




 もうすぐ夜になるというのに、玄関にロビンの靴が無い。

 畜舎にも居ない。

 心配に思った俺は、ベランダでタバコを吸っていたオーランドさんに尋ねたが、行方は知れず。


「あれ、ロビンは何処行ったんですか?」


「最近、たまに消えちまうんだ。まあ、家畜の世話はちゃんと終わらせていくし、どうせ晩飯には戻ってくるから問題ないさ。ガールフレンドでもできたのかもな」


「ロビンに限ってあるかなあ、そんな事」


「そうだユータ、丁度良かった。お前に話があるんだ。…少しいいか?」


 呼び止められた俺は、広いベランダに置かれた椅子へ。

 甘味処を何軒も回ったせいで、天井から解放された空はすっかり茜色に染まっていた。


 雲が緩やかに動いていく中、オーランドさんが言い出すのを黙って待っていたが、向かいに座った彼は、挙動不審。

 幾度となく体勢を変えるだけで、話が始まらない。

 終いには、咥えていた煙草も吸い終えてしまい、二本目の煙草を取り出そうとした彼は、空箱をひっくり返した。


「そういや、買い出しは今日か…クソッ」


「…少し、くらいはもう経ったんじゃないですか?」


「あ、笑いやがったな!」


 大の大人が、告白前の乙女のように緊張している様子が余りにも可笑しくて、俺は堪え切れずに噴き出してしまった。

 対してオーランドさんは、心外だというポーズを取ってはいるものの、俺を初めて笑わせた事への喜びが、半分。

 こんなにも優しい父親と暮らせる人間なんて、そういない。

 そこに血の繋がりが無かろうと、ロビンは幸せ者だ。


 やっと意を決したのか、煙草臭い息を吐き切ったオーランドさんが、真剣な眼差しに。

 傷を負い、もう開くことのなくなった左目も、此方を見据えていた。

 

「ユータ…俺はお前を、息子として迎え入れたいと思っている。この村で、一緒に暮らさないか」


「…は!?いきなり過ぎて話が…」


「俺は、ロビンの育て方を間違えた。俺が未熟なばっかりに…」


 苦い表情をしたオーランドさんの話は、すぐに遮られる。

 パリンという、何かが割れる音によって。


 俺がリビングを確認すると、落下した花瓶が無残な有様になっていた。

 水溜まりの中心に、新品の煙草が一箱。

 水を吸って、黒くなってしまっているのが、勿体ない。


「…何なんだ、一体?」


 部屋が物色されているような形跡も無く、だからといって、自然現象とは考えにくい状況に、首を傾げる。

 後ろからついてきたオーランドさんも、一人寂しく溺れていた煙草を、ぼんやりと見つめていた。




 ◇




 絡み付く積雪の重さがまどろこしく、靴を脱ぎ捨て素足になる。

 大好きな藁と獣臭の混ざり合った匂いでさえ、嫌で嫌で仕様がなかった。


『ユータ、この村で一緒に暮らさないか。俺はお前を、息子として迎え入れたい』


『俺は、ロビンの育て方を間違えた』


 形振り構わず走る僕、ロビン・サリバンの頭の中で、盗み聞いた言葉が何度もループする。

 オーランドが、遂に僕を拒絶した。

 ユータと僕を比べて、彼はユータの方を取ったのだ。


「どうして僕を選んでくれないの、オーランド」


 口を突いた独り言は、虚しく夕焼けに溶けていく。

 じっくり熟成された被害者意識が、ブリキの隙間から漏れ出していた。


 乱暴な走りに足が縺れ、転びかけた身体。

 そのまま雪の布団へとダイブしたかったのに、神経中枢から情報が流れて、優秀な義足に支えられてしまった。

 オーランドに補助されながらの、人生だった。


「クソッ…クソッ、クソッ!」


 鉄の義足を、右の手で何度も殴る。

 拳面は擦り切れて出血し、夕日に照らされた無傷の義足が、血液を浴びて更に赤く汚れていく。

 ストレス解消と、自傷行為の並行である。


 両親による虐待から逃げてきたこの地で、魔獣の餌になろうとしていた僕を助け、拾ってくれた、恩人との関係を失った。

 これから、どうすればいい。

 まずは、冷え切った世界の中で、温もりを求めた。


「…ホープ!」


 相棒の名前を声に出し、ハートに火を灯す。

 あのざらざらとした肌を撫で、これまでに捧げた分の愛を返してもらわなければ、どうにかなってしまいそうだ。

 打算的な考えで動物に触れようとしている醜さなど、気にしてられなかった。


 栓が壊れた喉。

 絶望を垂れ流しながら、走り、走り、走る。

 僅差ではあるが、濁音が声を枯らすより、畜舎に飛び込む方が先。


 しかし、安息の地であるはずの畜舎の中は、違和感に食い荒らされていた。

 馬房が開け放たれ、蛻《もぬけ》の殻になっていたのである。

 雪がこれだけ積もっているというのに、オーランドが放牧するとは考え辛く、嫌な予感がしてならなかったが、それ以上、推理を巡らせる余裕も無い。

 すぐに、蹄の跡が続く放牧地の方へ方向転換、錠の開いた柵の間を駆け抜けた。


 気が急いた僕が加速すれば、急激な負荷に熱を発した義足が、往く道を湿らせる。

 爪先が小石を踏めば、カンと鳴る。

 摩擦によって散った火花が足跡の上を踊ると、いよいよ様相は人間味を失い、非現実的な気配を帯びていた。

 一歩前に踏み出す毎に、弱虫な僕が変貌していく実感があった。


「モオオオ!」


 放牧地の外に出た所で、野太い叫び。

 ホープだ。

 これまでに聞いたことも無いような、ホープの鳴き声だ。


 驚いた僕は、踵を全体重で踏み込んで、ブレーキを掛ける。

 目を向ければ、ぎっちりと密集した馬の群れ。

 嘶きながら前足を高く持ち上げる、威嚇の動作を繰り返しており、温厚な彼ららしくない。


「皆、どうしちゃったの…?」


 慎重に歩み寄る。

 僕に気が付いた馬の群れは大人しくなってくれたが、荒ぶっていた動物が、突然ぴくりとも動かなくなる光景は、逆に気味が悪かった。

 

 躊躇いつつも馬体の間を通っていくと、集団の中心にスペースが。

 そこに何かがあると悟った僕は、邪魔な馬を強引に押し退け、そして、息を吞んだ。

 黒く濡れた足元に、血塗れのホープがぐったりとしていた。


 これはきっと、悪い夢に違いない。

 現実を受け入れられずに立ち尽くし、そこにある悲惨を凝視する事しかできなかった僕は、木に積もった雪がどさっと落下した音で、やっと我に返った。


「ああ…ホープ、しっかりして!」


 僕は慌てて駆け寄った。

 ホープの小さな耳の側で騒ぎ立て、腕の付け根を揺すった。

 だが、先の叫びが断末魔だったのだろう、何の反応もない。


 死骸には、蹄鉄の痕がびっしりと刻まれている。

 僕が来るまでの間に、どれだけ過酷な仕打ちを受けていたのかを想像するだけで、刺したような頭痛に見舞われた。


「結局、特異な存在は受け入れられないのです。一見優しい世界に見えたとしても、その陰で、弱者の命が散り続けている」


 澄んだ声に、肩を叩かれる。

 バッと振り返ると、両手を組んで祈る、アイディー。

 教会からは距離がある上、柵を越えなければ此処には来られないのに、どうして彼女が。

 そんな疑念は、捨て置いた。

 救いを求めて叫んだホープに、何もしてやれなかった無力さに打ちひしがれて、僕は無気力に陥っていたのだ。

 難しい事なんて、考えていられなかった。

 

 もう一回。

 亡骸に触れても、やっぱり命の感触は無い。

 あるのは事実だけだと分かっているのに、触れるのも、声を掛けるのも、やめられなかった。


「可哀想に。痛かったよね…辛かったよね…」


「それくらいにしましょう、ロビン。…貴方には、やるべき事があるでしょう?」


 神妙な面持ちのアイディーに促され、億劫ながらも、考える。

 そもそも、悪いのは誰だ。

 動物か、人間か。

 悪いのは、差別という概念そのものだ。

 僕やホープを除け者にする、世界が間違っているのだ。


「…そうだね。掃除しなきゃ」


 神から与えられた使命を自覚した僕は、魔法の光を瞳に宿らせて、立ち上がった。

 押し潰されそうだった心は、全能感に満ち満ちていた。

 獣も、人も、世界も、もう何も怖くない。

 

 僕という器の中に残っていた些末な理性を、邪悪な奔流が押し流していく。

 抽象的だった意思は、魔法と化した。

 作り物の足に巻き付いた、深紅の光。

 周辺組織が黒く硬質化した瞳は、まるで悪魔のそれだった。


「この世界から、腐り切った差別主義者を排除する」


 すらすらと決意を口にした僕は、無意識に笑みを湛えていた。

 これから始まる殺戮に、心が躍っていたのである。

 

 身の危険を察知して逃げ出した馬を、全速力で追いかける。

 純粋な人であった頃よりも、風を切る快感が増していた。

 ああ、なんと美しい夜か。


 群れに追いつき、追い越した僕は、先頭を走る馬の心臓を、的確に貫く。

 寒空に向かって、鮮血。

 倒れた馬体に別の馬が躓いて、そいつも同じ要領で殺した。


「僕の希望を奪っておいて、逃がす訳が無いだろう?」


 これまで愛を注いできた馬の命を、この手で天に帰そうが、心に痛みは及ばなかった。

 代わりに抱いていたのは、絶大な力を得た喜びと、差別的思考の生物を粛清した、達成感。

 そうやって一時的に満たされても、すぐに胸の奥に棲みついた怪物が飢えを訴えるため、おかわりが無くなるまで殺しは続く。

 黒い白目が真っ赤に染まっても、終わらない。


「最ッ高の喜劇だな」


 様子を眺めていたアイディーが、何か呟いた。

 そんな気がしたのだが、赤い眼から脳へと叩き込まれる、夥しい数の情報に気を取られてしまい、僕は聞き取ることができなかった。

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